1-3 触れたのは、逆鱗?
……んん、朝か。カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しい。
俺は重い体を起こした。体中がズキズキと痛む。やはり床でなんて寝るものではない。視界もぼんやりしていて脳が働かない。まだ寝ぼけているのだろう。とりあえず、部屋の空気を入れ替えれば目も覚めるはずだ。俺は窓の方へゆっくりと歩み寄り、両手でカーテンを掴むと勢いよく左右に広げた。
――そこには美しい女性がいた。
その女性は紛れもなく俺の守護霊の彼女だった。一本一本の髪が艶やかに輝き、風に吹かれてゆらゆらと揺れていた。朝日に照らされた彼女の肌は透き通るように白く、俺はその光景にただただ見とれるばかりだった。
彼女もこちらに気づいたようだ。
「おっ! 目が覚めたんだ。退院したての体で雑魚寝なんて、体も相当こたえたでしょ」
そう言いながら、彼女は部屋の中へ入ってきた。
窓も開けずに。
ガラスをすり抜けて。
目の前で起きたことが信じられず、俺は言葉を失ってしまった。
「んん? どうしたの、ケイト?」
「いや、だ、だって今、窓ガラスを!」
「なによ、当たり前じゃない。私はこの世界の物には触れられないし、この世界の者も私には触れられないわ。霊なんだから」
「ああ、そうか。そりゃそうだよな。ちょっと驚いちゃって」
あはは、と笑うしかなかった。言われてみれば確かにそうかもしれないが、目の前で見るとやはり驚く。そんな俺の様子を見て彼女は得意げな表情を見せた。
「そうよ。いくらあなたが私の主とはいっても、私に触れることはできないの。これだけは絶対に揺るがない。だからもしあなたが私に手を伸ばしても、その手はそのまま私を通り抜けるわ。嘘だと思うならやってみなさい」
彼女は両手を腰に当て、仁王立ちをきめている。実際にガラスを通り抜けるところを見たし、別に嘘だと思っているわけではないのだが、そこまで自信満々に言ってきたのに断るのはなんだか失礼な気もする。
俺の腕が彼女の体をすり抜けた時、どんな感じがするのだろう。温かいのだろうか。冷たいのだろうか。腕に妙な脱力感でも襲ってくるのだろうか。あるいは何も感じないのだろうか。俺も全く興味がないわけではない。
彼女の方へ手を伸ばす――
ゆっくりと手を伸ばす――
ゆっくりと、ゆっくりと手を伸ばす――
柔らかいものに触れる――
……触れる?
ふと我に返ると、俺は彼女の胸を鷲掴みにしていた。決して大きくはなかったが、そのしとやかな胸は俺の掌で覆うには余りあるほどだった。嫌な予感がする。恐る恐る彼女の顔色を窺うと、怒っているのか恥ずかしがっているのか、顔全体が真っ赤になっていた。
「いやあああああああああああああああああああああああああああ!!」
俺は慌てて手を放す。
「うわああ!! ごごごごごごめんなさい! まさか、触れるなんて思ってなくて――」
「貴様あ! 人間の分際で我が体に触れるとは何たる重罪か! この場で天罰を下してくれる!」
「えええ!?」
先ほどまでと口調が明らかに違う。笑顔も誇らしげな顔も嘘だったかのような、まるで鬼のような形相をしている。その表情は殺気に溢れ、今にも人を殺しかねない。この状況でいうところの人というのはもちろん俺だ。
動揺している俺に対しても、彼女は容赦なかった。俺は彼女に腕を掴んで引っ張られ、体勢が崩れたところで脚を払われ、背中から床に倒れた。彼女は逃げられないよう俺の胸部を左足で踏みつけた。
その後彼女は右手を上に突き上げ、掌を天井に翳した。その掌からは小さな光の玉が現れ、次の瞬間にはその光は棒状に形を変えた。光がはじけると1本の巨大な槍が現れた。細く長く真っ直ぐに伸びた柄とは対照的に、白銀に輝く鋭い刃には翼をかたどった派手な装飾が3つ、柄の方向に向かって付いていた。普通なら、守護霊にはそんな力もあるのかと感心するところだろうが、今の俺にはそんな余裕は無い。
「ままま待って! 触れてみろって言ったのはそっちだし、あれは事故で、わざとじゃないんだ! ああいや違う、全部俺が悪い! 謝る! ごめん!」
「黙れ! 人間でありながら、まして男でありながら私の、む、胸に触れるなど、もしも……」
「……も、もしも?」
「子どもができてしまったらどうするというのだ!!」
大丈夫かこの人はー!!
「はあ!? んなことあるわけな――」
言い返そうとした瞬間、喉元に槍を突き立てられ、反射的に黙り込んだ。
「発言を許可した覚えはないぞ人間。貴様はこの場で処刑する。遺言を残すことも許さん。塵も残さず消え去るがいい!」
この人は本気だ。本気で俺を殺す気だ……。
――――ピンポーン。
インターホンの音!来客だ!
「た、助けてくだ――」
「しっ! 静かに」
彼女は俺の口を手で塞ぎ、小声でそう言った。顔が近い。その美貌が、目の前数センチのところにある。場所が悪かったとはいえ、手が触れただけで騒ぎ立てていたとは思えないほど密着している。しかし彼女は怒ることも恥ずかしがることもなく、真剣な表情で玄関の方を見つめていた。今の今まで俺を殺そうとしていたのに、急にどうしたというのか。
「神河さーん? いらっしゃいませんかー?」
ドアの向こうから俺を呼ぶ声がする。しかし室内からは物音ひとつしない。ただその来客が諦めて帰るのを待った。というより待たされた。
来客はしばらくねばっていたが、ポストに何かを入れる音がしたあと、俺を呼ぶ声はしなくなった。彼女はほっとしたようにため息をつくと、やっと俺の口から手を放し、俺の上から降りてくれた。先ほどまでの殺気はもうない。
「急にごめんね。びっくりした?」
「どっちかというと突然襲いかかってきたことにびっくりしたよ。」
「えっ! ああ、あれは、その……ごめん。ちょっと取り乱しちゃったね」
「ちょっとじゃなかっただろ……。まあいいや。取り乱した勢いで殺さないでくれよ? 自分の守護霊に殺されるなんて、笑い話にもならない」
「あはは、そうだね」
彼女は苦笑いをした。とりあえず元に戻ってくれたみたいだ。
「それで、さっきの人は? 知ってるのか?」
「んー、そういうわけじゃないんだけどね。もしかしたら、あなたを狙ってきたんじゃないかと思って」
「……」
「……はいはい、あなたを狙ってたのはあの人じゃなくて私って言いたいんでしょ。謝るわよ」
彼女は頬を膨らませ、そっぽを向いた。先ほどとはうって変わって急に可愛らしくなったため思わず笑いそうになったが、ぐっと堪えて話を続けた。
「俺は誰かに狙われるようなことでもしてたのか?」
「ううん、それは大丈夫。さっきのは私の勝手な思い込み」
「そっか。あの人、ポストに何か入れてったよな? 見てみよう」
「そうね。あの手紙には別に危険はなさそうだし」
俺は玄関に向かい、ポストの中を確認した。そこにはなにやら見覚えのある封筒があった。開けてみるとまたまた見覚えのあるものが入っていた。
「差出人は『霊能都市立特殊霊能研究所』。中身は……召集令状ってやつか」
また召集がかかったらしい。呼び出されたのは、俺があの事件に巻き込まれたときに向かっていたであろう場所だった。どうやら俺は、またあの研究所に向かうことになったようだ。2か月前のあの日のように。
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