1-5 彼女の名は

――霊能都市駅。


その名の通り霊能都市の玄関口であり、外部との唯一の接点でもある。ここまで来れば霊能者の方が多いし、先ほどのような事態にはならないだろう。


切符を持っていない俺たちは、駅員に事情を説明し現金で運賃を支払おうとしたのだが、彼女の姿は視えないらしく、一人分の運賃を渡して改札を出た。視られたり視られなくなったり、一体どうなっているのだ。


目的地である霊能都市立特殊霊能研究所は、駅から徒歩20分のところにあった。歩いている間ももちろんだが、研究所の前まで来ると、ますます彼女は俺を引き留めようと必死になった。彼女の方から俺に触れることはできないと分かっていたため、それを無視して中に入った。


正面のカウンターに召集令状を見せると、奥の部屋に案内された。部屋にはたくさんのハイテクそうな大型機械が壁全面を覆いつくすほどに並んでおり、白衣を着た研究員が3人待機していた。これから彼らが俺の鑑定を行うようだ。俺の隣でそわそわしている彼女に見向きもしないところをみると、彼らには彼女が視えていないらしい。


俺は彼らの指示で硬い台の上に横たわり、頭全体を覆うヘルメットのような装置を取り付けられた。研究員の1人からは何も考えないで、呼吸を整えてと声をかけられ、残りの2人は機材の画面を見ながら操作している。いかにも怪しい感じだが、これで俺の守護霊の正体が分かるらしい。


ところが、急に機械からブザー音が鳴り響いた。


「ん? どういうことだ?」


研究員の一人が口を開いた。続いてほかの研究員も異変に気付く。


「エラー? 該当する霊が見つからないだと?」

「故障ではないようですね。機材は正常に作動しています。」

「こんなことは初めてだ。一体どうなっている?」


何らかのトラブルが発生したようだった。正体がばれずに済むと思い、隣で彼女が小さくガッツポーズをしている。そんなに自分のことを知られたくないのか。


何の進展もないまま数分が経ったころ、さらに奥の部屋からただならぬ雰囲気の男が現れた。見たところ50代半ばくらいで、黒い修道服を着ている。どこかの教会の神父だろうか。その男の登場で、部屋の空気が一気に引き締まる。


「し、所長。申し訳ありません。すぐに復旧させますので――」

「よい。私が診てやろう」


彼は俺のそばまで歩み寄り、俺の頭に取り付けられた装置を少しずらすと、俺の額に手を当てて目を閉じた。


「んん…… なるほど、そういうことか。あなたはこの世に生きた人間ではないのですね」

「……え? どういうことです? 俺はちゃんと生きていますが――」

「ははは、言葉足らずだったな、すまなかった少年。私はあなたに申し上げているのですよ」


笑ってそう言うと、修道服の男はよそを向いた。その視線の先にいるのは言うまでもなく「彼女」だった。


「わ、私?」

「ええ。あなたのような守護霊はほとんどいないのですよ。戦を司る女神、『アテナ』様」

「…………はあ。これだから聖職者は嫌いよ」


彼女は、はじめは慌てて言い訳を考えている様子だったが、すぐに観念したようだった。この男はあの大掛かりな機械を使っても分からなかった彼女の正体をあっさりと言い当てたのだ。霊も視えているようだし、ただの神父ではないらしい。


そんなことより気になったのは彼女の正体だった。神父は確かに「アテナ」と言った。アテナというと、ギリシャ神話の戦神アテナということだろうか。守護霊になるのはかつてこの世界に生きた人物だと聞いていたのだが、この神父の言うように、神話に出てくる架空の存在が守護霊になることなどあり得るのか。


「な、なあ。状況がよく分からないんだが、お前実は神様なのか?」


アテナと呼ばれていた彼女に尋ねたのだが、先に反応したのは神父の方だった。


「少年!? もしや、自分の守護霊が視えるのか!?」

「えっ! は、はい。一応触れることもできますけど」

「……触れてみてはくれないか?」

「わ、わかりました。……いいか?」


一応彼女に確認をとると、彼女はやれやれといった表情でこちらに歩み寄り、手を差し出した。俺は台の上に寝そべったまま彼女の掌にそっと自分の手を重ねた。こんな感じですけど、と言おうとしたが、その前に研究員の3人が突然驚いて立ち上がった。


「おおお! こ、これは一体!?」

「守護霊を可視化したのか!?」

「そんなことが……!」

「驚いたな。少年、君には特別な力が備わっているようだ」


話が全く頭に入ってこない。俺に特別な力があるかはともかく、どうやら俺が彼女に触れた瞬間に彼女が実体を持ち、それまで視えなかった者にも視えるようになったらしい。だがその後10秒もしないうちに彼女の姿は視えなくなってしまったようだった。常に視えている俺には分からなかったが、4人の研究員がそう言っていた。確かにこれなら町で周囲の人たちが急に騒ぎ出したことも、電車から降りるときには視えなくなっていたことも筋が通る。


予想外の事態もあったがこれで鑑定は終了した。俺の妙な力についてはまだすっきりしないが、彼女の正体がアテナという女神だとわかったのは大きな収穫だった。


研究員が俺の頭に取り付けた装置を取り外す間、また別の研究員が奥から出てきて神父と話をしていたが、話の内容までは聞き取れなかった。


アテナは少々不機嫌だった。これまで隠してきた正体がばれたことがそんなに気に入らないのだろうか。別に隠すほどのことでもなかったように思うのだが、彼女にとってはデリケートな部分なのかもしれない。


話を終えた神父がなにやら難しい表情を浮かべてこちらに向かってきた。何事かと思い、装置を全て外してもらった俺は台の上に座り直した。


「君たちに伝えねばならないことがある。たった今入った情報なのだが――」


神父から告げられたのは、衝撃の事実だった。


「君たちの家が襲撃された――」






~守護霊MEMO~


【アテナ】

ギリシャ神話の女神。またの名をアテネ、アテーナー。

戦争の女神として知られているが、戦いだけでなく、戦略、学問、知恵、技芸をも司ると言われており、ローマ神話のミネルヴァと同一とされている。

血生臭い戦いは好まず、古代ギリシャの城塞都市の守護女神であったことから、都市の自治と平和を守るためにその力を振るったとされている。

現在もギリシャの首都アテネのアクロポリスにはアテナの社として建てられたといわれるパルテノン神殿が残っている。


(※諸説あり)

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