幸村福島正則と賭けをする

その中に一人頭を下げないものがある。何者なりと幸村ゆきむらが見ると、福島ふくしま左衛門さえもんだゆう太夫だゆう正則まさのりなり。諸侯しょこう一同のうち一人帰服きふくいたさざれば、これより準じて一同が帰服きふくいたさないようなことに相成あいなって軍令ぐんれいが届きません。身を若年と侮って、福島ふくしま正則まさのりは承知を致さざるものと相見あいみえる。


もっとも福島ふくしま正則まさのり豊臣とよとみ家の開国かいこく勇士ゆうしにして十七歳の時が初陣にて戦場せんじょう万場往来をなし、豊臣とよとみ家では鬼神やぶりと諸将しょしょうの噂をこうむっているお方でございます。このたびの九州きゅうしゅうの戦いも先陣が加藤かとう清正きよまさ、第二陣の大将は福島ふくしま正則まさのりでございます。その福島ふくしま正則まさのり真田さなだから見ると年が余程に多うございます。


■■■ 福島ふくしま正則まさのりは猪武者という設定、塙団右衛門(ものすごい怪力)と頭を殴りつける権利をけて将棋を指し、負傷したことがあるくらいの男である。


真田さなだ幸村ゆきむら左衛門佐さざえもんざに成りたてで、云はばけむりが出ている。第一に年が十九だ。こんな若年者に軍師ぐんし大役たいやくを命ぜられて、誰が下知げじをうけるものか。俺が嫌だから並み居る諸将しょしょうも嫌だろう。殿下でんかおおせがあるからよんどころなく頭を下げるようなものの、幸村ゆきむら小向こむかいになれば誰がこんな若年者の下知げじをうける奴があるものか。幸村ゆきむら馬鹿ばかにして諸将しょしょうがかかれば、第一に軍令ぐんれいが届かない。軍令ぐんれいが届かなければ軍がムラムラとなる。しからば味方みかた不勝利しょうり、まして敵に勝利しょうりを取られる。第一敵方に本多ほんだ豊後守ぶんごのかみという天地を見抜く大才たいさい大器量だいきりょう《きりょう》の軍師ぐんしがある。殿下でんかでさえもしばしば本多ほんだ豊後守ぶんごのかみを恐れている。それを敵に廻して真田さなだごとき者に軍師ぐんし大役たいやくが勤まるか。余りに馬鹿ばか馬鹿ばかしい。殿下でんかもお年をめされてござるから少しヤキが廻って来たとみえる。誠に困ったものだ。こんな弱輩者じゃくはいものになんで軍師ぐんし大役たいやくが勤まるものか……腹がそういう心持ちでございますから、それゆえ福島ふくしま帰服きふくいたしません。頭を上げて御辞儀おじぎもしない。軍師ぐんし御苦労千万せんばん《ごくろうせんばん》とも云わない。


それを幸村ゆきむらが見て福島ふくしま一人帰服きふくを致さなければこれに習って諸将しょしょうが我が軍令ぐんれい馬鹿ばかいたす。これこそ一大事なれば、まず福島ふくしまを取って押え福島ふくしまから恐れさせねばならん……、とソコで福島ふくしま喧嘩けんかをしかけるのはもとより造作ぞうさないが、大器量だいきりょう《きりょう》の真田さなだ幸村ゆきむらゆえ方角違いの喧嘩けんかをしかけ福島ふくしまから口を開かせん、と思い、利口な人だから福島ふくしまには目もかけず、かねて噂に聞く加藤かとう主計頭かずさのかみ清正きよまさ福島ふくしま正則まさのり兄弟きょうだい同様の仲と存じおりまする故、清正きよまさに向って、


幸村ゆきむら「いかにや主計殿かずさどの、御身、大分お頭に膏薬なんこうを貼りめさるようでござるが、如何いかがいたしましたか。腫物はれものでも発生はっせいしましたか」


清正きよまさこれを聞いてお頭を押えまして、


清正きよまさ「別に腫物はれものは出来申さず、先日敵の軍師ぐんし本多ほんだ豊後守ぶんごのかみ計策けいさくにかかり、豊浦とようら新在家しんざいかの森のうちへ佐野出羽守久友を追い掛けしに、それは全く拙者せっしゃを森の内に誘い引き込まん計略けいりゃくであったので、森の中に入るとたちまち七十五ヶ所の地雷火じらいかが発して、すでに生命いのちも危うかりしを、ようようのことで地雷火じらいかを逃れ辛うじて身命は助かれども、地雷火じらいかの火にかれて身体かくのごとく火傷に及び、その手当てあていたしているのでござる」


幸村ゆきむらまゆ《まゆ》をひそめて、


幸村ゆきむら「それは残念ざんねん千万せんばんの至り、幸村ゆきむらモウ少々早く当地にまかりこしなばその難をおさせもうすまじきを。如何いかにも残念ざんねんの至り」


清正きよまさ如何いかにも残念ざんねんにてそうろう。軍師ぐんしが今少々お早く当地へ御尊来ごそんらい相成あいならば、地雷火じらいかの災難を避け得らるべきものを、返す返すも残念ざんねん千万せんばんでございまる」


清正きよまさ温順おんじゅんでございまするから、幸村ゆきむらに少しも逆らわない。先方の言い成り次第しだい返答へんとうをなさいました。それを福島ふくしま正則まさのりかたわらにあって、


福島ふくしま清正きよまさめ。なんだ信州しんしゅうのお雛様ひなさまにあんな言い種を云われて黙っているという法があるものか。余りに云い甲斐かいなき返答へんとうだ」


と、福島ふくしまたまりかねて席を正し、幸村ゆきむらに向って、


福島ふくしま「アイヤ、真田さなだ氏、豊臣とよとみ開国かいこく勇士ゆうしに向って無礼ぶれい一言いちごん主計清正きよまさに今少々早く来らば地雷火じらいかの難はさせまじとはあまりに無礼ぶれい加藤かとう主計頭かずさのかみ清正きよまさなればこそ七十五ヶ所の地雷火じらいかを逃れたのだ。尋常の大将なればこの地雷火じらいかの大難を逃れられるか。無礼ぶれいにも程がある。以来は豊臣とよとみ開国かいこく勇士ゆうしに対して無礼ぶれいなる言葉を吐くなッ」


ト、眼をむきだしにして福島ふくしま正則まさのり真田さなだ幸村ゆきむら白睨にらみに睨みつけた。幸村ゆきむらは心中にトウトウ我が計略けいりゃくにおちたな、福島ふくしま正則まさのり景気けいきづいた。しからばソロソロ喧嘩けんかをしかけ、それから取って押えてくれようと、こう思って、


幸村ゆきむら「アイヤ福島ふくしま正則まさのり殿、御身は豊臣とよとみ開国かいこく勇士ゆうし勇士ゆうしと申されるが、勇士ゆうしの働きというのはどういう働きをしめさるか、その勇士ゆうしの働きぶりをうけたまわりたい」


正則まさのり、少しく声を荒げて、


正則まさのり勇士ゆうしの働きというは敵に向って戦いを仕掛け、その敵を破らんという時は如何いかなる大人数だいにんずうでも破るのが勇士ゆうしの働きだ。一日骨を折って戦えば勇士ゆうし一人で敵の百五十人や二百人はち取る《と》ワ」


幸村ゆきむら莞爾かんじと笑い、


幸村ゆきむら「ナニ一日ウンと働いて僅か百五十人か二百人の敵を討つのが勇士ゆうしの働きか。しからば一日働いて二百人より余計は討てんのか」


正則まさのり「そりゃ少し気を入れて働けば四百人くらいの敵を討つ」


幸村ゆきむら「それが勇士ゆうしの働きの止まるところか」


正則まさのり「ナニ本当に働く時は五百人六百人ぐらい敵を討つ」


幸村ゆきむら「それがいよいよの働きか」


正則まさのり「いよいよの働きの時は八百人くらいころす」


だんだん大きくなりゃがった。台風の時の火事みたいだ。


■■■ このあたりはお笑いのシーン、先ほどの大軍たいぐんぐんしを命ぜられる場面のように、緊張感のある場面は後期の講談速記本からは徐々に減っていき、お笑いシーンや活劇シーンが話題の中心となっていく。


幸村ゆきむら「それが勇士ゆうしの働きか」


正則まさのり「いかにも左様さようだ」


幸村ゆきむら「さてさて勇士ゆうしの働きは小さいものだ」


福島ふくしま正則まさのり、この時に、


正則まさのり「シテ軍師ぐんしの働きはどういうことをなさるのかうけたまわりたい」


幸村ゆきむら左様さよう軍師ぐんしの働きは帷幕いばくのうちにぼうめぐらし、勝つことを千里せんりの内に知るともうすのは、まずあの敵の二万にまん三万さんまんが邪魔だと思えば、その二万にまん三万さんまんの敵を一掴みにいたし、手を開いて口をつぼめて手のうちを吹けば、粟粒あわつぶを飛ばすがごとくに敵をはらうのが軍師ぐんしの働きだ」


正則まさのり、これを聞いて、


正則まさのり軍師ぐんし戦場せんじょういつわりはないぞ。掌に二万にまん三万さんまんの敵を乗せて吹き飛ばすがごとく敵を落す。それ全くか」


幸村ゆきむら「いかにも軍師ぐんしの働きとはそういうものだ」


正則まさのり「本当に何万の敵を吹き飛ばすと」


幸村ゆきむら「いかにも左様さよう軍師ぐんしいつわりはないッ」


■■■ 勇士ゆうしの働き、軍師ぐんしの働きというのは定番の議論、柳生十兵衛なんかも天海和尚とこういった問答をしている。


正則まさのり「それなら宜しい。云うこと易し、行なうことは難しでは、この福島ふくしま正則まさのり承知せんぞ。云うこと誠なればただ今から福島ふくしまが申し述べる。薩摩さつま方の敵に五万六千余人よじん当八代やつしろより戌亥いぬい(北西)の方に当って久開山きゅうかいざん石城せきじょうという名城めいじょうあり。城は小さいがこの城に右の五万六千余人よじんという薩摩さつま方が立て籠っている。先日より味方みかた一番いちばん二番にばんめと都合八度まで取りつめたが敵に利があって味方みかたに利なし。このには殿下でんかも実にてたまう。我々共々攻めあぐんでおる。この久開山きゅうかいざん石城せきじょうに立て籠っている薩摩さつま軍勢ぐんぜい五万六千余人よじんを明一日のうちにこれを落して我が物と致されるか」


幸村ゆきむらカラカラと打ち笑い、


幸村ゆきむら軍師ぐんしの働き、五万六千余人よじんを落さんと思う時は、一日は待たん。明日あす正午しょうごまでには、久開山きゅうかいざん石城せきじょうの敵軍を残らず追い払い、彼の名城めいじょう殿下でんかの手に入れたてまつるようにいたさん」


正則まさのり「アイヤ真田さなだ氏、誠に明日あす正午しょうごまでに久開山きゅうかいざん石城せきじょう同勢どうぜいを落して彼の城を味方みかたの物となすか」


幸村ゆきむら「いかにも左様さよう


正則まさのり「ただ今も申し述べたる通り戦場せんじょういつわりはないぞ」


幸村ゆきむら「いかにもいつわりはない」


正則まさのり「もし明朝の正午しょうごまでに落城らくじょうを致さざる時は軍師ぐんし如何いかがいたされる」


幸村ゆきむら「万一落ちざれば軍師ぐんし殿下でんか采配さいはいを戻し大役たいやくをご免を願い、信州しんしゅう上田うえだかえ武門ぶもんを捨てて農夫のうふ相成あいな生涯しょうがいすきくわを取って蚯蚓みみずやオケラを相手となし世を送らん。またただ今拙者せっしゃが申し述べたる通り明日あす正午しょうご時までに久開山きゅうかいざん石城せきじょう落城らくじょうする時は、軍師ぐんしの意に背いたるお手前てまえ、何をって軍師ぐんしに申し訳をいたすや。殿下でんかのお上意じょういそむたてまつりしは、なにをもってもうひらきをいたすや。その儀をうけたまわりたい」


正則まさのりはフンと嘲笑あざわらい、はらうち久開山きゅうかいざん石城せきじょう明日あす正午しょうごまでに落ちて堪るものか、途方とほうもないことをもうす奴だと思い、


正則まさのり「もし明日あす正午しょうご時までに落城らくじょういたしなば、かくもう左衛門正則まさのり、切腹をいた相果てて、我が生首を貴殿に進上致いたす」


幸村ゆきむら「それではかくもう幸村ゆきむらにお手前てまえの首をくれるとは、そりゃ真実ほんとうか」


正則まさのり勇士ゆうし一言いちごん金鉄きんてつごとく、俺の首ばかりで足りなければこれに控えている主計頭かずさのかみ清正きよまさの首もついでにやるワ」


これには清正きよまさ、驚いた。


清正きよまさ「これこれ正則まさのり貴様きさまの首は自分のだからよろしいが、他人たにんの首までけられては誠にこまる。俺の首は止せ止せ」


正則まさのり「大丈夫だ。けろけろ」


清正きよまさ「そうは行かない……アイヤ軍師ぐんし拙者せっしゃの首は相成あいならんぞ。しか相成あいならんぞ。正則まさのりの首だけに致されい」


諸将しょしょうは一同笑いましてございます。殿下でんかも笑いをおらしになった。この時に幸村ゆきむら殿下でんかに向い、


幸村ゆきむら御前ごぜんにおいて只今の正則まさのり一言いちごん、この段おとどけを願いたてまつる」


と申し上げた。殿下でんか幸村ゆきむら器量きりょうはご存じだから、どういうペテンに引っかけて久開山きゅうかいざん石城せきじょう薩兵さっぺいを落すのかも知れない。全く久開山きゅうかいざん石城せきじょう落城らくじょういたした時は幸村ゆきむら軍師ぐんしの威を見せるがために福島ふくしまの首を取るようなことがあっては、余の勇臣ゆうしんが誠にこまる、とこう思し召すからなんとも返答へんとうがございません。この時、幸村ゆきむら殿下でんかにお目配めくばせをいたし、


幸村ゆきむら「ご承知をお願いたてまつる」


と眼で知らせました。殿下でんかいたし方がないから、


秀吉ひでよししからばこのとどけておく」


おおせられた。ソコデ幸村ゆきむら御前ごぜんを辞して自分の宿所しんじょへ戻りましてございます。福島ふくしま御酒ごしゅを頂戴をいたして自分の陣所じんしょへ立ち帰る。


かくして幸村ゆきむら、一つの謀策ぼうさくを用いて見事に久開山きゅうかいざん石城せきじょう薩摩さつま方、五万六千余人よじんはらうの一段でございますが、一寸一息つきまして……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る