第五話 呪い
城中に張り巡らされていた黒い茨は消え、元の姿を現し始めていた。茨によって開けられた隙間もあるんだろう、どこかしこに穴が開いていて、日光と隙間風の通り道となっている。
「こうして見ると、ただの寂れた廃城だなぁ」
――あれからも俺は城にいた。
リーリスに関しては、殆ど口をきけていない状況だ。
……退屈な日々。これじゃあ、わざわざ旅をしてきた意味がない。
リーリスは全くと言っていいほど、城の中を出歩いたりしなかった。
いつも埃を被っているような玉座に座って、ただ眠るように座っているだけ。そんな彼女は、声をかけただけでも不機嫌になって自分を追い出そうとする。一度本気でつまみ出されそうになったから、それからは遠目で様子を窺うだけに留めていたのだけれど――
一日、二日と時間が経って、そして三日目になって異変が起きた。
「リーリス……!?」
今日もほんの少し、リーリスの様子を見ようとしただけ。
しかしこのときに限っては、様子が違っていた。
苦しそうに胸のあたりを抑えている。その額には脂汗が滲んでいた。
「苦しんでいる……? 大丈夫なのか!?」
「来るなっ!!」
駆け寄ろうとした俺に向かって、語気を荒げるリーリス。
無理しやがって……!
「馬鹿言うな! 苦しそうにしているじゃないか!」
来るなって? あんなに苦しそうにしているのに?
ただ見ているだけだなんて、できるわけがない。
「だからどうした……! お前には……関係のないことだ……!」
ちくしょう、話も聞きゃあしねぇ。
どうにかして治療を……せめて症状を緩和してやることぐらいはできないか?
どうすりゃいいかは分からないが、ここで立ち尽くしているだけなんて、そんなことはしたくない。俺は魔法なんて使えないが、薬草の知識なら多少はあるんだ。
「少しだけ待ってろ! すぐに薬草を採って戻ってくるからな……!」
城の周りの森なら、探せば薬草ぐらいはあるだろ……!
「――――」
リーリスが何か言っていたが、構わず城の外へと走り出した。
日はもうすっかりと沈み、空には薄っすらと月が浮かんでいる。
ランタンの明かりがないと進めない程に、森には一足早く夜の
薬師になろうと思っていたわけじゃない。たまたま騎士団時代の知り合いに詳しい奴がいて、そいつに教わっていたのが功を奏したってところだ。……って言っても、数種類ぐらいしか覚えてないが。
アイツは『それだけでも生きていくには十分だ』って笑っていたけど。
「ウィルベルはなんて言ってたっけか……!」
薬草と一口に言っても、種類はいろいろとある。効果も違えば、強さも違う。痛みを抑えたり、眠らせたり――虫下しや、呼吸を楽にするものだって。ただ、加減を間違えた場合、最悪の場合死に至らせることもあると注意されたっけか。
何かあったときの為の最低限の知識。
今までまともに使うことはなかったけど、こんな時に役に立つだなんてな。
「――あった……! こいつだな!」
森の中へと入って十数分。木々の隙間から月明りに照らされる開けた場所。そこで柔らかな緑色をした葉を放射状に伸ばしている草が、まさしく俺が探し求めていた薬草だった。
そっと触れてみると柔らかく、摘むのはそう難しくはない。群生していたので、そのまま五束、六束と集めて、急いで城へと持ち帰った。
薬、薬、薬……。どう使うんだったっけ。
すり潰して塗り込む?
そのまま食わせる? いやいやいや、煎じるんだった。
いつも持ち歩いている道具の中に、片手用の鍋がある。魔物と戦うため――じゃない、いつだって飯を食えるようにだ。……まぁ、他にもこういう時に凄い役に立つ。火を起こす道具と一緒に持っていて損はない。
鍋の中には、森の中に入ったついでに汲んできた水が入っている。土台を組んで、火を起こし――鍋に火をかけるときに軽く洗った薬草を全部突っ込んだ。湧いた湯の中に入れるのはダメらしい。なんでか知らないけど。説明してくれた記憶はあるんだけど、憶えてないんだよな。
とか考えていたら、五分なんてあっという間。湧いてはいないけど、これで十分に薬草の成分は湯に流れ出ているらしい。こいつを飲ませれば、少しはリーリスも楽になるはず。
飲み物を飲むための器に移して、リーリスのもとへ急いで戻る。黒い茨はすっかりと収まっていて、彼女に駆け寄るのも難しくはない。
「――っ! リーリスっ!!」
そんなに時間は経っていない。よくやっても三十分ぐらい。
リーリスはどんどんと弱ってしまっていて。彼女が床に倒れてるのが見えた。
急いで駆け寄る。抱きかかえて、声をかけて、呼吸を確認。
「おい、しっかりしろって! 息は――」
――あった。別に死んでるわけじゃない。
……というか、
出ていく時に比べて、浅く、苦しそうな呼吸。今にも呼吸が止まってしまいそうな、そんな恐怖にかられる。
「煎じ薬だ、飲め! これで少しは楽になるはずだ!」
といっても、目を固く閉じて、喘ぐように浅い呼吸を繰り返すリーリスから答えは返ってこない。自分の声が届いているかも定かじゃなかった。とにかくなんとかしないと。この状態を放置してれば、どんどん悪くなる気がした。
――仕方ない。
持ってきた器を、リーリスの口元へと持っていく。小さく開けられたその唇の隙間から、ゆっくりと煎じ薬を流し込んだ。
……ごくり、ごくりと嚥下する音が聞こえた。
『ほっ……』っと息を吐いたのも束の間――
「…………。――っ、ゲホッ、ゴホッ!」
「リーリスっ!? どうした!? 大丈夫か!?」
大きく咳をし始めた。もしかして症状が悪化した?
俺が余計なことをしちまったとか!?
「苦すぎだ、馬鹿が……」
眉根を寄せ、じっとりとした目つきで、こちらを睨みつける。
「薬ってのは苦い方が良く効くんだぜ。知らなかったか?」
そう言って、笑顔で返してやった。
良かった。ちゃんと息ができるようになったみたいだ。
それでも、まだどこか辛そうにしているのは何故だろう。
「まだ薬がいるか? いくらでも取って来るけど」
「……いい。そんなもの、いくら飲んだところで無駄だ」
「ちょっと待てよ。無駄って、どういう意味だ?」
『はぁ……』と大きく溜息を吐く。ゆっくりと立ち上がる彼女を支えてやろうと、手を伸ばしたが払い除けられてしまう。拙い足取りで、一歩、一歩と小さな段を上がり、その末に脱力して玉座へと深く沈んでいく。
「私は……明日の朝には呪いで死ぬ。死ぬ――とはいっても、一時的な死だがな。弱っていようが私は
「そうなのか……良かった。いや、良くねぇよ! 呪いで死ぬってどういうことだ? まさか――前に言っていた、“致命的な問題”ってやつか?」
「……
こっちは本気で心配してるってのに、それはもう嫌そうな顔をして。それだけ余裕がないってことなのかもしれない。俺ができることなんて何もないのかもしれないが、それでもリーリスは荒い息を途中途中に挟みながら、ことの成り行きを話してくれた。
「――城を訪れる五日前のことだ。忌々しい“神”に、決して治せない呪いを埋め込まれてしまった。頼れる仲間もいない、この呪いが解呪できるものなのかも分からない。おかげでこの有様だ……。いつか見つけ出して、呪いを解かせて、その上で血祭りに上げてやりたいところだが――それも難しいな。……全く、
……やっぱり聞いても良く分からねぇ。
いきなり出てきた“神”という言葉。いや、神様だってのは分かるが、それに呪いをかけられたってのはどういうことだ? そいつぁ、あくまで信仰の対象である偶像ってだけで、実際にそこらで服を着て歩いているわけじゃないだろ。
本当にこの世界に神様がいるのだとしたら、もっとマシな世の中になってる筈だ。……そうだろう? 吸血鬼であるリーリスにしか見えない世界があるのか、単なる妄想に過ぎないのかは分からないが、こうして呪いで苦しんでいるのは確かなんだが。
「これ以上の説明は必要ない。――さっさとこの広場から出ていけ、“茨”に巻き込まれるぞ。二度目だから分かる。……そして抑えられる余裕は無い」
「茨が……? なんの話をしているんだ?」
「黒い茨が城を覆っていたのを忘れたか? 私が白い花の蕾に包まれて眠っていたのを忘れたか? だとしたら、お前の脳みそは魔物以下だ。……もういい、出なくてもいい。だが、下がれ。良いと言うまで下がれ。――そう、そこで話を聞いていろ」
リーリスに言われるままに後ずさる。
彼女に逆らう気が起きなかったのもあるけれど、それ以上に――何か良くないことが起こる、そんな予感を身体の奥底で感じていたんだ。
「……黒い茨も、白い花の蕾も憶えてる」
「そうか。最低限の知能は残ってるようでなによりだ」
左手で頭を押さえる一方、空いた右手で指を立てるリーリス。人差し指、中指、薬指の三本だ。いったい何を意味しているのだろうと疑問に思ったところで、彼女は『――三日だ』と呟いた。
「鎧に預けた魔力で確認した。私は蕾の中で七十二時間の深い眠りにつき、そして目を覚ます。……死んで、生き返る。城を覆った黒い茨は、私が自分の意志で出したものじゃあない。恐らくだが、命の危険が迫ると、ああやって勝手に湧き出し、眠っている間の私を守るらしい。防衛本能というのも、あながち馬鹿にはできないものだ」
防衛本能。眠っている間のリーリスを、外敵から守るために黒い茨が現れる。確かに俺もそれを見た。リーリスが目覚めて数日後にはすっかり消えていたが、城を覆うぐらいの茨だ。命を守るためと言われりゃあ、頭ごなしに否定もできない。
「らしいってなんだよ……! 確かなことは分からないのか?」
「仕方ないだろう。……初めてだったんだ」
「……? 初めてって――」
「――眠ったことが。死ぬことが。生き返ったことが。何もかもが初めてだった。……理解できるか? できないだろうな。いま、お前ができることは――」
俺に、できることは……?
「……今回もそうであれと、祈りを捧げることだけだ」
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