幸村九州へ秀吉を助けにいく

しかるに真田さなだ幸村ゆきむら父安房守あわのかみがこの節は御病気にて、信州しんしゅう上田うえだに引きこもられ父の看病をいたしております。


しかし身は上田うえだにいて若年ながらも世の有り様を見ておりますること油断は一寸もございません。腹心ふくしん駒ヶ獄こまがたけ大仁坊だいにんぼうあるいは尾形おがた刑部ぎょうぶ霧隠きりがくれ才蔵さいぞうなどという忍術の名人を九州きゅうしゅう地方の陣中へつかわし、上方勢と九州きゅうしゅう勢の戦いの様子ようすを伺わせて見ると秀吉ひでよし公勝利しょうりになるといえども、随分ずいぶん人数を損ね薩摩さつま方はあまり人が死にません。上方の方が討死うちじにが多い。


■■■ まだこの時代だと猿飛佐助はヒーローではなかった。霧隠きりがくれ才蔵さいぞうは生き残るが、駒ヶ獄こまがたけ大仁坊だいにんぼう尾形おがた刑部ぎょうぶは明治中頃くらいまでは活躍するも、そのうち物語の世界から消滅してしまう。名前の格好良さは、物語の中で活躍できるかどうかの大きな要素のひとつ。


そこで父の安房守あわのかみにこのことをもうべ、


幸村ゆきむら「兎にとにかく、父上は御病中、殿下でんかへお見舞みまい相成あいなるまじく、よって父上の名代として私が九州きゅうしゅうへ参って殿下でんかのご機嫌を伺い、また申しあげることもござりましょうから、彼地へ下向げこう仕りましょう」


父に申し上げる。昌幸ゆきまさこれを聞いて、


昌幸ゆきまさ「何卒そうしてくれ。余も大いに病勢も衰えて近日全快に及ぶべし。後々は少しも心配なく殿下でんかのご機嫌を伺いくれ。此方が参るよりもその方が参るほうが、お喜び遊さりもうすべし」


父の安房守あわのかみ幸村ゆきむらの知恵には驚いている。俺の知恵から見ると幸村ゆきむらの知恵は十倍も勝っている。殿下でんかもそれを知るところだから、俺が行くよりもお喜びになるに違いない。こう思ったのだ。


ソコデ真田さなだ与三郎よざぶろう幸村ゆきむら、わずか子供十人を連れ、


幸村ゆきむら「余が九州きゅうしゅう下向げこうなさば間者かんじゃ駒ヶ獄こまがたけ大仁坊だいにんぼう霧隠きりがくれ才蔵さいぞう尾形おがた刑部ぎょうぶ三好みよし伊三いさ入道にゅうどうもみな来たるべし」


と申しつけ、ソコデ旅は質素に、どこの侍かというような服装で、信州しんしゅう上田うえだ城主真田さなだ安房守あわのかみの子息とは見えない。誠に手軽な扮装、昔の御免ごめん勧化、お寺の寄付集めの道連れのような有様となり、道芝の露踏み分けて、追々おいおい九州きゅうしゅうさして乗り込み来たり、幸村ゆきむら、形装を改め六連銭の大紋をつけ、頭に武士烏帽子を頂き、殿下でんか御陣ごじん見舞みまいのため到着の由届けをいだしましてございます。


■■■ 子供というのは若者程度の意味、深く考えなくてもいい。原文では三好みよし伊山入道にゅうどうとなっているが、三好みよし伊三いさ入道にゅうどうとしておいた。そして服装の話、省略しすぎてよく分からなくなっているが、ボロボロの格好で旅をして目的地に到着、その格好を一度は皆に馬鹿ばかにされるも、その後すぐに様式に合った美しい格好で登城し驚かせる……というのは、かっては定番の物語だった。こういう行為をする登場人物は、知恵者ということになっている。


殿下でんか幸村ゆきむらを招き寄せんと思しめしでござるところでございますから、以ての外にお喜びたまい、夜中ながら早速広間へ通されましてございます。


もっとも夜の諸陣の諸将しょしょうは皆な殿下でんか御前ごぜんへご機嫌を伺い、殿下でんか八代やつしろを抜きたまいたるお目出たとして諸公一同に御酒ごしゅをくだされ、各自は残らず小具足こぐそく着用ちゃくよういたし、殿下でんかは正面にあらせられます。


法でございますから、御簾みすを垂れておりますが、高く巻き上げて酒宴の席の邪魔にならぬようにしてある。殿下でんかはあまりこんなものは好まない。根が下賎げせんから昇りたまいたる御方、しかし太閤たいこうの位に昇りたまいし故、法は法といたさなければなりませんから、それだけの上段を仮に構えてござる。


そこに真田さなだ与三郎よざぶろう幸村ゆきむら、今年つもって十九歳、そうでございましょうよ天正てんしょう十(1582)年が年十四歳でございますから、丁度ちょうど十九だ。十九ぐらいでは人が信用をいたしません時分でございます。花ならつぼみだ。これから開こうという時、これを水の出ばなと申します。


その幸村ゆきむらだ。みなそれぞれの大将方が一番いちばん若いところが二十七だ。加藤かとう主計頭かずさのかみが二十七だ。福島ふくしま左衛門太夫だゆう《さえもんだゆう》が二十八だ。福島ふくしま加藤かとうよりも年が一つ上だ。しかし福島ふくしま清正きよまさを兄人、兄人と呼ぶ。年下の清正きよまさを兄と云うのは、どこかに清正きよまさに勝てないところがあるから、清正きよまさに一目置いているつもりでございます。


シテみるとこの両人りょうにんが大将のうちでは一番いちばん年が若いんで、あとはみな三十四十五十老人には六十くらいの人もございまする。その中に幸村ゆきむら、烏帽子大紋にて悠悠と遥か坐の中央まで進み、別段に威を張る様子ようすではないが、自然に備わる身の威風四辺を払って凛々と自然に人が恐れるような気色けしきがございます。

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