運
何かにつけて「運」を理由に挙げている人はいないだろうか。
「運が良かった」「運が悪かった」「俺の運も底を付いた」「運に左右された」
面白い話だ。どうやって作用しているのか、いつ影響されるのか、どれ程の残量が残っているのか、そこまで自身の行動を左右するほどの力があると言うのか。
誰も確認した事すらない物に、何かしらの責任を転嫁して、自分の責任ではないと思い込む。
事故を起こしたのも、財布をすられたのも、テストの点が悪かったのも、彼女に振られた事も……自分の作品が日の目を見ない事も。
全て「運」の責任なんだ。そりゃー仕方が無いな。「運」の責任なんだもん。
全くバカバカしい話だ。究極の選択で二択しか出来ない状況で、どちらを選べばいいのか、全く判断が付かない、純粋な二択ならばその「運」に左右される事はあるかもしれない。(だがそれすらも、確率学者等には否定されるのだろう)
しかし普段人が口にする「運」と言う物は、大抵が自身の失敗を転嫁する為に使用される事が多い。もしくは、途轍もない幸運に直面した時に使う言葉だろうか。
だが、それらはその実、「運」でも何でもなく、真実自身が取った行動の結果なのだ。甘んじて受け入れなければならない事なのだ。
例えば幸運。宝くじで大当たりしたとしよう。ベタだな。
だが、当たった事は確かに幸運だったと言えるかもしれないが、それすらも「くじを購入する」と言う選択肢を取らなければ起こらなかった事だ。
購入するor購入しないと言う二択を選択した結果なだけなのだ。
購入した事によって大当たりのくじを手にしたと言う結果が付いて来ただけなのだ。
「あー!俺、あそこのくじ売り場の前を通ったんだ!買えばよかった!運が無かったなー」
バカの極みである。すでに「買わない」選択をしたお前は、もし時間が巻き戻っても恐らく買わないだろう。
さて、もっと
「運」の良し悪しを口にする者のストックされている「運」には、きっと「大運」「中運」「小運」「微運」「悪運」と振り分けられている事だろう。
安心しろ、いつか「大運」を引き当てる時がくるだろうな。
更に、何処で見て来たのか「運」には一生に使い切る「量」が、個々に設定されているらしい。是非俺の「運」の残量を教えて欲しい物だ。
しかし残念ながら、俺は「運」に「質」も「量」も存在しているとは信じていない。
勿論、他者との会話で「運が無かったわー」と笑い話をする事もある。だが本当にそう思っている訳では無く、それはあくまでも社交辞令、会話を合わせただけである。
どんな状況でも、ほとんど、99%は自身の責任で結果があると思っている。
さて、このカクヨムに小説を掲載して、罠を仕掛けているかの如く自身の作品が読まれる事を待ち続け、一向に増えないPVを「運が悪い」「見て貰えないだけ」と考えている作家さんがいるならば。
そんな得体の知れない物に頼るのはもうやめた方が良い。不毛だ。
それよりも、未だ取っていない、自身の作品をPRする手段があるんじゃないか?それを試して見る事をお勧めする。そしてこの言葉を送ろう。
「人事を尽くして天命を待つ」
手を全て尽くし終えたその後にこそ、「運」に頼ってしまう「時」が訪れるのではないだろうか。
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