1-9 模擬戦
模擬戦が始まった。戦い方も知らない俺は、どうすることもできずにただ槍を構えていた。
「どうした、来んのか。俺を殺す気で来いと言ったはずだが?」
「と、言われましても……」
「ふん。まあいい。ではこっちから行くぞ!」
そう言われて身構えようとしたが、相手は一瞬にして間合いを詰めてきた。
速い。完全に槍の間合いの内側に入った。これでは反撃できない。相手の右手の指が小指から親指に向かって順に曲がり、拳が力強く握られるのが見える。腕の筋肉のわずかな初動からして、狙いは俺の左頬だ。
とっさに頭を右に傾け、上体を反らせた。拳が俺の頬すれすれで空を切る。相手は勢い余ってそのまま俺の左側を通り過ぎ、着地すると俺の方に振り返った。
「今のを
そう言われてはっと我に返った。今のは何だ。相手の動きが驚くほどよく見えた。そして体がまるで別の生き物であるかのように瞬時に反応した。俺の体に、一体何が起こっているのだ。
「私の霊能力だ。うまく使え」
戦闘中ではあるがアテナの声がはっきり聞こえた。今の彼女は霊体であるから、聞こえているのは俺だけだろう。あの感覚は、アテナの影響なのか。
「おら! 次行くぞ!」
相手はまた俺に向かって突進してくる。先ほどのように間合いの内側に入られたら、次も
「遅い!」
下から左拳が迫ってくる。この軌道の先には俺の胴体がある。槍を振るった反動で両腕は左側にあり、防御できる状態ではない。このままではボディを食らう。槍を左手首を軸に回転させ、柄を相手の左腕の外側から当てて攻撃の軌道をずらした。同時に俺は左肩を引いて重心を右に傾け、相手の体をそのまま左に受け流した。
そしてこの状況。相手は左腕を前に出したまま俺に背を向けている。対して俺の槍はフリー。反撃に出るには絶好のタイミングだ。勢いよく右足を地に着けて流れる体を止め、引いていた槍に再度右手を添えて相手の背中に向けて突き出した。
その瞬間、金属同士がぶつかる甲高い音が鳴り響いた。相手は背中に回した右掌で槍を止めていた。
「――なっ!?」
よくみると、手首から先が銀色のグローブで覆われている。まるでその部分だけサイボーグにでもなっているかのようだ。相手は手首を45度捻って槍を掴むと、俺の体ごと勢いよく引き寄せた。それと同時に左足を軸に体を回転させ、左肘で俺の頭部を狙ってきた。槍を掴まれて距離をとれなかったため、上体を後ろに反らせて左からの薙ぎ払いを回避したが、次の瞬間には相手の右足が俺の左わき腹をとらえた。
「がはッ……!」
そのまま俺は右に飛ばされ、十数メートル床を転がり、壁に背中から叩き付けられた。肺の中の空気が一瞬にして追い出され、胸が苦しくなる。そのまま倒れそうになるのを片膝をついてなんとか耐えた。口から内臓が出てきそうな感覚だ。
「少々お前をなめていたようだ。たった2回拳を交えただけで武器をとることになるとは」
「げほっ…… 素手でやるんじゃ、なかったんですか……?」
「気が変わった。ここまでやれるとは思っていなかったものでな。少しだけ本気を出そう」
相手は左手にもそのグローブを装着すると、一気に間合いを詰めてきた。この速さでは攻撃の軌道を変えることは不可能なはず。よろめきながらも右に跳んで、転がるように回避すると、相手が突っ込んだ壁が大きくえぐられ、砂ぼこりで前が見えなくなった。
殺しはしないというのは嘘ではないだろうかと思うほどの迫力。こちらも殺す気でかからなければ、間違いなくやられる。体勢を立て直し、振り返った瞬間、相手はもう目の前にいた。
焦るな。次の動きをよく見ろ。筋肉が収縮する瞬間を見逃すな。
――――左だ!
槍の先端で相手の左拳を弾く。だが相手はすでに右手での攻撃を始めていた。一歩後ろに下がってそれを避けたが、相手は容赦なく距離を詰め次の攻撃に転じてきた。大振りの反撃は危険だ。少しずつ後ろに押されながら、小さな動きで一つ一つ拳をさばいてゆく。
「どうしたどうした? 防戦一方じゃないか。そんなんじゃ勝てないぞ!」
言い終わると同時に右拳が上から下へ振り下ろされた。後方へ大きく距離をとって避けることはできたが、その拳は床を大きく穿った。こんなのをまともに食らったらひとたまりもない。
相手は攻撃の手を緩めなかった。左右から交互に繰り出される連撃を躱しては弾き、躱しては弾きを繰り返していたが、反撃する余裕はまったく無かった。俺が焦っているのが読まれたのか、相手は隙をついて胴体を狙って拳を打ち込んできた。とっさに両手で持った槍を前にかざし、柄の部分で防御をしたが、槍は相手の拳に当てた部分から真っ二つに折れ、拳は俺の胴体に達してしまった。防御のおかげである程度勢いが弱まったため、突き飛ばされはしなかったが、やはりそれなりのダメージはある。倒れこまないよう踏ん張るのが精いっぱいだ。しかも相手は完全に槍の間合いの内側にいる。
また右拳が来た。それを柄だけになった槍で弾くと、間髪を入れずに左拳が迫ってきた。右手に持っている、刃だけになった短い槍では防御はできない。
――――足だ!
右足の裏で左拳を止めると、脚から胴体、頭蓋骨まで衝撃が伝わってきたが、相手は一瞬動揺を見せた。その隙に右手に持った刃で下から上に切り上げる。相手は後ろに大きく跳んで回避したが、シャツの胸元に切れ目が入り、頬にも浅い切り傷がついた。
相手が空中にいる間、確実に攻撃はない。相手の足が地につく前に俺は走り出した。目標は西城さんの持つトランクケースだ。俺が向かってくるのを見た西城さんとその隣にいたイェルは慌ててその場を離れた。床に足がついた十文字さんも再び俺に向かって走ってきた。
中身を目で確認する余裕は無い。俺はトランクからとっさに掴んだものを投げつけた。短いナイフだったようだが、それはいとも簡単に弾かれた。次いで手にしたのは拳銃だったため、相手に向けて三発放った。相手は左右に跳んで銃弾を回避したが、明らかにこちらに迫る速度は落ちた。
その一瞬の隙に俺はトランクの中身を目視で確認し、新たな槍を掴んだ。おそらく振り返る時間はない。相手はもうすぐそこまで迫っているはずだ。
ここでの選択は防御ではない、攻撃だ。相手に背を向けたまま左腕の下から槍を突き出す。相手はそれを右に払ったが、その反動を利用して俺も体を空中で回転させ、勢いそのままに相手の左脇腹に蹴りをお見舞いしてやった。
「ぐっ……!」
先ほどの俺のように飛びはしなかったが、今の一撃はなかなか効いたはずだ。よろめいているうちに反撃に出る。大振りにならないよう、間合いを詰められないよう計算しながら一突き一突きを繰り出した。相手は両手で丁寧にさばいてゆくが、攻守は完全に逆転した。
相手はまた大きく後ろに跳び距離をとった。逃がすまいとこちらも距離を詰める。相手はまだまだ余裕だろうが、こちらは先日退院したばかり。攻撃もかなりもらっているし、そろそろ体力の限界だ。ここで勝負に出よう。
「はあああッ――!」
一度体勢を低くし、持てる力全てを投じて左手で下から槍を突き上げた。相手は少し体を捻ってその一撃を左拳で上に弾くとこちらの懐に入り込み、空いた右手での攻撃に転じた。俺は槍から左手を放し、そのまま向かってくる拳を掴んだ。腕の骨からミシミシと嫌な音が聞こえ、掌から左肩まで激痛が伝わってきたが、身動きが取れなくなった相手の懐に今度は俺が飛び込んだところで硬直状態、互いの動きは完全に止まった。理由は簡単だ。俺が相手の首元にナイフを突き付けていたからである。
「最後の一突き…… わざとか」
「……はい。うまく引っかかってよかったです」
手放した槍が床に落ち、広くて何もない真っ白な部屋に木と金属の音が鳴り響いた。
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