毒女

黒猫くろすけ

第1話

 今でも時々思い出す。あの子は元気でいるのだろうか? それとも?



 僕がその中学校に編入しなければならなかったのは、親父の転勤のせいだ。いわゆる親父は転勤族。その家族である僕たちも否応無しに親父についていかなければならない。もの心ついた時から二、三年毎の引越しだったから慣れてはいたが、さすがに中学生ともなると自分の運命を呪い、親父に対しても不満を抱かずにはいられなかった。

「ねえ、お父さん一人で赴任というわけにはいかないの?」

 そういう僕に母はよく言ったものだ。

「誰のお陰で生活が出来てると思ってるの? お父さんについていくのは当たり前でしょ」

 こんな母だから親父は母を選んだのではないか? 中学生になった僕は両親の事をそんな風に思ったりもしたものだ。


 そう、中学二年生になる春、それまでいた中部のS県からずっと北にあるA県に引っ越すことになった。引っ越し自体は慣れたものだったから、荷物の整理で忙しい両親に代わって、学校の手続きは自分ひとりでやった。


「あの、この四月からお世話になる佐藤です。よろしくお願します」

 事務手続きのついでに学校を見学し、職員室にそう声を掛けてからさあ帰ろうと思った矢先、校門のそばで小学生たちが騒いでいるのに気がついた。

 ん? 喧嘩か? いや、違う。一人を大勢で虐めているみたいだ。しかも女の子を?

「おい! お前ら、なにやってんだ? 大勢で一人を虐めるなんて最低だぞ? しかも相手は女の子じゃないか! ほら、やめろって!」

 子供たちの中に入っていくと、さすがに中学生相手ではまずいと思ったのだろう、彼らはうずくまっている女の子を置いて、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

「おめぇ、しそ者か? こいづは毒おなごだぞ! 後悔すんのし!」

 捨て台詞にそんな言葉を残して。

「毒おなご? 後悔すんのし? 何だそりゃ?」

 地元の子供たちのそんな言葉を僕は良く理解出来ずに、それでも頭を庇うように腕で覆っている女の子に声をかけた。

「ねえ、君、大丈夫かい? あいつら、よってたかって雪球を投げたんだな。卑怯もんが! ねえ大丈夫かい、ほら」

 女の子はその言葉を聞くと、ようやくガードを解いて顔を上げ、僕を見た。

「えっ?」

 僕は少し驚いた。その女の子は大きなマスクをし、薄いながらも色メガネを掛け、手袋をしていた。勿論北国の三月末だから防寒着も着こんで全身着膨れだ。僕が女の子だと思ったのは、その長い髪と衣服の色だったのだが(ピンクの防寒着を着ていたのだ)露出しているのはその髪だけという事になる。

 僕は黙って見ている女の子にもう一度声をかけた。

「ねえ、君、大丈夫? 何処か痛い所は無いかい?」

 女の子は大きなマスクの下では多分はにかみながら

「大丈てでじゃ。ありがどーごし。だば、なこそわさ係私り合いさのらど後で大変じゃし」

と言った。

「え?」

 女の子が早口でそう言ったものだから、一応大丈夫らしいとは分ったが、後は何を言っているのか分らなかった。が、こんな時、男は言葉じゃない、行動だと思い込んでいた当時の僕は、女の子の手を取り、起こしてあげた。女の子はマスクとメガネをしていても明らかにそれと分る(ハトが豆鉄砲を食らったような)顔をしていたが、ニコッと笑うと言ったのだ。

「おあんこさん、ありがどーごし」


 その晩、僕はその時の事を両親に話した。毒おなごって知ってる? と。母親は何それ? と笑ったが、父親は聞いた話だが、と前置きをしてから話してくれた。

 ここからひとつ山を越えた所に某という村があるのだが、かつてそこはいわゆる忍者の村であったそうな。そこでは男たちは勿論忍者に、女たちでさえも忍者として、雇われて大名に仕えていたのだという。その村の中でも【毒女】という一族がいて、彼らは今で言うハニートラップを専門とする者たちであったらしいのだ。特徴的なのは、その一族の女たちの容貌だ。みな誰もが認める美女たちだったのだという。中でも特に美しい娘は毒女様候補として選ばれ、しかし酷い事に、毒女様の名前の通り、少しずつ毒に馴らされ、ある程度成長すると、今度は梅毒に感染させられるさだめであったらしい。つまりは、その美貌でターゲットに近づき、まずは毒殺を企てる。自分がまず飲んで安心させ、相手にも毒を飲ます。それが駄目ならハニートラップの極みワザとして、相手に梅毒を移し、やがてはターゲットを死に至らしめる。そんな人間毒物兵器として、終いには使い捨てにされる最後であったのだ、と。それでも毒女様は毒女一族の【華】として皆から崇められる存在でもあったらしい。毒女様候補とされた女の子は、毒に馴染めず死んでしまう者が大多数。残った者でも梅毒によって、いく度かの任務の後に死んでいく運命だったらしい。しかしその人間毒物兵器の力は抜群で、彼女らを知る者にとっては恐ろしい暗殺の最終兵器として、今でも語り草となっているのだという。


「明治以降の文明社会では、勿論そんなコトをする人たちはいないがな。でも、その村のその一族出身だということで、今でも差別があるらしいんだな。田舎ならではの悪習というところか」

 その話を聞いて僕はなるほどと思った。多分彼女はその村のその一族出身なのだろう。子供達は親からその話を聞かされ、その結果、今でも虐めの対象に。そんなとこなのだろうな、と。


 四月になって、僕は中学の二年生に編入した。編入生にありがちな、始めはみんなから遠巻きに観察をされているみたいだった。僕は一応みんなの前で編入の挨拶をしたのだが、僕の言葉がいわゆる標準語だったので、皆からは総スカンを食らったようだ。

 ある日の美術の授業の時の事だ。好きな者二人一組で、お互いの顔を描きあう。当然僕は組む相手もいない。先生が余った者同士で組むようにと、心にグサッとくる様な言葉を言い放った時、一人の女の子が僕の前に立ったのだ。

「あんた、良がたきやわど組まね?」

 その女の子は大きなマスクをして、学校という場所には馴染まない、色つきのメガネをかけていた。僕はあの時の女の子を想像してしまったが、彼女は明らかに中学生らしい体格をしていた。でも……もしかしたらあの時の子の親戚なのかな? ふとそんなコトを想像してしまった位に彼女たちの雰囲気は似通っていたのだ。

「え? ああ、よろしくお願いします」

 僕は思わずそう言った。

「しそ者は洒落た言葉ぁ使うきゃ」

 そう彼女は笑ったが、教室は急にざわめき始めた。

「あの転入生丈夫てでかの? 毒おなごの事、すかふぇであげた方がいがの?」

「しそ者さ、よげのごどへるの」

 その時、僕は思った。クラスの奴ら、何話してるのかサッパリだけど、【毒おなご】という言葉が聞こえた。もしかしたら……そんな時、彼女が言ったのだ。

「な、いづぞやはおんじょがへわさなたんだでありがどーごしいござじょいした」

「え?」

「ああ、分らないか。いつぞやは妹がお世話になったそうでありがとうございました、そう言ったのよ」

 僕の予想はやっぱり当たっていたのだ。しかし当時の僕は自分の正義漢振りが恥ずかしくもあったので、あえてそれには口を閉ざした。彼女は少し首を傾げていたが、それ以上は何も聞いては来なかった。

 その美術の授業中、彼女は顔を描く授業にも拘らず、大きなマスクと色メガネはしたままだった。彼女はこれが学校での私の姿だからそのまま描いて、そう言ったのだった。


 それから弐月が経ったが、僕は相変わらずクラスには馴染めていなかった。地元の言葉に慣れなくて、口数が少ない、コレが一番の理由であると思うのだが、まあしょうがない。転校も多いので一人は割りと慣れている。それにずっとここで暮らすと言う訳でもないのだ。

 僕の話し相手はと言えば、大きなマスクに色メガネの工藤さん。あれから、彼女とだけは少しだけれど親しくなったのだった。というのも、彼女もクラスでは僕と同じ様に皆から無視をされていたからだ。というか、一人でいる事を好んでいるみたいだった。僕が彼女の事を他のクラスメイトに聞こうとしても、彼女は特別だかきや……と言葉を濁して多くを語りたがらないのは、親父が言っていた毒女の話に関係があるのだろう、そう考えてもいたから、それ以上は僕も深く突っ込む事はしなかったのだ。


 その日は夕方から雨が振り出した。いわゆる梅雨時なのだからしょうがないが、北海道は梅雨が無いのに、海峡を隔てているとは言え、ここに梅雨があるのはどうしてなんだろう? そう思いながらも僕は折り畳みの傘を鞄から出して帰りの準備をしていた。クラブ活動をやる気にもならず、当然帰宅部だったのだ。

 と、下駄箱のところで工藤さんに会った。工藤さんは傘の用意が無いらしく、雨の様子を伺っているようだ。

「ねえ、工藤さん、良かったら、途中まで一緒に帰らない?」

 僕の言葉に工藤さんは大きなマスク越しにニコッと笑ったようだった。

 僕の家は学校から歩いて十分足らずのところにあった。工藤さんはその近くのバス停からバスに乗るのだという。

「じゃ、工藤さん、これ持っていってよ。返すのはいつでもいいからさ」

 バスが来るまで一緒に居て、そう言った僕に、彼女はこう提案したのだ。

「佐藤君、良かったら今から家に来ない? 妹も喜ぶと思うから」

「え? でも……」

「いがきやむつけら来のし! いいから来なよって事!」

 そうして僕はそのバスに一緒に乗る事になった。

 バスは割合混んでいた。僕たちを見ると乗客たちは顔を突き合わせてひそひそと何かを話しているようだったが、彼女はそんな事には慣れっこのようで、何とも気にしてはいない様子だった。ところが時間が経ち、バスが終点の某村に近づき始めると、乗り込んで来る乗客たちは、皆彼女の所まで来て挨拶をするのだった。

「お嬢様、こんにずは。ご機嫌は如何じゃか」

 彼女はそんな人たちにただ会釈を交わすだけだった。

 バス停を降りてから少し歩くと立派な門構えの家があり、そこが彼女の家なのだという。

「工藤さんて、お嬢様なの?」

 そう言った僕に彼女は何も答えてはくれなかった。

「ただえま! お客さんが一緒だがきやきゃ」

「は~い!」

 バタバタという足音と共に姿を現したのは、髪の長い、あの時の少女と思わしき女の子だった。

「あい、いづぞやのおあんこちゃんだ!」

「やっぱりんだったのきゃ。ほきや、ちゃんどお礼ばいいまれ」

 工藤さんもいつもは決して外さないマスクを外し、メガネをとって妹にそう促した。しかし僕は驚きの余り何も言えなかったのだ。

 だって、工藤さんもその妹さんも、その素顔は驚くべき美少女だったのだから。そう、髪は漆黒のカラスの濡れ羽色。肌は雪のように白く、目鼻立ちはあくまでも整い、唇は薔薇の蕾のようだ。美人であり、可愛くもあり、上品でもある。今流行のアイドルグループにいてもトップは間違いないだろう、いや、それ以上の美少女達だったのだ。

「おあんこちゃん、あの時は助かいてぐれてありがどーごしござじょいした。ほきや、あがて! あがて!」

「佳代子、この人はしそ者だかきや、言葉は標準語で話してあげて」

「え? ああ、そうか。分った。お兄ちゃん、佐藤さんっていうんでしょ? おねえから聞いてるよ? ほら、あがってあがって」

「佐藤君、いつぞやは妹がありがとうございました。初対面の時に一応挨拶はしたんだけど、本当に貴方なのか半信半疑だったのよ。今日ようやく本当のお礼が言えて私も嬉しいわ」

 そう言って微笑む工藤さんはまるで本物のお姫様の様に見えた。


 その日は夕飯まで御馳走になった。工藤家は工藤さんの他に、妹の佳代子ちゃん、お母さん、おばあさんの女系家族で、父親は佳代子ちゃんが生まれる前に家を出たのだという。家を出たという意味は……つまりはそういう事なのだろう。

 おばあさんは体調が悪いというコトで姿は見せなかった。他には使用人である老人が一人。工藤さんのお母さんもまるで女優さんのように綺麗な人だった。多分近所でも評判の美人一家なのだろうと僕は思った。

「佳代子も助けて頂いて、朋子(それが工藤さんの下の名前だ)とも仲良くしてくれてありがとうね。この子たちは我が家のしきたりで外では顔を隠してるから……これからも娘たちと仲良くしてあげてね」

 お母さんは帰り際に涙をハンカチで拭いながら僕にそう言った。

 帰りは工藤家に住み込んでいるという使用人が、車で僕を送ってくれた。先に工藤さんが話してくれていたのだが、作蔵というその老人は、お婆さんの代から工藤家に住み込んで色々な世話をしているのだという。

「坊主、御上さんはああ言ったが、余り仲良ぐすらびょんぞ。なの為さはだばねかきやの」

 家の前で車から降りる際に、老人は僕に向かってそう言ったのだ。

「え?」

 老人の言葉はネイティブでしかも早口だったから半分以上は分らなかったが、多分彼女達と仲良くするな、お前の為にはならないから、という意味だと思った。僕の為にならない? 工藤さんの家が毒女の家系というコトと何か関係が? 一瞬そんな考えが僕の中に芽生えたのだが、親父も言う通りに平成のこの時代にそんな馬鹿なことがある訳が無い。やっぱり老人がよそ者に対する嫌悪感からそう言ったのだと思い、僕はただ黙って頭をひとつ下げた。


 次の日からも同じ様な学校生活は続いた。相変わらず僕はクラスの連中とは馴染めず、工藤さんとだけ付き合う様になっていった。そして土日になると、彼女の家に遊びに行くようになった。学校での彼女と家での彼女はまるっきり違って見えたし、家での彼女に僕はいつしか恋をしていたのだ。


「ねえ、佐藤君、私たちがなぜ外では顔を隠しているのか知ってる?」

 ある土曜の午後、工藤さんが突然こんな事を言い出した。

「うん、一番最初にここに来た時、お母さんが我が家のしきたりでって……そうでしょ?」

「ああ、そうか、そうだったよね。そもそも我が家は昔【毒女様】を多く生み出してきた家系なんですって。毒女様っていうのはね……」

「うん、話にだけは聞いてる」

 僕はいつか親父が話してくれた事を彼女に話して聞かせた。

「うん、大体はそんな感じ。でもそれは大昔の話よ。多分尾ひれもいっぱい着いていると思う。けれど、今もこのあたりの連中は私たちを変な目で見てるのよ。平成のこの時代によ? 信じられる? それに我が家のしきたりにしたって……」

「うん……」

 工藤さんも今の自分の生活に疑問を感じているんだなと僕は思った。

「私ね、多分高校まではこの地元で過ごすと思う。でも、大学生になる時には他所へ出るの。多分母親は反対すると思うけど、決めてるの。いつまでもここで死んだように暮らすのなんて私は嫌だもの」

 そう言った工藤さんの目は真剣だった。

「そうだ、大学生になった時、同じ街に住んだら面白いよね。工藤さん、東京に出ておいでよ。きっと僕も東京の大学に行くからさ」

 僕は色んな事を想像しながらそう言った。

「うん、そう出来たらいいわね。きっと素敵だわ」

 そう話したのは僕達が中学二年の冬の事だ。


 それから暫くして、三月を待たずに僕は、また引越しをする事になった。親父が本社に戻る事になったのだ。どうやらライバルの失脚もあり、親父が急遽栄転という形になったのだった。


 引越しの前日、僕は工藤さんの家を訪れた。彼女は僕が引越しをするという話をしてから口数も少なくなり、なんとなく付き合い難くなっていたのだ。それでも僕は工藤さんに恋をしていたから、最後に話がしたい、そう思っての行動だった。

「あの、工藤さん、僕、明日引越しするんだ。これまで仲良くしてくれてありがとう」

「本当に行ってしまうのね。今度はどこ?」

 彼女は学校とは打って変わって、優しげな表情で僕にそう言った。

「うん、今度は東京。多分これからは暫くそこに定住する事になると思うんだ」

「へえ、東京か。それじゃ、後四年もしたら私も大学で……」

「うん、そう出来たらいいよね」

 そう言った僕に彼女は近づくといきなりキスをした。唇に暖かい、ふわっとした感触が残った。

「?」

「これは契約の証。後四年後に東京で。忘れないでね」


 その晩僕は突如体調を崩し、意識も朦朧とする中、北のA県から東京に引越しをし、そのまま病院に入院する事になった。

「息子さんは、何か毒物を摂取されたようですな。心当たりは何かありますか?」

 僕が入院した病院では、そのような会話がなされていたのを僕は当然知らなかった。

「まさか、息子はまだ中学生ですよ? そんなことは……あ、いや……まさかな……」

「毒物は砒素が疑われますが……」

「砒素ですって……」

 僕が病院を退院できたのは、それから壱月後だった。


 中学三年からは、僕は東京の中学に通うようになった。東京は元々僕の生まれた街だったし、両親も良く知る街であったから生活は快適だった。

 いつしか北国での数ヶ月の記憶は、徐々にではあったが新しい刺激によって薄れていくようになった。まるで深海に降り積もるマリンスノーが、やがては広大な海底を埋め尽くしてしまうように。そしてマリンスノーが積もった海底が美しく見えるように、北国での記憶も美しいものとして、僕の中に残った。


 今でも時々、思い出す。あの子は元気でいるのだろうか? 北国の美しい少女。恋していた自分。初めてのキス。そして毒女の伝説。彼女は言っていたっけ。大学生になったら東京で。忘れないでね。


 そしてこの春、僕は大学生になる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

毒女 黒猫くろすけ @kuro207

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る