『The second time of chance』Act3

 夕食後、俺は一人寒空の下にいた。

 ポケットに手を突っ込み、あってないような暖を取りながら吐く息を白くする。

 そして、ぼうっとここにはいないアルベルトのことを考えた。

 すると、不意に背後から声を掛けられる。


「そんなに、この家を離れたくないか?」


 振り返ると、玄関のドアを半開きにしてセイリがこっちを覗いていた。


「気になるか?」

「ここに立てこもるなんて『お兄ちゃん』は馬鹿だ。妹として、自ら死のうとする『兄』を見過ごせな……今のは忘れろ」


 最後の方だけとびきりおどろおどろしい声で言うと、セイリは薄着のまま俺の隣に並び、再び口を開いた。


「あたしを恨んでるか?」


 寒そうに体を縮め込ませながら義妹は俺を見上げた。


「君こそ、俺を恨んでる」


 『ああ恨んでいる』


 そんな当然の答えを予想して、俺は彼女の顔を窺う。

 しかし、セイリは眉根を寄せて口ごもっていた。


「正直、わからない。もしかしたら『お兄ちゃん』の『義妹』になったせいかもしれない。ただ……たぶんあたしは怒り疲れたんだ」


「怒り、疲れた?」


 彼女の穏やかな口調に驚き、俺は聞き返す。

 セイリはこくんと頷き「腹は立ってるつもりだけどな」と前置きして、ため息を吐くように語り始めた。


「あたしだってダンピールだ。吸血鬼の親に捨てられた。生きてるだけ儲けもんなんてのは簡単に言えるけど、血生臭い人生だったよ。吸血鬼に復讐することだけを考えて生きてきた。なのに、今じゃあたしは『お兄ちゃん』吸血鬼もどき『義妹』眷属だ。『お兄ちゃん』に逆襲もできず、元々の仲間に殺されるのを待っている。なのに、あたしはここにきて人生で一番平穏な時間を過ごしてる」


 彼女はやわらかな口調で自嘲し、肩をすくめて続ける。


「わかるか? 望むことすら知らなかったような時間だ。敵に怯えることなく眠り、敵を求めてさまようこともない。心行くまでお風呂に浸かって、終いには『お兄ちゃん』達に好きな料理を振る舞われてる。ため息が出る程安穏とした時間だ。まるで死刑を目前に最後の慈悲を許された気分さ。そんなだから、あたしは自分の人生を振り返っちまったよ。だから……今から言うのは、その振り返りと『お兄ちゃん』に紛いなりにも一宿一飯の恩義を感じた結果だ。いいか、一度しか言わないぞ?」


 そう言って、セイリは急に体をもじり始めた。

 それが羞恥のせいなのか、冷たい外気の仕業なのかわからない。

 彼女は頬を冬の冷たさにあてられたように赤くし、「すぅ」っと呼吸を整えた。


「悪かった。あたしが『お兄ちゃん』に突っ掛かってなきゃ、お互いにこんなことになってなかった」


 今、俺の目に、セイリの姿はなんともしおらしく映っている。

 それは、俺の命を奪うために洋弓銃を構えた彼女や、縮まった体で野犬のように唸っていた姿とは重ねようがなかった。


 セイリが予感する死期がそうさせるのだろうか。


 今の彼女はナイフを喉元にあてがい抱えたまま眠っているみたいに思えた。

 死を受け入れているとも感じ難いが、彼女は死に対してとても無防備に見える。

 まるで、自分の死を傍にはべらせているようだ。

 そんなセイリの目に、俺は楽天的に映るんだろう。


「まだ、死ぬと決まった訳じゃないさ」


 根拠もなく口を開く俺に、彼女は小さく首を振った。


「死ぬよ。逃げるならまだしも、ここに残るっていうなら死ぬ」


 物悲しい、自信にあふれた言葉を残し、セイリは寂しそうに目を伏せる。


「『お兄ちゃん』はどうしてここに残ろうとする」


 そして、彼女は白い吐息と共に疑問をこぼしながら――


「ここに何がある」


 ――まるで雪が積もるみたいに、そっと質問を重ねていった。


 俺は、それに対して肩に積もった雪を払うように答えていく。


「別に、何もないよ。ただ、俺はここいるしかない。でないと、俺はあの人達に何一つ復讐できなくなってしまう」

「あの人達?」

「俺の両親だよ」


 気付けば俺は屋敷を囲う檻のような格子の柵を見つめながら、言葉を紡ぎ出していた。


「俺は言わばあの人達にとって使い古した絨毯の染みみたいなもんさ。染みがあるのは知っているし覚えてる。けど、別段気にする程でもない。それが俺だ。なんとも思われてないんだ」


 冗談話のように俺は笑ってセイリに聞かせる。

 だが、彼女はへたくそなオルゴールにでも耳を傾けるように、ぴくりとも笑わない。


「けどさ、俺はあの人達に無関心ではいられない。吸血鬼のくせに母との間に子を作った父親。怪物である吸血鬼に体を許した母親。どっちの考えも理解できない。それに、そんな種族違いの相手と結ばれた癖に、その子供を簡単に放り出せた二人の利己的な考えが嫌いなんだ」


 話を進める内、俺は明るい声色に影が差し始める。

 その途端、腹の底に痛むような苛立ちを感じた。

 この苛立ちは放っておけば喉までせり上がり、ついには声になってしまうだろう。


 しかし――


「わかるよ」


 ――そうはならなかった。


「あたしだって『お兄ちゃん』と同じダンピールだった。だから、わかるよ」


 しんっと冷たいセイリの声に、いたずらに熱くなっていた心の内が冷めていく。

 彼女の言葉は、俺の胸中にゆっくりと積もっていきそうになった。

 でも、俺はそれを払いのける。


「同じじゃないよ、セイリ。君には吸血鬼殺しの異能がある。俺にはない。だから俺は、親に殺意すら向けられなかった」


 俺とセイリは、二人とも吸血鬼と人間の子と言うだけで、とても違っていた。


「俺はできそこないのダンピールだ。吸血鬼が殺せない。だから、ここで飼い殺されている。あの人達に文句一つ言えないまま。そんな俺にできるたった一つの惨めな復讐がアルベルトの報告書だ」


「報告書?」


「ああ。俺が毎月何をしてどう過ごしたか。そして如何に二人を恨んでいるかを彼は報告する。『ご子息が旦那様をくそ野郎と言っておりました』ってさ。それくらいでしか、俺は自分の恨みをあの人達に突き付けられない。そんな俺がここを離れても、あの人達は俺を忘れて気にも留めないさ。それだけは我慢できないんだ」


 つい捲し立てて話していた俺は「ふぅ」と一呼吸入れる。

 すると、セイリはにやりと口元を歪め、冗談めかして声を弾ませた。


「つまり『お兄ちゃん』は、親の胸倉掴んでくそ野郎って言う機会をここで待ってるんだな」


 粗暴なことをなんとも楽し気に言う彼女に、俺は思わず頬が緩む。


「それいいな。簡潔だし、俺がじめじめ垂れ流した弱音がよっぽど痛快に聞こえたよ」


 この時俺は、したり顔するセイリを横目に少しだけ前向きな気持ちで自分の苛立ちと向き合えた気がした。


「そうだな。俺はたぶん君達が羨ましいんだ。自分の恨みをナイフみたいに吸血鬼に、親に突き付けられるのが」


 自分の気持ちを再確認できたようで心地が良い。

 それに、ようやく『義妹』いもうとと腹を割って話せたと思えた。

 だからこそ俺は、頬の緩みを締め直し、彼女に話を持ち掛ける。


「セイリ。俺は、あの人達の胸倉掴んでくそ野郎って言うまではここを離れたくないし、死にたくもない」

「それはわかったよ」

「それに、君を死なせたくないとも思ってる」

「『お兄ちゃん』?」


 セイリは笑みに細めていた目を見開くと、驚いたように疑問符を付けて俺を呼んだ。


「君はもう俺の『義妹』だ。俺は俺達の親みたいに子供を――身内を放り出すような真似はしない。吸血鬼ハンターみたいに、今の君を殺そうとはしない。一緒に助かるために、君の力を貸してほしい」


 彼女は迷うように視線を泳がせる。

 俺は香を焚き、甘い匂いを吸わせるようにセイリを誘い込もうと言葉を聞かせた。


「セイリ、君だって死にたくないだろ。それに今、君は稀有な幸運の中に身を置いてると思う」


「なにが、幸運だって?」

「今の君は紛れもなく少女だ。これは君の言う血生臭かった人生、失った青春を取り戻す好機って思えないかな?」


 これを聞くと、セイリはぴくりと眉をひそめ、口元を歪める。


「死んだら何も残らない。でも、生き残れれば、君は穏やかな人生を手にできるかもしれない」


 それが怒っているようにも、笑っているようにも見えて、俺は思わず息を飲んだ。


「どうだ?」


 この直後、彼女は声を弾ませる。

 それはまるで賭け事に興じるような緊張感を孕んだ声だった。


「つまり、本来ならありえない人生の振り直し……セカンドチャンスって訳か」


 だが、そこまで言って、セイリは不意に視線を逸らす。

 そして、再び口を開いた時、彼女の声は頼りなくかすれていた。


「もし、ここから逃げるってなら、あたしは『お兄ちゃん』について行っても良い。けどな、戦うってなら、あたしは……何をするかわからない」


 彼女はバツが悪そうにおとなしく舌打ちを鳴らし、その後泣きそうな瞳を俺に向けた。


「この気持ちは妹化のせいかもしれない。けど、今のあたしは『お兄ちゃん』と逃げるのも悪くないとも思ってる。いつか『お兄ちゃん』や『義妹』になった自分を受け入れられるかもしれないって。けど今、あたしと『お兄ちゃん』を殺しに来る仲間を殺すかもしれない戦いに身を置くことはできない。あたしはまだ吸血鬼ハンターだ。死ぬべきは、あたし達なんだよ『お兄ちゃん』」


 今、月明かりに照らされながら、彼女は苦しそうに笑っている。

 そんな妹に、俺はなんと声をかければいいのかと苦悩した。

 だが。


「ふせろっ! 『お兄ちゃん』っ!」


 俺が声をかけるより早く再びセイリが口を開き、俺を突き飛ばす。


「なんだっ?」


 背中が地面に思い切りぶつかった。

 骨も筋肉も、とにかく背中がじんとして痛い。

 しかし、そんな痛みを感じる余裕は直ぐに消え失せた。

 俺の視線の先には地面に突き刺さる一本の銀色の矢。


 それはつい最近も見た、吸血鬼ハンターの武器だった。

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