幸村軍師となる

坐の中央に占めてまずは正面の殿下でんかに礼拝を遂げ、


幸村ゆきむら「慎しんで申し上げたてまつらん。父、真田さなだ安房守あわのかみ御陣ごじん見舞みまいとしては本営に登るべき義でございますれども、何分にも近頃風邪かぜにて病の床、よんどころなく弱輩のそれがしが名代として陣に伺い参上さんじょうつかまつって候、まずもって大暑たいしょ甚しき只今、ますます殿下でんかにはご機嫌よくわたらせられ、恐悦きょうえつ至極しごくに存じたてまつりそうろう。かつこれまでの御勝利しょうり、いよいよ御威光ごいこう御武勇ごぶゆうの段、これまた恐悦きょうえつを申し上げ奉らいそうろう」


と、殿下でんかへ申し上げて左右の諸将しょしょうに打ち向い、


幸村ゆきむら「このたびの御陣ごじん、ますます御勝利しょうり大慶たいけいと存じそうろう」


と申し述べた。その弁舌爽やかにして水のたるるごとく、音声は光があってなかなか十九や二十の若年ものの云う文句にあらず。


■■■ 今の人からするとたいしたことに感じないかもしれないが、当時の人々は一九歳の若造がこんな挨拶するなんて流石は幸村ゆきむらッ! と思いながら読む場面である。


この言葉からして並み居る福島ふくしま正則まさのりは鼻でフフンと笑って、


福島ふくしま「若年ものの生意気なことを申し述べる。あんな弱輩者じゃくはいものが、我等一同に向って尊敬するような文句を述べると、馬鹿ばかにされているような文句に聞える。殿下でんかはなんと挨拶をなさるのか」


福島ふくしま正則まさのりなぞは、殿下でんかのお顔を見て、幸村ゆきむらへ下されるお言葉がどんなものかと見ております。このとき殿下でんか秀吉ひでよしは、


秀吉ひでよし幸村ゆきむらよ、余の軍配ぐんばいことごと相違そういいたした。思うほどの勝利しょうりもない。第一筑後ちくご甲良こうらの戦いにはすでに余は佐野多門之助たもんのすけに追われ生命いのちも甚だ危うかった。長宗我部ちょうそかべ弥三郎やざぶろう清正きよまさに助けられ別状はなかったが、イヤハヤ粉灰こっぱい微塵みじんな目にあった。これは敵に本多ほんだ豊後ぶんごもうす利口者の謀師ぼうしがあって、すこぶる計議けいぎを巡らすからで、その計議けいぎ日々ひびに変化すること実に余も驚いた。宮原山の戦いも隨分と危うかった。前備えを破られて前より新納にいろ武蔵むさしが乗り込み来ったから余は驚き、乗馬に跨って涌原まで逃げたことがある。スルト三宝寺さんぽうじのかたで俄かに火の手が上った。また涌原から大平というところへ逃げたこともある。四十九谷しじゅうくというところへ掛ると敵の一将いっしょう島津しまづ中務なかつかさ太夫だゆうがここに逃げて来るのを知っていて、鉄棒で余を打たんとなした。それから道なき左の方へ逃げる。阿多森あだもり伊賀いが入道にゅうどうにまた追われた。その時に木村きむら常陸介ひたちのすけより助けられた。余の逃げる道筋みちすじまでも敵方で知っているというのは、敵の謀師ぼうし本多ほんだ成清なりきよの計れるところが豪いからで、こうすればここへ逃げると知っていたすこと、実に驚いた。幸いにもこの度は汝が九州きゅうしゅう下向げこう及びしは、余の尽く喜ぶ所である。今日よりその方へ豊臣とよとみ秀吉ひでよし軍配ぐんばいを預ける。余が軍師ぐんし大役たいやくを勤めてくれい」


秀吉ひでよし公のおおせ、この時に与三郎よざぶろう幸村ゆきむら、ホトホト平身低頭へいしんていとうに及び、


幸村ゆきむら慮外りょがい上意じょういを被り、恐れ入りたてまつもうす。かくの如き歴歴れきれき大座たいざにて若年の手前てまえ軍師ぐんし大役たいやくおおせつけられ、全くってありがたく身の面目この上なきとにござる。しかし田舎武士の拙者せっしゃ、かつまた無骨ぶこつの私にこの御免ごめんを願いたてまつる。未だ若年の幸村ゆきむらゆえ、余人よじんへこの大役たいやくを命ぜられたく、このはお断り申し上げたてまつります。上意じょういを戻したてまつる恐れ少なからずといえども、万が一軍令ぐんれいの行き届かざる節は、殿下でんかのためかえって不勝利しょうりとなり、恐れ入りたてまつります」


殿下でんかはこの時、


秀吉ひでよし幸村ゆきむらよ、この秀吉ひでよしに新古上下老若を論ずる癖はない。三歳の翁あり、八十の童あり、今は老若を論ずる時節ではない。才の衆を越えたるをもって軍師ぐんし大便利と仰ぐ。もっとも余人よじん軍師ぐんし大役たいやくを申しつけるくらいならなんぞその方にただ今申しつけんや。幸村ゆきむら、辞退はかえって不忠ふちゅうなるぞ。余は汝の器量きりょうへ申しつけるのじゃ。年に申しつけないぞ。軍師ぐんし大役たいやくを勤めよ」


■■■ 軍師ぐんし大便利の意味は不明だが、軍師ぐんしがいてくれて良かった程度の意味だろう。当時の物語はわりと適当な言葉が出てくる。出典など調べ始めると読み進めることができない。適当なところで理解しておくのが読書のコツである。


秀吉ひでよし公は、紫野しばの大徳寺だいとくじの意見を承知してお出でなさる。幸村ゆきむら十四の時の知恵を、秀吉ひでよしは買っている。あれからもう五年も経過たつている。人間は三年たてば三歳になる。十四から今年十九になっているのだから、知恵もモウ身体も十分に満ちている。ただ今の口上こうじょうでも知れた。年は十九だがブリブリ肥満して青髯あおひげを生じ、ナカナカ威のある幸村ゆきむらだ。もとより知恵は秀吉ひでよしは人相を見てモウご存知でございます。そこで幸村ゆきむら再応さいおうおおせ、この時に幸村ゆきむらは、


幸村ゆきむら「かくまでの上意じょういを戻したてまつるにはかえって恐れ入りたてまつりそうろう間、身不肖ふしょうながら尊命そんめいに任せ幸村ゆきむら身命をなげうって重き大役たいやく軍師ぐんしの任をにないて奉らん。方々かたがたご免ッ」


と左右を白睨にらんでそれより畳七八畳を進み殿下でんかの左の方へ着座ちゃくざいたし、


幸村ゆきむら「役目の表、ご免を願う」


諸将しょしょうへ少しく会釈えしゃくしたり。殿下でんかはこの時に召されておった孔雀尾くじゃくお陣羽織じんばおり御自身ごじしんで脱いで、これに表裏金おもてうらきんの六十四枚の采配さいはいえて、席上せきじょうにあって幸村ゆきむらに手づからこれを下され、


秀吉ひでよし「すぐに着用ちゃくようせよ」


との御上意じょういなり。幸村ゆきむら、おしいただいてこれを身に飾り、采配さいはい膝台ひざだいに取って言葉を改め、


幸村ゆきむら「恐れながら御味方みかた《おんみかた》の大勝利しょうり《だいしょうり》は軍令ぐんれいを堅く守らざれば覚束おぼつかなく、よって御威権ごいけんたまわりたく」


殿下でんかはこれを聞こしめされ、


秀吉ひでよし「最もなり。しからば余が一同の諸将しょしょうよ、只今より真田さなだ与三郎よざぶろうの身を余と心得こころえよ。軍令ぐんれいに必ず背くべからず。幸村ゆきむらを今日より左衛門佐さざえもんざと任ず」


されば真田さなだ左衛門佐さざえもんざ幸村ゆきむらとは、この時より申されましてございます。この時に幸村ゆきむら諸将しょしょうへ向って、


幸村ゆきむら殿下でんかおおせを聞こしめされそうろうや。今日より幸村ゆきむら殿下でんか大軍たいぐんぐんしを命ぜられそうろう間、諸将しょしょうの方々は左様さよう心得こころえさぶらえ」


高らかに申し述べければ、黒田くろだ勘解由かげゆ次官じかん吉孝よしたか加藤かとう主計頭かずさのかみ清正きよまさ、名東大蔵大輔をはじめ、並み居る諸将しょしょうの面々一同は、軍師ぐんしにはご苦労千万せんばんと存じよりたてまつりそうろうと、一同首を下げて申される。


■■■ 秀吉ひでよしの所持品を持つことによって、幸村ゆきむらに権威が備わるシーン。古くさい表現が続いたが、当時芸能としての講談を聞いていた人々にとっては、これが心地良いリズムだった。

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