幸村の知謀に福島正則が敗北する

さて福島ふくしま正則まさのりは自分の陣所じんしょへ立ち帰り、一同の臣下に御前ごぜんにおいて真田さなだ幸村ゆきむら久開山きゅうかいざん石城せきじょうが落る落ないの賭をいたした赴きを申し開けた。


正則まさのり信州しんしゅうのお雛め、偉いことをかした。これこれこうだ。明日あす正午しょうご時まで石城せきじょう薩兵さっぺいを落すということだが、落る気遣きづかいはない。幸村ゆきむら明日あす正午しょうご時までに久開山きゅうかいざん石城せきじょうを落せなければ彼は軍師ぐんし大役たいやくを捨てて、信州しんしゅう上田うえだかえ農夫のうふとなると吐かしおった。それから賭をした。もし落ちれば俺の首をやることになった。けれども明日あす落る気づかいはない。しかし落城らくじょうをさせるとかしたから幸村ゆきむら、今晩のうち内々武者押むしゃおしに及び刻限こくげんを早くかかられてはならぬから、大橋おおはし茂右衛門もうえもんかつら市兵衛いちべえ両人りょうにんにて、幸村ゆきむら挙動きょどうをどういう様子ようすか探ってまいれ」


■■■ かつら市兵衛いちべえ大橋おおはし茂右衛門もうえもん福島ふくしま家で最強に数えられる家臣である。他に大崎おおさき玄番げんばなどもいる。性格は福島ふくしまに似て全員乱暴、あまり知性はない。大橋おおはし茂右衛門もうえもんは声が大きく全身傷だらけという特徴を持つ武将、かつら市兵衛いちべえは身長140センチだが肩幅150センチという驚異の肉体を持つ怪力の男である。幸村ゆきむら薩摩さつま落ちした後に真田さなだ大助だいすけが広島にてかつら市兵衛いちべえと合流し、共に徳川侍を打ち懲らしている。


腹心ふくしん両人りょうにんに申しつけましてございます。よって両人りょうにんは秘かに幸村ゆきむら宿所しんじょへ参り動静どうせいを伺って見ますと、十二三の供方ともかたをつれて信州しんしゅうから来たのだ。幸村ゆきむら軍勢ぐんぜいというものは全でくない。久開山きゅうかいざんを落すには諸将しょしょう軍勢ぐんぜいを出さしてその方を借りて落すのかと、所陣しょじんを探って見ると、そんな気色けしきは少しもない。夜半やはん両人りょうにんかえり、福島ふくしま正則まさのりにそのおもむきを申し述べました。


正則まさのり信州しんしゅう幸村ゆきむらは下宿に寝ている。そうか。なにしろがたまで挙動きょどうを探ってまいれ」


こうして、またも両人りょうにんを出す。がたに立ち返ると、


両人りょうにん「まだ安眠あんみんをしている様子ようすでございます」


正則まさのり「そうか」


れしているうちに、夜はホノボノと明け渡り、丁度ちょうど当日とうじつ天正てんしょう十五年の一日の八朔はっさく(お祝いの日、徳川家康江戸入府の日にあたる)でございまする。正則まさのり早朝に支度をいたし、小具足こぐそくをつけて八代やつしろに登城をたし、殿下でんかのご機嫌を伺います。そのうち加藤かとうも登って参る。黒田くろだも上る。浅野弾正だんじょう大弼も登って参る。八朔はっさくの登城、殿下でんかのご機嫌を伺います。然るに真田さなだ幸村ゆきむらは更に登城に及びません。福島ふくしま正則まさのりは心中に、


正則まさのり真田さなだめ、諸侯しょこうかくのごとくご機嫌を伺う中に、真田さなだ一人は如何いかがいたして登城を致さず、殿下でんかのご機嫌を伺う気色けしきさらになし。ハハア、さては幸村ゆきむらめ、今日久開山きゅうかいざん石城せきじょう落城らくじょう致さぬため、昨日は場合でああいう豪いことを申し述べやがったが、彼奴病気を披露して今日の賭を逃れる工夫だ。福島ふくしま正則まさのりその儀は相成あいならん。病気と申したら引っくくっても来させてやろう」


と、苛ついて殿下でんかへ向い、


正則まさのり「恐れながら幸村ゆきむらまだ登城も仕らん。察するに病気と披露をいたすやも図られず、なにとぞ上使じょうしを差し向けられ早々幸村ゆきむらに登城を命ぜられ然るべく」


と申し上げた。殿下でんか幸村ゆきむらの登城が遅いから、それとも当日とうじつ落城らくじょうを致さぬを知って正則まさのりが察する通り病気の届けをいたすのかも知れぬ。御自分の小姓を真田さなだ幸村ゆきむらの許へお遣いになった。幸村ゆきむら上使じょうしを受けて早速支度に及び、六連銭の大紋を着用ちゃくよういたし、烏帽子を頭に頂き、今に戦をするという気色けしきは更になく、殿下でんかのお上使じょうしと共々に、四五人の家来けらいを連れて八代やつしろ大手おおてより悠悠として登城に及び、殿下でんかの前にまかり出で当日とうじつのお喜びを申し上げ、諸将しょしょうに向って、


幸村ゆきむら「各々方、当日とうじつ八朔はっさくの御祝儀お目出たく存じそうろう」


と申されければ、一同の諸将しょしょう軍師ぐんしなれば、


一同「御尤もにござそうろう。先ずもって目出たく」


と挨拶をいたしましてございます。ソコで幸村ゆきむら石城せきじょうめのことは気振りも見せない。やや半時ばかり殿下でんかのお前に控えおりましてございます。福島ふくしま正則まさのり幸村ゆきむらの顔をヂロヂロ見ていたが、如何いかにも堪りかねたと見て、


正則まさのり「アイヤ軍師ぐんし石城せきじょうめはヨモや失念はあるまいな。今日の正午しょうごまでに落城らくじょうをさせるお約束、失念はあるまいな。忘れはいたすまいな」


幸村ゆきむらこれをうけたまわり、


幸村ゆきむら「決っして忘れは致さぬ」


正則まさのりしからばなぜに石城せきじょうめる武者押むしゃおしの支度をいたさん。モウ今にも巳刻だ」


今の十時に近うございます。


正則まさのり「これから石城せきじょうまで一里半ある。進むのにも一時いちじくらいはかかるだろう。武者押むしゃおしを一時いちじ間と見ると戦いをしかけ二タ時や三時はかかるものと見る。しかれば正午しょうご時までには久開山きゅうかいざん石城せきじょうは落ちないぞ。久開山きゅうかいざん石城せきじょう落城らくじょうを致さざれば御身は信州しんしゅうへ帰って農夫のうふの約束だぞ」


幸村ゆきむらは平然として、


幸村ゆきむら「我等は正午しょうごまでに落せば宜しい。その刻限こくげんまでに相違そういなく我等を心配致さず御身は切腹でもいたす支度をして、墨尺でも腹へあてがっておけ……恐れながら殿下でんかへ申しあげたてまつります。当日とうじつ八月一日八朔はっさくの祝儀、諸将しょしょうの方々へ御酒ごしゅを下されて然るべく、戌亥いぬいの櫓へ登らせられて久開山きゅうかいざん石城せきじょう落城らくじょういたすを遠見あそばれ然るべく」


める気色けしきもあらざるに落城らくじょういたす様を見ろとは不思議なり、殿下でんかも分らない。けれども幸村ゆきむらの言葉に任せて、


秀吉ひでよし「しからば櫓へ登ろう」


諸将しょしょうへおともを命じて、


秀吉ひでよし「余と共に櫓に来れ」


と、戌亥いぬいの方の隅の三重の櫓へ登らせられ、お櫓において御酒ごしゅが始まりました。それぞれへ殿下でんかより盃をたまわりましてございます。各々は酒を頂戴致いたしまして、悠悠と酌み交している。


■■■ 幸村ゆきむらがどういう謀略を使うのか期待を持ってしまうかもしれないが、先に書いておくとそれほどすごいものではない。


福島ふくしま正則まさのりは時計の役人に申しつけて時計を持ち来たらせ、殿下でんかのお手許の時計を櫓へ取りよせ、


正則まさのり「モウ巳刻二分だ。三分だ」


と時計を見ては正則まさのりは心配をしている。


正則まさのり「アイヤ幸村ゆきむら如何いかにや軍師ぐんし、モウ今は巳刻半だ。幸村ゆきむら久開山きゅうかいざん石城せきじょう如何いかがいたした」


幸村ゆきむら、この時、


幸村ゆきむら「ヤ、お手前てまえはよくよく心配性に生まれた人間、その刻限こくげんまでに落せば宜しいのだ。今に刻限こくげんが来ればかくもう幸村ゆきむら、拍手を二つ打つ。すると見る見る間に久開山きゅうかいざん石城せきじょう五万六千余人よじん薩兵さっぺいは木の葉の散るがごと久開山きゅうかいざん落城らくじょういたすワ」


手拍子二つを打って久開山きゅうかいざん石城せきじょう落城らくじょうする気づかいはない。米の粉か麦の粉だと思っていやァがる。福島ふくしまほどの者も子細が分らない。そのうちやや巳刻半を過ぎる頃おいになりますると、真田さなだ幸村ゆきむら懐中致いたしました遠眼鏡を鞘を払って長くなし、遥か久開山きゅうかいざんの方ほ一目見て、


幸村ゆきむら「イデヤ幸村ゆきむら、手拍子を打って久開山きゅうかいざんを我が物といたさん。薩摩さつま方、五万六千余人よじんを散らして見すべきなり」


と左右の手を開いて諸将しょしょう満座においてビシャンビシャンと二つ手を打つ。手拍子二つ、諸将しょしょうの人々は子供を騙すようなことを幸村ゆきむらいたす。本当に手拍子を打ったと思っているそのうちに、お櫓の下に於て二つ星の太鼓をドーンドーンと打つ。これはッと諸将しょしょうの人々は櫓の下に目をつける。下を見ているうちに、櫓の背後の方にあって一発の狼煙ヅドーン、空天遥かに揚がりました。


暫くすると何処ともなく人馬の叫び声、ウワー、ウワー、ワイワイワイワイ、この時に幸村ゆきむら、再び遠眼鏡を我が目にあてて遥かに久開山きゅうかいざん石城せきじょうの方角を櫓の頂にて見ておりましてございまするが、莞爾かんじと笑った。


幸村ゆきむら「恐れながら殿下でんか、この眼鏡にて久開山きゅうかいざん石城せきじょうをお物見あそばされまするよう」


殿下でんかにお眼鏡を差し上げたり。豊臣とよとみ秀吉ひでよし公、ときこえの聞えるに驚きたまい、幸村ゆきむらより差しあげたる眼鏡をお取上げに相成あいなり、久開山きゅうかいざんの方角を御覧あそばされて物に驚きたまわざる殿下でんかも、


秀吉ひでよし「これはこれは」


と眼を丸くして常にお口を尖らして、まるで猿ぼう剥き出しというような顔をいたしてお驚きあそばされたるご面色にて、久開山きゅうかいざんの方を御覧あそばしてあらせらるる。そのお驚きあそばするのも御尤も、そもそも如何いかなる子細のあるや、久開山きゅうかいざん石城せきじょう薩兵さっぺい五万六千余人よじんまるで蟻の崩れるがごと相成あいなり、大手おおて搦手からめて(入口出口くらいの意味)の両様より旗を巻き、馬印を寝かし崩れ渡る様、不思議と云うも余りあること、かたわらにおりましたる黒田くろだ勘解由かげゆ次官じかん吉隆、


黒田くろだ「恐れながら殿下でんか、お眼鏡を拝借奉たてまつりたい」


と拝借をして、黒田くろだ吉隆、久開山きゅうかいざん石城せきじょうを眼鏡で見て、


黒田くろだ「ヤッこれは不思議」


黒田くろだ甲斐守、


甲斐「父上、拙者せっしゃも拝見」


と、今度は甲斐守が見て、


甲斐「ヤ、これは不思議」


大谷刑部ぎょうぶ小輸、


大谷「少々拝見」


ト手に取って、眼鏡を借り、


大谷「コレは奇妙、コレは不思議」


と大谷が驚くと加藤かとう清正きよまさが、


清正きよまさ「ヤッ俺にも見せろ」


清正きよまさが悠悠として眼鏡にかかって見て、清正きよまさも驚いた。一尺三寸のお顔を二寸ばかり長くして、


清正きよまさ「ヤッこりゃ不思議」


並み居る諸将しょしょうの人々がその眼鏡を取って一人として驚かざるものはございません。福島ふくしま正則まさのりが、


福島ふくしま「これこれ主計、その眼鏡を俺に貸せ。俺が本元だ」


福島ふくしま正則まさのり、眼鏡を借りて久開山きゅうかいざん石城せきじょうの方を見ると、薩摩さつま大軍たいぐんがドロドロドロドロ崩れる挙動きょどうだ。正則まさのりも驚いた。


正則まさのり「これは不思議だ。これはこの眼鏡の中に仕掛けがあるんだ」


と、頭と尻尾を見たが、種も仕掛けもなにもない。ソコで久開山きゅうかいざん石城せきじょうに俄かに殿下でんかに申し上げて、三千の兵をお向けあそばされと申し上げた。大谷刑部ぎょうぶ小輸、竜造寺和泉守、その他、二三頭の諸将しょしょう久開山きゅうかいざん石城せきじょうへ向けた時は、モウ久開山きゅうかいざん石城せきじょうは空城にして、九州きゅうしゅうの兵士は一人もおりません。


これは真田さなだ幸村ゆきむら腹心ふくしんの郎党で忍術の名人駒ヶ獄こまがたけ大仁坊だいにんぼう霧隠きりがくれ才蔵さいぞうをもって石城せきじょうの三里先の日の目峠というのがある。これへ上方の軍勢ぐんぜいが押し寄せるという噂をこの界隈の農民に流言をいたしたものでございます。


この日の目峠は薩摩さつま第一の要害でございます。例えてみると昔の江戸の城の時分の箱根の山のようなところでございます。九州きゅうしゅうよりも遥かにこの方が大切だ。これを久開山きゅうかいざんの裏手から破られて上方の大軍たいぐんに取られた日にゃ石城せきじょう五万六千余人よじんは押えられて本国の薩摩さつまに帰ることが出来ない。


それゆえに本多ほんだ豊後守ぶんごのかみ成清なりきよ石城せきじょうを捨てても日の目峠の要害をこの軍勢ぐんぜいで守れば上方の大軍たいぐん十万や二十万来れども恐れるに足らず、真田さなだの流言の計略けいりゃくにかかってこれを本当と心得こころえ本多ほんだ豊後守ぶんごのかみ久開山きゅうかいざんを捨てて日の目峠へ立ち退いたのでございます。そうして日の目峠の高台へ備えを堅めることに相成あいなりました。これゆえ、久開山きゅうかいざん石城せきじょうを戦わずして引き上げた。


幸村ゆきむら方寸ほうすん、かくのごとく、なるほど殿下でんかのお眼鏡をもって軍師ぐんし大役たいやくおおせつけられるわけだと、上方の諸将しょしょう一同は驚き、諸将しょしょうは誠もって幸村ゆきむら帰服きふくいたすようになりました。

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