Mrスイッチ

@okazaki

Mrスイッチ

夢の世界だけの住人、Mrスイッチ。

彼はどんなときでも必ず、黒いスウェットとズボンにスイッチを携えて夢に訪れる。

来訪の日は気まぐれ法則はなく、且つ彼は毎回スイッチを夢の主へと差し出して押すことを提案する。押せばどうなるか、どうして彼は押させようとするか、わからないことばかりの不思議な人物―。


という内容が、ぼくの通う高校で今、まことしやかに囁かれている都市伝説だ。

そしてここだけの話、ぼくだけがその謎を知っている。スイッチは災いを呼ぶ引き金で、喜んでそれを押させようとする見下げたサディスト野郎が彼なのだ。

現にぼくはあいつの言うがままにスイッチを押して、その次の日にとんでもなく不幸な目に遭ったんだ。

ぼくは……、ぼくはクラスの苛められている女の子を何故か庇ってしまい、次の標的へと変えられてしまったんだ。

いつものぼくならそんなこと絶対にありえない。全てあの忌々しいスイッチが……


「やあ!キミとまた会えるだなんて!!元気してた?それとね、ついでにボクとの再会祝いにボタン押さない?むしろ押さないほうがあり得ないよね?」


その身なりとスイッチを携えた姿は都市伝説通りでぼくが一度体験したそれと同じ。

寝床に入って瞳を閉じたらすぐこれかよ、クソッタレが。ぼくは思わず怒り叫んだ、

「お前の所為で酷い目に遭ったんだこのサディストが!!早くどこかへ行ってくれ!」するとあいつは大層困ったような顔をして、

「ごめん……出直すよ」とだけ残してどこかへ消えてしまった。

顔を見るだけでもぼくの心には暗雲が立ち込める。二度とこないでほしい。

……が、神はどうやらそんなぼくの真摯な願いを聞き入れてくれなかったようだ。

数日後にあの憎たらしい顔はぼくの夢にまた訪れた。


「ねえ。困ったときはさ、先生とか両親にちゃんと言いなよ?それはそうと、スイッチ押してかない?今ならお試し期間で無料だよ」

「お前に心配される筋合いなんかない。それくらいならさっさとぼくの夢から消えてくれ、そしてもうお前の顔をぼくに見せるんじゃない!」

「そんなに言わなくても……」とぼとぼしながらあいつは消え去った。


諸悪の根源に情を掛けられたのが何より腹立たしかった。前回、今回は割とすぐに消えているからなんとか怒り狂わずにいられるが、これ以上は耐えられそうにもない。

あいつのことを一瞬頭に浮かべるだけでもぼくは黒い感情に染まりそうになるのだ。

それにだ、ぼくは賢い。だから必ずうまくやれる。誰の手も借りなくとも、この現状をなんとかして見せられるさ。それにぼくは強い、多少の嫌がらせくらいなら耐えきってみせる。

だから神よ、あいつとぼくをもう二度と巡り合わせるんじゃあない。

この嘆願は比較的真摯に受け止められたようだが、卒業が迫った頃に再三あいつはやってきた。


「ホントに良かったのかい?それなら何のために君はあの子を庇ったんだ。バカみたいだよ?……ま、スイッチ押してすっきりしようよ」

「頼むから……独りにしてくれ」あいつは何も言わず、煙のように立ち消えた。


ぼくがあのとき女の子を助けたのはスイッチの災いだけではなくて、ほんの少しの正義感や下心があったのかもしれない。少なくともそれを否定することが今のぼくにはできない。何故なら今のぼくは、彼女があのとき庇ったぼくに見向きもせずに別の男と付き合い始めた事実にひどく胸を痛めているからだ。

だがしかし、その顛末も当たり前の結果ではあった。ぼくは、自ら踏み出すことができなかったのだから。耐えるだけで自ら動こうとしない、怠惰な人間だったのだ。


ぼくは、ぼくだけの夢の世界に、まるで崩れかかったジェンガのような。

高い高い積み木の斜塔を垣間見た。




大学受験の合格発表の帰り、ぼくは駅のホームでただ電車をじっと待っていた。

ひたすら退屈な時間。微睡んでしまうほどに退屈な時間だ。

あいつがまた来る、ぼくは確かにそれを予感してしまった


「合格者発表、名前なかったんだってね。ご愁傷様。さて、それじゃあスイッチを押してよ。そろそろ察しくらいは付いてんだろ?」

「断る」「なんでさ。押しなよ」

「断る」「駄目だね。押せよ」

「断る」「押せ」「断る」「押せ」「断る」「押せ」

くだらない押し問答が、終わりなく延々と。ずっとずーっと続いた。

ぼくが震えながらスイッチを押したとき、あいつはとても満足そうに頷いた。


「やっと押したね。そうだよ、ボクのスイッチは『不幸』のスイッチじゃない。キミも薄々気づいてたろう。ボクのこれは……『決意』のスイッチだ」

「こんなに高く高く、よくもくだらないプライドと臆病な心を建てたね。もっと早くに『決意』すればこんなことにはならなかっただろうに」

あいつはぼくの夢の世界の塔を眺め、しばらく溜めたのちゆっくりと続けてそう嘲った。


「今の君の決意は知っているよ。ボクはそれを成し遂げよう」

次に目を覚ますと時計の針は5分ほど進んでおり、間もなく電車が来るといったところだった。そして後ろで聞き覚えのある後輩の声がする。


「Mrスイッチの都市伝説って知ってる?理由もなくスイッチを押すことを強要してくるだけの男なんだけど……いつかは絶対押す日がやって来るの」

「それは彼が大人しく帰るのは3回までで、4回目になると絶対に帰らないから。覚悟を決めないといけないの」


ぼくの身体は強い衝撃とともに前方へと飛び出した。

蹴っ飛ばされたような感覚がしたかもしれないし、もしかしたら単に自分で蹴った地面の感覚を掴めていなかっただけかもしれない。

頭から逆さへに飛んだぼくが最後に見たのは、近付くレールと轟音の列車だった。




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