第六話 二度目の眠り

 ……リーリスは静かに目を閉じた。

 玉座の上、離れたところから『おやすみ』と言った俺に返事をすることなく。


 俺が見守っている中――やがて、苦しそうだった呼吸が止まり。彼女を包み込むように、その背面から花弁が現れたのは間もなくのこと。


 白い、白い花弁だ。雪よりも、雲よりも、なお白い。


 触れただけで溶けて消えてしまいそうな、そんな白さをした大きな花弁が、緩やかにひねりを加えながら閉じていく。リーリスを完全に包み込んだ蕾の根本から、大量の黒い茨が溢れ出してきた。


「こいつが、リーリスの言っていたやつか……!」


 こうなるともう、近寄ることなんてできなかった。事前に話をできただけ、まだ救いようがあったのかもしれない。それはまるで鉄砲水のように、土砂崩れのように、そこにある全てを流し去っていこうとする。


「うわ、うわわわっ!? マジでやばいやつなんじゃないの……!」


 それはもちろん、俺も例外ではなくて。

 慌てて玉座に背を向けて走り出した。


 巻き込まれたら絶対痛いよな……。茨でチクチク――ぐらいで済めばまだいい。皮膚が切れたり、ぎっちり食い込んできたりして――って考えただけでも痛いっ!


 走る。どれぐらいまで広がるかは分からないけど、階段を降り切ったところまでにげりゃあ大丈夫だ。……だよな?


「おっと――」


 前方にはリーリスがゴゥレムとして使っていた黒い鎧。さしずめ、茨の騎士様といったところだろう。さっと横を抜けて、通り過ぎる。……待てよ? このままじゃあ、あれも茨に飲み込まれちまうんじゃないか?


 そう思いチラリと後ろを見ると、茨は鎧を器用に避けていた。


「なんだよそれ!? ずりぃぞ!!」


 俺だって、広間に残してくれたっていいじゃねぇか!

 邪魔者扱いするだなんて酷いぞっ!


 とか言っている間に、黒い茨がどんどんと伸びていく。自分の背後から迫っているのもあるけど、それよりも壁に沿って来ている奴の方がやべぇって。――ほら、広間の出口を塞ぎそうじゃないか。下からせり上がるように……って、閉じ込められたら閉じ込められたで一巻の終わりじゃないか?


 もう跳んでも越えられるような高さじゃない……けどなぁっ!


「こういうトコは槍じゃないとな! 剣や斧じゃあ、こうはいかない……!」


 刃の部分を思いっきりに床に突き立ててやる。幸い――なのかは分からないが、床板が割れている部分ばかりなので、固定には充分。一気に地面を蹴り、棒が直立したところで、身体も合わせて倒立――思いっきりに身体を押し上げて跳び上がった。


 高速で流れる視界の端に、すぐそこまで迫って来る黒い茨。完全に埋め尽くされた広間の入り口が“離れていく”。よしっ、抜け出せた――あとは落ち着いたころにでも……。


 ――って、着地しようにも思った場所に地面が無い。

 なんだかおかしいな……って、それもそのはずだ。


「しまった! ――か、階段がぁぁぁぁ!?」


 階段は広間を抜けたらすぐに下へ伸びている。

 勢いをつけすぎたせいで、なかなか着地の時が訪れない。


 やっぱり……痛いよな。あぁ、ちくしょう。


 とはいえ、前に進む力は小さくなっていくわけで。少しずつ、少しずつ階段へと身体が引き寄せられていく。かといって、槍も広間に置いていってしまったし。なすすべもなく、叩きつけられる未来しか残っていないわけで――


「――ぐっ……!」


 鈍い痛みが全身に走った。とはいえ、地面に叩きつけられるよりは幾分かマシだった。……マシだよな? 階段の段々がひじももに当たって痛いけど。ごろごろごろごろ。上も下も右も左も分からない状態で、ひたすらに階段を転がり落ちる。


「あだっだっだっ……あだだだだぁっ!?」


 途中にあった踊り場でようやく止まったけども、そこも瓦礫だらけ、ひび割れだらけ。もちろん、身体にはお優しくない。しばらくは床に転がったままだった。砂埃を払う気力もねぇや。


「痛ってぇ……」


 身体の節々がまだズキズキと痛むけれど、なんとか深呼吸して、落ち着いて。気にするべきは、俺の身体の状態じゃあない。……リーリスはどうなった?


 転がり落ちてきた階段をまた駆け上がるって、なんだか間抜けに見えるだろうけど、そんなことを言っている場合じゃない。息を切らせながら、なんとか登りきったけど――広間の入り口は完全に黒い茨で覆われていた。


「リーリスー! リーリスー? おぅい、聞こえてないのか?」


 ……まぁ、聞こえてないよな。彼女が言ったことが本当なら、きっと黒茨に覆われた広間の中で、白い蕾に包まれて死んでいるのだから。


「……くそ、入れないか。『うるさいっ!』って起きてくれりゃあ良かったんだけどなぁ……」


 この中では、茨の騎士様が主人を護っている。俺も一緒に傍にいてやりたいが、そこまでの信頼はいただけなかったらしい。おっかしいなぁ、あれだけ話をして人畜無害っぷりをアピールしたってのに。


 頼むぜ……しっかり守ってやってくれよ。


「俺は――仕方ない。ここに寝床を移すとしようか」


 ……風通りが良すぎて、ちと寒いけどな。






 リーリスが眠りについた翌日は、とても静かな日だった。城中の時間が止まってしまったような、空気も暖かいか冷たいかも分からないぐらいに、何もない日だった。


 もしかしたら、少し早めに起きてくるかと思って、茨で塞がれた入り口を確認したけれども、昨日と同じで堅く閉ざされたまま。やっぱり明後日まで待たなきゃいけないのかよぅ。


 食料には余裕がある。……少なくとも、リーリスが次に目を覚ますまでは十分なぐらいに。今は大丈夫だけど、城に行く前に立ち寄った街に食料を買いに行くことも考えないとなぁ。とりあえず、リーリスが眠っている間に何かあっても困るし、あと二日はここから動かない。


 そう意気込んだのはいいけどよ……。一日中同じ場所にいるのは、なんとも骨が折れちまうわけだ。本の一つでも持ってくりゃあ、暇つぶしにもなったんだろうけど、不覚にもそんなものは手元に一冊もない。


「こんな所でも、一冊ぐらいは残ってるだろ。リーリスが起きたら探してみるか」


 ……そういえば、リーリスはこの廃城の中で、どう過ごしているのだろうか。


 食料は? 不死族だからいらないとか? この城から出られないみたいな感じだったけれど、それだと暇で仕方なくなるよな。どうやって暇を潰しているんだろう。


 やべぇな。聞きたいことがどんどんと増えていく。これで起きてから沢山質問したら、また『私しか話していない』って怒られるんだろうなぁ。


 何を話したもんか。俺って口下手だからさ。

 考えながら話そうとすると、すぐに喉が渇いちまう。

 いや、もうすでに渇き始めていた。


 昨日作った煎じ薬が余っていたし、あんまり日が経ちすぎると効果が薄くなるし、かといって捨てるのも忍びない。ということで、俺が喉の渇きの解消に使わせてもらうことにする。


 ……ちゃんと効いてたよな。少しは呼吸が楽になってたみたいだもんな。

 まぁ、俺が採ってきて、俺が煎じた薬なんだから当然――う゛っ……!?


「…………すっごい苦ぇ」

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