1-10 クリミアの看護師

「うわあ、ツトムが負けちゃったあ……」


西城さんは開いた口が塞がらないようだった。隣でアテナが満足げに腕を組んでいる。十文字さんはその場にどっしりと座り込み、俺は一旦十文字さんから離れた。


「俺の負けだ。ここまでやれる新人は初めてだよ。俺を牽制するために投げたナイフを拾って隠し持っていたとはな」

「十文字さんがこっちに逃げなかったら、この手は使えませんでした。たまたまですよ」

「ふっ、そうか。なかなかセンスあるじゃねえか」


何はともあれ、俺の実力は認めてもらえたようだ。とはいっても、俺自身これほどやれるとは思っていなかったため、正直驚きを隠せない。アテナと西城さん、イェルがこちらに駆け寄ってきた。アテナは両手を後ろへまわして俺を見下ろしている。


「なあ。お前、俺に何かしたのか? 敵の動きがあんなに見えるなんて普通じゃないぞ」

「私は何もしていない。だが、これが私がケイトに与える霊能力だ。『戦神呼吸』、とでも呼ぼうか。私の戦における直感や思考・判断力、あらゆる戦闘感覚を主と共有することができる。とはいっても、これはまだまだ私の力の一部にすぎないがね」

「なるほど。さすがは戦女神ってわけだ」

「しかし、うまく使えと言ったのに全っ然なっておらんな。私なら一撃ももらうことなく、もっと早く決着しておるぞ」

「戦闘経験ゼロの人間と自分を比べるなよ

「……こほん。そ、そうね。特別に褒めてあげるわ。ヨクヤッタネー、ケイト!」


アテナは棒読みで俺を称え、わざとらしく拍手を送る。確かに強烈な蹴りと拳をもらったし、体もかなり無理に動かしたからだろうか、そこらじゅうが痛い。正直、立っているのも大変なくらいだ。死にかけたあの時よりましとはいえ、これは数日響くだろう。これほどハードな模擬戦を鍛錬でやるのだろうか。霊治隊の仕事は並大抵のものではなさそうだ。


「――だがいい気になるなよ新入りいいッ!!」

「ひっ!?」


突然十文字さんが大声で話しかけてきて体が飛び跳ねた。やっぱりこの人怖い!


「今回は確かに俺の負けだが、まだ互いに霊能力を使っていないからな! 本気でやりあえば間違いなく俺の方が強い! それを忘れるんじゃないぞ!」

「は、はい! それはもちろん! 承知しております!」

「もお~ ツトム大人げないなあ~」

「うるさい! あとはお前らに任せる! 俺はもう休むからな!」


十文字さんは大股でどすどすと歩いて部屋から出ていった。俺に負けたのが相当悔しかったらしい。彼が気づいていないだけで、実際は俺の方は霊能力を使っていたわけだし、対等な立場で戦っていれば負けていたのは俺だろう。アテナもしてやったりのドヤ顔で嬉しそうだが、これで満足してはいけない。霊治隊に入るからには、もっと強くならなければならないのだ。


「さてさて、お疲れさま。今日の予定はこれで終わりよ。それとも……」


イェルがこちらに歩み寄り、俺の顔を覗き込んだ。


「私とも、する?」

「いやあ、遠慮しとくよ……。もうボロボロだ」


苦笑いで返すと、イェルはにっこり笑った。今はなんだかその笑顔が少し恐ろしく見える。華奢な少女ではあるが、きっと十文字さん並みに強いはずである。あんな激しい戦闘は、今日はもう十分だ。


「ああ~、ちょっと待って~。ええっと、ケイタくん! こっちおいで!」

「……ケイです」

「あっはは~ ごめんごめん~!」


おいでと言っておきながら、西城さんは結局自分から俺のところに来た。そして俺に両掌をかざし、目を閉じて何かに集中し始めた。


「――クリミアの戦士に癒しを」


西城さんが小声でそう唱えた瞬間、俺の体は淡く白い光に包まれ、いたるところにあった傷が消えていった。痛みもすっかりなくなっている。


「はい! オッケー!」

「今のは!?」

「リリカさんの霊能力。彼女の守護霊聞いたら驚くわよ?」


イェルが楽しそうに説明してくれた。西城さんも笑顔でこちらを見ている。


能力を使う前、クリミアと言ったか。クリミアというのは確か、黒海の北側に位置する半島で、昔戦争があった場所だ。あのあたりで活躍した、病気や怪我の治療と関係のある人物は……


「まさか、西城さんの守護霊って――!」

「ナイチンゲールだよ!」


似合わねええええ!!






~守護霊MEMO~


【フローレンス・ナイチンゲール】

北イタリアの前身であるトスカーナ大公国の首都フィレンツェ生まれ。

30歳を過ぎたころにドイツへ渡って看護学を学び、その後イギリスの病院に就職した。

クリミア戦争が勃発した際、自らすすんで戦地へ渡り、負傷兵への献身的な看病をしたことと、医療衛生改革を行ったことで有名である。


(※諸説あり)

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