時代薄小説 真田幸村 田辺南鶴講演 石原明倫速記

山下泰平

秀吉困る

エー真田さなだ幸村ゆきむら真田さなだ安房守あわのかみ昌幸ゆきまさの次男で、後に左衛門佐さざえもんざ任官にんかんなさいました。


この真田さなだの先祖は海野うんの小太郎こたろう幸氏ゆきうじといって頼朝よりとも公に仕え、曽我そが兄弟きょうだいが富士の裾野で仇敵かたきの工藤を討ち取って、頼朝よりとも公にも一太刀たち恨まんと寝所しんじょへ斬り込み、十番切りに及んだ時に、第五番目に討死うちじにをした天晴あっぱれな方だ。


斬られて天晴あっぱれってぇとなんだか変なようでございますが、この十番切りに切られた者は、みんな豪い。なぜかというと、頼朝よりとも公が富士の牧狩まきがりにお連れになすった何十万というおともの中から、選りに選り出された人物だ。汝なら曽我そが兄弟きょうだいを打てようと、公からおおせつけられて立ち向ったのだから、斬られても名誉だ。


■■■ 頼朝よりとも公が富士の牧狩まきがりは、芝居や浮世絵などで有名な場面である。http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi05/chi05_04229/chi05_04229_0014/chi05_04229_0014.html ちなみに実在する幸氏ゆきうじ曽我そが兄弟きょうだいに切り殺されてはいない。芝居や浮世絵なんかで有名な場面を登場させることで、読者に親しみを持ってもらおうというのは、当時のひとつの物語の技法だ。


そういうご先祖だから、瓜のつた那須なすは成らぬ道理で、このお家は代々だいだいえらいお方ばかりだ。故あって弾正だんじょう幸隆ゆきたかの代より、海野うんの真田さなだに改めたようでございます。


その幸隆ゆきたかの三男が安房守あわのかみ昌幸ゆきまさ、この昌幸ゆきまさに二人の男子があって、総領を信幸のぶゆきと申し、次男が即ち幸村ゆきむらで、まだ与三郎よざぶろうと云って十四歳の時が丁度ちょうど天正てんしょう十(1582)年でございました。


■■■ 与三郎よざぶろうというのは真田さなだ三代記さんだいきにおける幸村ゆきむらの幼名、天目山で真田さなだ一族が全滅しようとした時、起死回生の策で真田さなだ一族を救っている。幸村ゆきむらは子供の頃からすごいというのがフィクションの世界での設定である。史実にしろ、フィクションにしろ、とにかく文字情報として残っていれば、設定を持ってきてゴチャマゼにして物語に仕立てあげてしまうというのは、この当時のスタイルであった。


スルトこの年の六月二日、京都きょうと本能寺ほんのうじにて信長のぶなが公が逆臣ぎゃくしん光秀みつひでのために討たれたまい、その弔い合戦かっせん《とむらいがっせん》として秀吉ひでよし光秀みつひでを滅ぼし、紫野しばの大徳寺だいとくじにて大法会だいほうえを営みました。


この時に与三郎よざぶろう幸村ゆきむら、父の名代としてその御法会ごほうえの席に連なりました。この大法会だいほうえにおいて秀吉ひでよし三法師さんほうし君を抱き参らせ、お焼香しょうこうの場で柴田滝川佐久間等を罵り大層な威厳を示したのは、その実は幸村ゆきむら方寸ほうすんより出でて秀吉ひでよしに内々かようにあそばせと申せし由でございます。


■■■ 大法会だいほうえ秀吉ひでよし信長のぶなが息子三法師さんほうしを抱き、柴田滝川佐久間等を罵しるというのは太閤たいこう記の名場面のひとつ。フィクションの世界ではそうことになっているから、ここでは史実は忘れてしまうのが楽しむコツである。このように既存の物語を無数に重ねながら、物語をイメージしやすくするというのが、当時の手法だった。史実はもちろん、フィクションの世界でも大法会だいほうえ幸村ゆきむらは関係ない。しかし名場面で幸村ゆきむらを強引に活躍させ、そのすごさを表現している。


それゆえ秀吉ひでよし従一位じゅいちい関白かんぱくとなりたまい、天下てんかを握って太政大臣だいじょうだいじんに御昇進あそばれ天正てんしょう十五(1587)年、島津しまづ修理太夫だゆう《しゅりのだいぶ》義久よしひさご成敗のため十六万の大軍たいぐんを動かし九州きゅうしゅうに征討に下向げこう相成あいなり、諸処しょしょの戦い追々おいおい九州きゅうしゅう深くお乗り込みに相成あいなり、あるいは赤星城をあるいは熊本城ほんじょうを、あるいは秋月城をあるいは岩石城せきじょうをそれぞれおめに相成あいなるといえども、御身の危うきことがこれまで度々でございます。


甲良こうらこうらさんにおいては新納にいろ忠元ただもとのために討たせそこない、東谷では佐野多門之助たもんのすけに討たれるべきところを長宗我部ちょうそかべ弥三郎やざぶろうのため助けられ、叉は加藤かとう清正きよまさのために救われ、その上に新在家しんざいか地雷火じらいかには清正きよまさを殺されそこない、これ即ち敵方に名将の軍師ぐんしあって秀吉ひでよし公の軍略を先越して打つ故に、勝利しょうりといえどもその実は不勝利しょうりのほうが多いようだ。この謀師ぼうしというのは薩摩さつま方の軍師ぐんしにして本多ほんだ豊後守ぶんごのかみ成清なりきよ、これが軍配ぐんばいより出でてしばしば秀吉ひでよし公の危ういことがございます。


■■■ 安房守あわのかみ従一位じゅいちい豊後守ぶんごのかみなど講談速記本では官位がやたらと出てくるが、あまり気にしなくていい。わりといい加減である。ちなみに当時はフィクションの世界において、加藤かとう清正きよまさは別格の人物、名前を出すだけで読者は喜ぶ。


よって秀吉ひでよし公は、かねて与三郎よざぶろう智謀ちぼうのあるのをご存知でございますゆえ、若年ながら彼を呼んで我が軍師ぐんし大役たいやくを命じなば必定ひつじょう《ひつじょ》味方みかた勝利しょうり疑いなしとこう思し召され早々に使者をって招き寄せんというお心でお決しになったが、日々ひびの軍事にお忙しくて未だお使者の任命もなかった。


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