第十三話 護りたいもの

 二つ目の煎じ薬に使った白い花は、この城の中庭に咲いていたものだ。かわいい見た目には裏腹に、その小さな花弁や細い茎には強い毒性が含まれている。もちろん、何かと間違えて使ったわけではない。リーリスを昏睡こんすいさせるという明確な目的をもって使ったんだ。


『フェン……、お前――……!』


 彼女が意識を失う直前の、何故だという怒りと、そして裏切られたという悲しみ。できればそんな顔は見たくなかった。けど、こうする他に方法はなかった。


「悪いな、リーリス。もう少し寝てもらわないといけなくなっちまった」


 どれだけ誤ったって許してもらえることじゃないかもしれない。

 せっかくここまで信頼されていたのに、裏切るようなことをしちまった。


 黒い茨が出てこなかったのも、その信頼が故だったのか。

 なんにせよ、これで幾らでも誤魔化しがきく。

 機石人形に通用するかは分からないけどな。


 万が一、これから襲撃してくる機石人形グランディールを撃退できたとしても。目覚めたリーリスが、もう二度と笑いかけてくれないかもしれない。死ぬことよりも、俺はそれが怖かった。






「なぁ、旦那」


 パチパチと火の粉が弾ける音だけを聞くってのも、なんだか寂しいもんだから。俺は目の前で突っ立っている茨の騎士に話かけていた。それがヒトではないことは分かっている。そもそも声を出せるようなものでもないことは分かっている。


 別に答えなんて返ってこなくてもいい。

 俺がただ、何かを話していたい気分だった。


 無言でたき火の明かりに照らされた、その鎧の表面に幾つもある傷痕。刻み付けられていた数々の戦いの記憶。リーリスの操るゴゥレム、ただの鎧ではなく、俺は“彼”に一人の戦士として語りかける。


「あんたは――これまで誰か、何かを護れたことがあったかい?」


 あんたには聞いてほしいのさ。

 俺の昔のころの話を。


「……俺は駄目だった。だから、逃げ出した」






 俺が生まれたのは、魔族との戦争の真っただ中だった。


 人族と魔族、それは自分の生まれた時から敵同士で、互いに命を奪いあっていて。脅威に曝される人々を護る為に、幼かった俺が騎士団を志すのは極めて自然なことだった。


 しかし戦争は俺がそうこころざした次の年――十二歳の頃だ。“英雄”という者たちによって、なんの前触れもなく戦争が終わる。


 “英雄”。いったいどれだけの人間が、その響きに憧れていたんだろうな。もちろん俺だって憧れていた。誰だってそうだろう? 世界だって救えるような立派な騎士になりたかったんだ。欲張りだと思うかい?


 戦争ってのは複雑なものなんだろうな。二年後――十四歳になるころには、魔族に対抗するのに共闘関係を結んでいた亜人たちが、再び蜂起ほうきしちまったらしい。戦争とまではいかなかったが、世界中のあちこちで小さないざこざが噴出していた。


 戦争が終わっていたけど、まだ騎士になることを目指していた俺は、さらに剣の修行に励んだ。ただ、才能がなかったんだろうな。そこから更に六年をかけての入団だ。早い奴なら十六から入れるってのに、時間かかっちまった。


 遅咲きと馬鹿にされることもあった。偶然だと笑われることもあった。

 でも、そこは俺が夢にまでみた場所だったんだ。


 今までの境界線上から一歩先へと出て。そこに待ち受ける怒涛の経験。

 初めての戦場、初めての勝利、初めての敗北。


 獣との戦いを人は戦争とは言わない。互いに知能を、文化を持った生物同士で戦うからこそ戦争なのだ。戦いを続ける中で、俺はそれを知る。


 そして、初めての挫折、失望、裏切りも知ったのさ。



 ――――――――



 きっかけは、俺が機石人形グランディールに襲われて、一人滝壺へ落下したことだった。これまでの人生の中で唯一、本気の本気で命がヤバいと感じたときだ。


 力でも早さでも敵わない。姿はヒトに似せちゃあいるが、その内骨格は刃を通すことはない。一方的に吹き飛ばされ、全身がボロボロの状態だったが、たまたまそこにあった川に飛び込んだのが功を奏した。流石にそこまでは追ってはこなかったんだ。


 意識を取り戻したのは、見知らぬ場所でだった。

 ベッドほどじゃあないが、柔らかいソファの上に寝かされていた。

 遠征が夢だったんじゃないかと疑ったほどだ。


『ここは……?』

『私たちの村よ。あなた、川から流れてきたの』


 起き上がって辺りを見回す俺に話しかけてきたのは、小さな女の子だった。茶色い髪をして、頭の上には丸い小さな耳がちょこんと乗っかっている。


 私たちの村――亜人たちが暮らしている村。

 俺たち騎士団が探していた場所ってわけだ。


 気が付くと持っていた槍は無かった。敵地のど真ん中で丸腰だった。


『もしかして、俺を捕虜にする気かい? だったら、お嬢ちゃんには悪いけど、ここから逃げ出させてもらうぜ――っ痛つつつ……』


 捕虜にでもする気かと尋ねると、そのままにしておいたら死んでいたかもしれないから、助けただけだと答えが返ってきた。未だに争っているにも関わらず、敵であるにも関わらず、自分を一つの命として扱ってきた。


 そのまま彼らの世話になって、傷も普通に動けるまでには回復した。


 見返りを求めるわけでもなく、ただただ優しさだけがそこにあった。

 敵だとか、味方だとか。種族が別だからとか、昔から争っていただとか。

 ……そういうのには、疲れて果てていたんだ。


 もう過去に振り回されるのはやめようと、そう考えた人たちの村だった。


 ……彼らと自分達で、いったい何が違うのだろう。

 切っ掛けの分からないままに戦いに身を置いてきた自分の中で、何かが揺れた。






 ――だからこそ、俺は失望した。

 俺の信じていた“正義”という信条は、ただの薄っぺらい建前だった。


「待ってくれよ、なぁ、隊長! なにも殺すこたぁないだろ!?」


 平和ってのは、誰かが血を流さないと成り立たないものなのだろうか。ここにはもう、“敵”なんてものは存在していなかった。戦う必要などどこにも無かった。いや、戦いにすらなっていない。


 騎士団の皆は俺を探した結果、亜人デミグランデたちの村を見つけることになった。……そこで行われたのは、ただの虐殺行為だ。


「家に火を放て! 一人も森へと逃がすんじゃないぞ!」


「ここの人たちが何をしたってんだよ! 言葉も通じる! 意思疎通ができる! 他の亜人デミグランデたちだって同じだ! 互いに干渉しあわなければ、別に進んで争う必要だってなくなるんだ! 誰も傷つける必要なんてないだろう!?」


 ヒト族グランデ亜人族デミグランデだって仲良くできるんだ。

 俺を見てくれ。彼らに助けてもらったんだ。

 傷つけあうんじゃない。助け合える存在なんだ。


 必死に説得しようとした。どれだけ声を張り上げたんだろうな。

 それでも、隊長は俺の訴えには耳を貸そうとしなかった。


「槍の技量はなかなかのものだが――お前の甘い考えでは、国を守るという在り方にはちと荷が重すぎる」


「なんだよそれ……! 俺は……騎士団に入って――」



 ――――――――



「……誰かを護りたかっただけなんだ。どこかで泣いている誰かを減らそうとしただけなんだ……」


 決して命を奪う側に回りたかったわけじゃない。


「……甘っちょろい考えだと思うかね」


 戦う必要が無いのなら。意思の疎通ができるのなら。

 ……仲間として手を取り合えるなら。


 ヒトだって、亜人だって、魔族だって関係ない。

 失われていく命を、一つでも護れるような男になりたかっただけ。


「何が正しくて、何が間違っているかなんて、分からなくて。いくら探しても見つかる気がしなくて。見ない様に、必死に蓋をして生きていこうとしたところで、あんたらに出会っちまった」


 死んで、生き返ってを繰り返す少女。

 その生き方は、あまりに悲しいものだった。


 今まで何も護れなかった自分に与えられた、最後のチャンスだと思ったんだ。

 とてもじゃないが、見て見ぬフリなんてできなかった。


「戦争ってのは酷いもんでさ。なんでもかんでも人から奪っちまう。食料だって、住む場所だって、心の余裕だって。そしていつか――大切な人だってある日突然失うことになる」


 昨日まで生きていた人が、明日も生きている保証なんてない。


 今ではだいぶマシにはなったけれど、世界のどこか――割と身近なところでは、そういうことが起きていたりする。みんな気づいていないだけなんだ。自分には関係ないからと、見ないフリをしているだけなんだ。


「建物も何もかも壊れた村に行くとな、子供が泣いてんのさ。『お母さんはどこ。お父さんはどこ』って……。それまでは普通だった日常は、二度と帰っては来ない。朝起きる度に、そこにいた大切な人の影が無いことに気付く。最悪だ、そんなのは」


 身寄りのない子供を預かる孤児院だって、いつかは限界がくる。そうでなくとも、戦争の影響で一気に数を減らしちまった。爪痕ってのは、そういうところにだってあるんだ。


「……寂しいんだよなぁ。朝起きて、誰もいないってのはさ」


 国によっちゃあ、騎士団が孤児を引き取って小さい頃から適正を見るところもあるって聞いた。別の場所では、盗賊や殺し屋が子供をさらって道具のように教育するとも聞いた。いったいどうなってんだよ。


「いつもと変わらない朝がくるから、人は安心して眠れるんだ」


 日が沈むのが当たり前で。日が昇るのも当たり前で。

 眩しさに目を覚まし、大切な人が笑いかけてくれる。

 眠りについたその先にあるべきは絶望なんかじゃない。……希望だ。


「なぁ、旦那。旦那の今の在り方は、強制されているからしているものなのかい? それとも、そう魂に染みついてしまってんのかい?」


 ……いいや。答えなんて無くても分かるさ。


「たとえ旦那が死んでいるのだとしても。魂だけの存在だとしても。立派な騎士であることには変わりねぇ。……頑張ろうぜ。ここ数日が正念場だ」


 俺は――リーリスが目覚めたときに、笑顔でいて欲しいだけなんだ。

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