夢と言う物は、対価を払えば叶えられる物では無い。むしろ叶わない夢の方が多いのではないだろうか?


 そして夢の対価は一定では無い。


 人によって大きく異なり、1対100、1,000、10,000……夢に対しての対価は、釣り合う処か増える一方なのに対して、その対価を支払っても叶わない場合があると言う、ある種理不尽極まりない物だ。


「万物は、全て等価交換で成り立っている!」


 大人気作、鉄の塊を身に付けた、もしくは鉄の塊その物の、魔法っぽい物を駆使して旅を続ける兄弟マンガの主人公たちはこう言っているが、実際はそんな事は無い。

 そもそも「等価」等と言う交換がなされる等、この地球と言う惑星の、人間社会と言う仕組みの中では非常に稀有だ。

 物事には必ずベクトルが働き、何かしらの付加価値が付く、または付いていると「思わされる」。

 例えば購入した物が、実はすぐ近くでかなり安価で販売していた。果たしてそれは「等価交換」だったと言えるだろうか?

 そしてそれは物品に限らない。飛び交う情報然り。場所によっては空気すら有料という所まである。

 需要と供給の関係で、その場所ではそれが等価だと言えばそれまでだが、その価格すら適正であると断言出来ない事を考えればやはり理不尽だろう。

 人が動けば労力が発生し、それに対して報酬を支払わなければならないのは当然である。

 だがそれは対価であっても、等価であるとは限らないのである。


 さて、夢を追いかけ、多大な時間と労力をかけて、その夢が叶わなかった場合、それは果たして、「夢と等価の物を支払わなかったからだ」と言えるのだろうか?

 同じ人間は一人としてこの世界に存在しない。見た目や性格が“似た様な”人物はいるだろうが、厳密に言えば一卵性双生児ですら同じ人間とは到底言えない。

 全く同じでは無いのだから、支払う対価も違って当然。

 そう、頭で理解していても、到底割り切れる物では無い。

 同じ位置からスタートしたと者は駆け上がり、自分は未だスタート近辺をウロウロと彷徨っている。この違いは何だったのだろう。


 「才能」か?それとも「運」?もしくは「情熱」「想い」……?

 それらはどうやって得れるのだ?どれだけ支払えば良い?

 「時間」と言う、かけがえのない物を、後どれくらい出費し続ければ「夢」に対する「等価」は支払い終えるんだ?

 まるで目に見えない巨額の借金を支払い続ける様じゃないか。

 そこまでして、「夢」を追いかける必要があるのか?


 ―――きっと、あるのだろう。


 叶えたい、掴み取りたい、そこに辿り着きたい。

 その想いが「夢」であり、誰もがそれを手にする為に進み続けている。

 そして「夢」に対する価値は、誰もが等しい物だ。

 欲求し、憧憬し、それに向かって足掻き続ける。

 支払う対価の違いはあれど、「夢」の価値は同じなのだ。勿論万人が「等価」では無いけれども。

 そして、そこに向かい、そこに辿り着くだけが「夢」の全てでは無い。

 そこに辿り着くまでの行程が、何よりも大切な「宝」となるのだ。

 

「夢」はきっと叶う……等とはとても言えない。寧ろ叶わない方が世の中には溢れ返っている。

 

 しかし「夢」に向かう過程で「努力する自分」と言う物を手に入れる事が出来れば、それはどのような形であれ、きっといずれ役に立つ物となって自分の中に蓄積されていくはずだ。

 それを「経験」と呼ぶのか「満足」「達成感」と呼ぶのかは人それぞれだが。

 

「夢」が叶うに越した事は無い。しかし安易に叶う事は無い。無慈悲な程に「等価交換では無い」のだ。

 

 だが、「夢」を持ち続ける事に意義がある。俺はそう思っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る