第1話

――夕刻。

学校から家までの家路、それは犀川文月にとってはいつもの帰路だった。

この町は田舎で周りは田畑だらけなため、見渡しも良く、誰か人が通るなら直ぐに分かる。

そんな田畑が一面見える中に唯一舗装されている細道を歩いて帰っているとき。

ふと、何処からか音が微かに聞こえてきた。

――なんだろうか。犀川はそう思ったが、こんな地元の人しか通らないような場所ならば音も聞こえてくるだろうと、別に気にするわけでもなく通り過ぎようとした。

なのに何故だろうか。その音が何か自分を惹きつけた。惹きつけて、引きつけて。自然に足は音がする 場所へと向かった。

一歩一歩、音がする場所へと近づいていて、ハッキリと鮮明に聞こえてくるようになる音色。

音を頼りに辿り着いた場所は、とある小さな神社だった。

神社は田畑の中にポツンとあり、木々に囲まれているために神社が見えにくくて、ここも地元の人しか知らない場所である。

神社は木々の高さと合わせるように少し高め位置しており、境内へと入るために数段ある階段を一段一段ゆっくりと上る。

そして上りきり、音の正体を見つけた。


そこにいたのは一人の女性だった。

彼女を見たとき。その姿を見て息を呑んだ。 腰ぐらいまである長い髪。服は現代風の洋服ではなく、古典的な袴姿の和装。 そして音の根源であった横笛。

こちらからでは、顔は横顔しか見れないし、年齢も名前も知らないが、それでも。

まるで描かれた景色を見ているかのように、綺麗で美しいと感じた。

 風が木の葉を揺らすように、風が彼女の髪を揺らし。 彼女が楽器を奏でるように、木の葉が音を奏で。 風が、葉が、楽器が。 彼女の周りにある全てが彼女に似合っていて、この場所も彼女も映えていて互いに彩を引き立てていた。

もっと見ていたいと、聞いていたいと、そう思ってしまって。だから彼女の演奏が終わるまで、ずっと立ち尽くしてしまっていた。それ程までに見入って、聞き入ってしまった。

「――凄い、」

だからだろうか気付いたときには、勝手に口から率直な感想を呟いていた。

「え?」

聞こえていた音が消えた。

楽器を吹くことに夢中だった彼女は自分以外の誰かがいるとは思っていなかったのか、思わず犀川が「凄い」と呟いた瞬間に彼女は驚いたように、吹いていた横笛を口から離し、バッと振り向き文月がいる方をを見た。

 横から正面へと振り向いた彼女の顔は、最初に抱いた印象通りに変わらず綺麗だと感じた。

だがどこか、振り向いた時の彼女の表情は、驚きと戸惑いが入り混じっているようにも見えた。

「……聞こえたの?」

だけどそれは一瞬のことで、見惚れて何も言えずに呆けていた犀川に再度彼女が喋りかけてきたときにはもう驚きも焦りも何も感じられなかった。気のせいだったのだろうかと思うほどに彼女は淡淡と喋っていた。

「勝手に聞いてすみませんでした」

彼女の吸い込まれそうな透き通る声と不可思議な彼女の変化に驚いたが、どきどきと鳴るそんな彼の心情とは逆に彼女の声はとても静かに凪いでいた。

「そう、聞こえたの」

そして彼女は少し間を空けて、こう言った。

「別にここは私の場所ではないから、気にしないで。この場所って、なんだか凄く落ち着くの。 人も滅多に通らないし、――それに誰も気付かないから」

でも勝手にこんな下手な演奏してここの神様に失礼かも。 苦笑しながら彼女はそう呟いた。

「いつも此処で吹いているんですか?」

いつも此処であの音を奏でているのだろうか。

「うーん、此処には良く来るけど、これを鳴らしたのは今日が初めて」

 手に持っている横笛をぷらぷらと揺らす。

「そうなんですか。……あの、また来てもいいですか?」

なぜこんなことを言い出したのか自分でもわからない。

文月は自分から初対面の人に話しかけることもしなければ、初対面の人に積極的に話しかけることもしない。

それなのに今日は話しかけたりと積極的になっている自分につくづく不思議だと思っている。

だけどただ、今日だけでさよならなんて勿体無いと思ったら、つい“また”なんて言葉が勝手に口から溢れてしまった。

「え? ここに来るのは自由だと思うけれど?」

「えっと、そうではなくて」

ここに来るのは自由なのにそうではないと彼女に言ってしまった時点で彼女に対しての“また”という意味なのはバレてしまっているだろうが、どうしても「あなたに会いたい」とも「あなたの奏でる横笛を聞きたい」ともそんなことを言ってしまってもいいのかと口ごもる。本心ではあるが初対面の人にこんな直接的な言葉を言ってしまえば引かれてしまうのではないかと考えると、何と言えばいいのか言葉に詰まってしまったのだ。

「それは、聞きに来るの? それとも会いに来るの?」

そんな戸惑う文月の内情などを知らない彼女は言葉にして開示した。

「…………両方、だと思います。あの音も聞きたいですし、音を奏でている貴方にも会いたいです。 ……駄目、ですか?」

結局何も思い付かずに思ったことを言ってしまったが、例え変に思われたとしても、それでもこれが文月にとって率直な意見だった。

「……貴方じゃなくて、水無月琴葉」

「え?」

「私の名前。ちゃんと名前で呼んでくれるなら、いいよ。呼び方はご自由にどうぞ? 水無ちゃんとか、琴葉ちゃんとか。苗字と名前を合わせて、水無葉ちゃんでもいいよ? あっ、でも琴きん葉ばとかはやめてね。確かに琴で、きんって言うけど。 なんか金歯って言われてるみたいで嫌だよ?」

初めて会った人に対して会いたいなどと戯言を言っているようなことは百も承知だった。だから、気味悪がられて何を言われても仕方ないことだと思っていたのに、まさかそんな事を言われるとは思わず驚いた。

「あ、えっ? はい、分かりました。えっと…… 琴葉、さん?」

吃る自分に、彼女はふふふっと、とても嬉しそうに笑うから、自分もとても嬉しくなって口角が自然とあがってしまう。

それがまた美麗で奇麗で。

「うん、宜しくね。あっ、えっと名前聞いてなかったね。自分の名前だけ教えて貴方の名前は教えてくれないなんて不公平だよ? ねぇ名前、聞いてもいいかな?」

「犀川、犀川文月です」

「へぇー犀利の犀に、河川の川、そして月名の文月かぁ。いい名前だね」

「有難うございます。とても気に入っている、 大事な名前なんです」

「そっか。名前は大事にしないとね。親からもらった一番のプレゼントだから。きっと君のことを思って名づけてくれたはずだから」


 ~♪ ~♪


 五時を知らせる音楽が流れだした。

「あっ、もうこんな時間か。大分空が暗くなってきたね。久しぶりに誰かと話せるのが嬉しくてもっと話したいけど、ここら辺は街灯が全然ないから夜になると周りが見えなくなるし、そろそろ帰ったほうがいいかも」

「いえ、自分も嬉しかったので。でもそうですね、遅く帰ると祖父や祖母も心配するだろうし――あっ! 祖父と約束をしてたんです。あの、」

「私は大丈夫だから、早く家に帰ってあげて?」

慌てふためいている文月を余所に、意味を察した朝凪は文月の言葉を途中で遮り喋った。

「でも……」

「きっと文月君が帰るのを待ってるから、早く帰ってあげて」

――ねっ? 首を傾げながら笑顔で言う彼女に逆らうことも出来ず、彼女の厚意に今回は甘えることにし た。

「すみません! 本当なら送って行くべきなん ですけど……あの、本当にすみません、ありがとうございます。琴葉さんもお気をつけて」

そういうと颯爽に舗装された道路を犀川は走って行った ――――待っている人の元へと。


「気をつけて……か。うん、そうだね。気をつけないとね」

一人取り残された琴葉は走って去っていく 文月の後ろ姿を眺めながら、誰に言うでもなく、ぽつりと呟いて消えた。



*****


「ふぅ……」

家の前に着いた時には既に陽は沈み辺りは暗くなっていた。 さっきの場所から家までずっと走って帰ってきた為、息が苦しいが二人に心配されないように 一旦呼吸を整えて落ち着かせてから家の戸を開けた。

「おじさん、おばさん。ただい……ま……?」

「おそーい! 遅い、遅いぞ!」

戸を開けて視界に入ってきたのは、上り框付近で正座をし鋭い眼差しでじーっとこっちを見ているおじさんの姿だった。

「……あっ、え…っ? す、すみません」



「早く帰ってこないと、ゲームをする時間が短くなるじゃないか!」


「すみませんでした」

「以後気を付けるように」

「はい」

「うむ。分かったなら宜しい。おかえり。早く家に上がってゲームをするぞー」

それだけを言うとおじさんは家の奥へと去って行った。何故おじさんが玄関で、しかも正座で居るのか 分からず放心していると、今度は奥からおばさんがこっちに向かって歩いて来た。

「おかえなさい。ふふふっ。おじいさんったら、文月君が帰ってくるのが遅いから心配してずっとそわそわしてたのよ?」

「えっ?」

「そんなに心配なら外に行って探しに行って来たらどうですか?って言ったら、あの人何て言ったと思う?」

分からなくて首を横に振る。

「あいつだってもう小さくないんだから、心配しなくても大丈夫だ、ですって。それにもし探しに行って見付かったり、入れ違いになったらどうするって言ってたのよ?」


「心配してないならどうしてずっと正座して待ってたのかしらね。全くどっちが子供なのか分からないわよね?」

素直じゃないと。おばさんは言う。

「さて、まずは手を洗ってらっしゃい。それからご飯にしましょう」

「はいっ!」


これが犀川文月の日常――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る