第102話:エミーナ・ノートルマス〜肉々しい肉〜

 お肉が走ってくる。

 いや、走ってくるのは確かにお肉なのだけど、まだ生きているし、肉と形容するにはまだ必要なステップを三つ四つ経なければならないか。

 有り体に言ってしまえば、猪だ。

 猪がこちらに向かって走ってくる。

 そういえば、死んでからお肉を食べただろうか。

 特に気にしていたわけではないが、お肉らしいお肉は食べていない。

 死ぬ前の体では少し胃が弱くなっていたこともあってしばらくは避けるようにしていたから、その影響かもしれない。

 今の体なら若く、肉をお腹一杯食べても平気だろう。

「よし、今日のお昼御飯は猪の丸焼きだ」

 背負っていた大斧を、肩を支点にして持ち上げ、一気に振り下ろす。

 鈍い刃が、向かってきていた猪の額をかち割り、猪が肉に一歩近づいた。

 倒れた猪を食べようかと思ったものの、よく考えたら俺は猪を肉にする術を持っていないことに気づいた。

 猪の丸焼きで見たことがあるのは口から尻まで芯を通して、焚き火で炙る形。

 見たことはあるが、猪の死体をそのまま炙っているだけなのか、そうでないのか。

 攻めて皮だけでも剥ぐべきなのか内蔵も出すべきなのか、そもそもこの猪は食えるのか、なにもわからない。

 どうしたものか。


 とりあえず、やらないと不安なことはやってしまおう。

 なんとなく、イメージで、確証はないが、なんとかなる、と思う。

 とりあえず、皮を剥ぐか。

 ナイフなんて持ってないぞ?

 持っている刃物は、大斧だけだ。

 思いっきり振るえば斬れるか?

 いや、仕留めたときは大斧を額に叩きつけたが、頭蓋骨が砕けただけ、皮は破れていない。

 柔い腹ならいけるだろうか?

 よし、やってみようか。

 頭を地面に叩きつけられた状態で絶命している猪をなんとかひっくり返し、腹を上に向ける。

 触って感触を確かめ、いけそうな気がする、あくまで気がするだけだが、いけそうなことを確認する。

 斧を振り上げて、短く息を吐きながら猪の腹めがけて一気に大斧を振り下ろす。

 その一撃は強靭な皮膚に跳ね返されて、よろけた俺は斧の柄で頭を打った。いてぇ。

 もうだめだ、皮を剥いで内蔵を抜いてなんてやってられない。

 このまま、焼く。

 大斧の柄を猪の口に突っ込み、何度か刺し直しながら、やっとのことで尻の穴まで貫通した。

 斧の柄が猪の糞まみれになってしまった、最悪だ。

 やはり内蔵は抜いておくべきだった。

 しかし、もう後戻りはできない。

 周囲から木々の枝を集めてきて、焚き火を作る。

 着火は魔法アプリを使う。

 そこまでやってから、軸を置くための支えがないことに気づき、自力で持ち上げて焼くことにした。めちゃくちゃ重いが、なんとかなる。

 だんだん自分が何をしているのかわからなくなったが、まだ大丈夫だ。

 火にかざしてみると、毛皮が燃えた。

 うおお、これなら火の通りもよくなるに違いない。

 いいぞ、いい感じだ。

 だんだんいい臭いになってきたな、もうそろそろか?

 一度火から下ろしてよく見てみる。

 うん、昔見た肉とは違う感じだが、野生の猪だからだろう。

 えーと、丸焼きにしたらどうやって食えばいいんだ?

 とりあえず、腹とかの肉を切り分ける手段が今はないし、そうだ、脚だ。

 脚ならなんとか捻ったりして間接のところから引きちぎれるんじゃないか。

 試しに後ろの脚の先を握って、思いっきり捻る。

 メキパキメキと間接の砕ける音がして、なんとか焼けた脚を本体から外すことができた。

 かじってみる。

 んー、食えないことはないが、肉ってこんな感じだったか?

 なにか違うような気がする。

 しばらく考えながら食べていたが、脚を一本食べたところでお腹がいっぱいになりそれ以上食べられなくなって、残りはそのまま放置して帰ることにした。

 今日の晩ご飯は、焼き肉の店に行こう。

 思い付きで野性動物を食べるもんじゃない。

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