底辺と言う意味

『私は底辺作家の〇〇です……』


 主に自己紹介、プロフィールなどで頻繁に見かける言葉だ。

 それが自己を卑下して、貶めている言葉だと言う認識があるのかどうかは分からないが、作家志望を目指している俺としては……実に「有難い」事だ。


 何故ならこの言葉は、使っている者自身が浮上する事を諦めているとしか思えないからだ。

 勿論そう言った想いで使っていないのは分からないでもない。

 

 ―――自己保全……。


 誰かにそう指摘される事も無いし、自分でそう言った言葉を使う事で現状をぼかす効果がある事は想像に難くない。


 ただ言葉には「言霊」と言う力がある。


 そんな言葉を使い続ける事で、だんだんとその立場が当然だと享受してしまう。

 PVや評価が少なく、レビューや感想が無くっても仕方が無いと思える。

 そうなってくれれば、俺としては有難い限りだ。何と言ってもライバルが減ってくれるんだからな。


 でも恐らくそんな事を考えている者は少ないのだろう。


「底辺」とは恐らく、「読まれていない」「知られていない」と言った意味で使っているのではと思う。

「今は」底辺だけど、いずれ成り上がってやる……きっとそう思ってるんだろうな。

 だが自身の事を「底辺」だと言い切る作家の作品を、誰が読んでみようと思うのだろう?

 スコッパーと言う人達がいて、埋もれてしまった作品なんかを好んで探し出し読む人たちがいる。あまり評価を受けなかった作品の作家としてみれば、こういった人達の存在は有難い限りだ。

 だがそう言った人達以外で考えれば、「底辺」と言う言葉がそれを見た人達にネガティブな印象を与える事は間違いない。

 

 そして気付いているのだろうか? 「底辺作家」等どこにも居ないと言う事を。


 何を指して「底辺」と言うのか? PVか? 評価ポイント? レビュー数? 感想の多寡?

 ではそれらが多い者達は底辺を脱却した勝ち組か?

 

 決してそんな事は無い。


 結局作家には大きく分ければ二種類しか存在していない。

 それは……、


 プロの作家かアマチュア作家か……である。


 プロの作家とは、自身の作品で収入を得ている者を指す。それで生計が成り立っているかどうかは問題では無く、作品を公開する事で収入を得ている事が肝要なのだ。中には兼業作家と言う人達もいる事だろう。

 そしてそれ以外は全てアマチュア作家となる。

 プロを目指している者、唯書いているだけで満足な人、そしてその中間に属している者達も含めて、全員その部類に含まれるのだ。そこにはPVだとか評価だの、感想だとかレビューだのは関係ない。

 ただ今と言う時代は、書籍化とならなくとも自身の作品で収入を得る事が可能だ。自信の作品を売りに出して勝負していると考えれば、その人達もプロ意識を持っていると言って過言じゃない。

 ではそう言った人達が自信の事を「底辺」と言うことはあるだろうか?

 答えは否である。

 誰がお金を出してまで「底辺」と自称する作家の作品を読むと言うのだろう? 少なくとも俺はそんな作家の作品なんて読みたくない。

 

 お金が発生すると言う事は置いておいても、やはり「底辺」等と自称する作家の作品には興味を抱きにくい……と言う事だ。

 もっともそう言った人達が増えてくれれば、俺としては喜ばしい限りなんだ。先も述べた通り、ライバルが減ってくれれば俺がプロになる可能性も上がると言うものだからな。


 だがそんな事を言われて「はいそーですか」と納得できない様ならば。


 やはり自身の事を「底辺」だ等と宣う事は避けた方が良いだろう。

 他者にも、そして自身に対しても好い効果を齎さないと考えられるこの言葉は、間違いなく良い結果を齎す事など有り得ないのだから。

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