第2話

「ふぃー! 終わったー! よっしゃ。文月ー雪ー。どっか行こーぜー」

「用事があるからパス」

「えー!」

「俺も悪いけど…」

「ええー!」


「なんだなんだお前ら最近ノリが悪いなー」

「仕方ないだろ」

「ごめん。また誘ってくれ」

じゃあまたと小走りで教室から出ていく文月。

「……文月どうかしたんかね?なんか変だよな」

「さあ?でもなんか嬉しそうだよな」



「……、」

「葉月、帰ろ……って、葉月、携帯鳴ってるよ」

「……え、あ、本当だ。家から電話だ」

「もしもし? あ、お姉ちゃん。どうしたの? 学校? うん。今から帰るところだよ」

「え? これから?」

「うん。うん。分かった」

「うん。それじゃああとでね」


「ごめんね、私用事ができたから先に帰るね」


*****


「琴葉さん」

あの日に彼女と出会ってからは毎日のように学校が終わるとここへと向かっている。

「ふふふっ。こんにちは、文月くん」

ここへ来ると彼女はいつもそこにいて、声をかけて視線が絡むと嬉しそうに笑ってくれる彼女を見るのがたまらなく嬉しくて、学校が終わると会いたい気持ちが逸り急いでここへきてしまうようになった。

「すみません。早くしないと日が沈むって思って」

 毎日のように会っているといっても会う時間は文月が学校を終わってから陽が沈む前。そんなほとんどない、彼女とのそんな貴重な時間を少しでも長く続けたいと思う。

人気のないこの神社に彼女と自分、二人しかいないこの空間でただくだらなくとりとめのない会話をする。そんな何気ない日々が文月にとって充実していると感じさせた。



ふ、と遠くから誰かと会話をする声がだんだんこの神社へと近づいてきた。


「あ、文くん!」

「葉月?」

 ジャリ、と靴と地面の擦れる音がし、よく知っている声が弾んで聞こえた。

視線を移して見ると階段を上ってきたであろう、葉月がいた。

「どうしてここに?」

文月がここに来るようになってから今まで彼女を見たことがなかった。

「私は人と待ち合わせなの。文くんは? ……あ、もしかして文くんが最近急いで帰るのはいつもここに来てるから?」

「うん。そうだよ。人とここで待ち合わせをしてるんだ」

 約束はしていない待ち合わせ。

「そっか。神社から文くんの話し声が聞こえてきたから、びっくりしちゃったよ。……でも、あれ?」




――もうその人帰っちゃったの?





「――え?」

「? だって文くんしかいないよね? 話し声が聞こえてきたから誰かと一緒にいるのかなって思ったんだけど」

 え?

 葉月の言っていることがわからなくて、言葉をかみ砕いて理解しようとゆっくりそこに、文月の前にいる彼女――琴葉を見る。

さっきまで話していた時と同じ場に彼女は変わらずにいた。

文月が見た先には彼女が確かにいる。

目を伏せうつむいた彼女が文月には見えている。

もう一度葉月に視線をやって確認をする。

「? 文くん?」

「そこに、」

琴葉がいる場所を指す。

「そこ? さっきまでそこにいたの? 入れ違いになっちゃったのかな」

……あぁ。そうか。

文月の前には琴葉がいて、文月の前には葉月がいる。

 だけれど、葉月の前に文月はいても、琴葉はいない。

 文月の目の前には彼女は存在しているのだ。だけどそれは文月の前にしか存在していないのだ。

「琴葉さん」

 嘘ですよねと言いたくて、だけど怖くて直接聞くことは憚れて。

「琴葉さんっ!」

 名前を呼んで返事をしてほしいだけなのだ。

 ただそれだけ。それだけなのにうつむいた彼女は何も答えない。

「……本当に?」

彼女のことを知ってしまったから、彼女のことをなんて気づきたくなかった。

 気付かなかった衝撃はじわじわと体に刻まれていった。

「文くん、どうしたの?」

不思議そうに、だけど困ったように葉月は言う。

滑稽だ。

文月が誰にもいない場所に向かって一人喋っているようにみえているのだろう。

惨めだ。

誰にも知られたくないと思ったのに、誰にも見られることはないと気付いたから。

「っ、」

何か言葉を出したかった、だけど何も言葉が出てこなかった。



 ――ごめんなさい。


走って神社から立ち去るとき、 一瞬、蜃気楼のように誰かが見えた気がした。

目の前はぼやけて見えるのに、呟かれた言葉は文月の耳にはっきりと届いた。


それは何気ない日々が何気ない一言で呆気なく崩れ去った瞬間だった。




*******




――少年には幼いころから視えていた。何がと言われればナニかというしかないものが、だ。

そこに人がいれば見えるように、少年にはそこに何かがいれば視えていた。

だけれど、少年にはそれが見えているのか、視えているのか、違いが分からなかった。

少年は幼いころはそんな些細な違いなんて気にしていなかった。だってそこにいるとわかるのだから。

だけれど、周りは違った。

見えているものが視えなくて、周りと自分と見えているものの違いが如実になるにつれ、気味が悪いと、おかしな子だと蔑まれ疎まれ避けられた。

人は人との違いを気にして、みえているものがすべてなのだと大人はいう。

ならば少年が見ていたものはなんなのだろう。少年が見ているものはなんなのだろう。

幼稚園からの帰り道に、お母さんと自分と友達と友達のお母さんと一緒に歩いていたとき、少し行った先におばあさんがいてきょろきょろとあたりを見ていたから、走って行って声をかけた。だって何か困っているのだと思ったから。

少年を見ておばあさんは困ったように笑った。

『迷ってしまったのだけれど、ここがどこだかわからない』と。

それを聞いておばあさんは道に迷っているのだと思った。

幼い少年は道をあまり知らなかったから、お母さんに教えてもらおうと振り向いて聞こうとした。

だけど、少年の母を含む彼女たちは少年を変な顔で見ていた。

だってそこには誰もいなかったのだ。彼女たちには誰にも見えていなかったのだ。


少年は奇異な視線を向けられるたびに不快な思いはしたが、目の前で困っている人がいるのに素知らぬふりをするのはどうかと思ったのだ。だって自分が困っていたら助けてほしいって思うから。

だから声をかける。見ているのか視ているのか違いが判らないのに。

そんな少年のことを周りは虚言だといったが親はこんな少年を信じてくれていた。そして困っていた人がいたのなら少年が起こした行動は正しいと。そういって少年を受け入れてくれていた。

だけれど、親だけが信じていようと世の中というのはそう問屋がおろさなかった。

例え親が信じていても周りの多数が信じなければそれは虚言と一緒なのだと、大人である親は子を心配した。これから先もこうなってしまったらこの子は一人ぼっちになってしまうと。だから親は探した。もしかしたら脳に異常があってこうなっているのかるもしれないと病院へと行った、何か呪われているのかもしれないとお祓いもした。けれども何も変わらなかった。

そしてそういったことが起こるたびに親は憔悴していった。

無言の視線に耐えられなかったのだ。見つめる視線にひそひそとうわさされる声に。

そして親は死んだ。書き置きと信じていた少年だけを残して。

『少年がこうなってしまったのは親の責任だ、だけどあなたはとても優しい子です。あなたはあなたらしく背筋を伸ばして生きてほしい、愛しています』と、そんな最期の言葉を残して。


何が親の責任なのか、少年を生んでしまったことが責任なのか、それともこんな子供と共に生きることが出来ないことか。

そんなもの幼い少年は分からなかった。

分からなかった。親がもう戻らないということを。

分からなかった。どうして自分だけを残していってしまったのかと。

信じていると言ったのに、信じていた人がそばにいなくなった。

信じていようが意味がなかった。

いなくなってしまったということは、受け入れられないということではないのか。

結局言葉にしたところで伝わらなければただの無責任な中身のない上部で、ただ喋っているだけに過ぎないのだった。


たったそれだけのこと。だけどそれが少年にとって重い枷として責として残った。

だから少年は幼いながらに理解した。知っている人だけ自分から声をかけて、知らない人は自分が知っている人が話しかけたり何かしらのアクションがない限りは自分から行動することはしないと。

そうすれば責任は相手にあるのだと。もう苦しむこともないのだと。



そう思っていた。だから今までそう過ごしてきた。

なのに分かっていたのに、彼女に声をかけた。つい、どころではない無意識に声を発したのだ。

初めてだったのだ。

こんなにも揺れ動いたのは。

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