第十八話 ~ 逃亡劇 ~
第十八話 ~ 逃亡劇 ~
ビスマルクがハンマーを振りかぶりながら接近する。それに合わせて、ティルピッツが加速する。回り込んで挟み撃ちにするつもりだろう。そうはさせまいと、アリシアは翼を大きく広げ、羽ばたいた。
加速による慣性で首がもげそうになるのを堪え、
ティルピッツは回り込みに失敗し、後ろからの追撃へと移行した。一方、ビスマルクはそうそうに進路を変えたため、多少距離はあるが並走する形となる。
そのビスマルクが、左腕をアリシアの前方へ向ける。すると、左腕の追加兵装であろう物から小型のミサイルが射出された。それは炎を噴出しながらこちらへと飛んでくる。
避けようと機体を捻らせるも、それに合わせてミサイルも軌道を変える。
「ちっ、追尾ミサイルか、うっとおしいな」
爆炎が巻き起こり、衝撃が僅かにコックピット内にも届く。ダメージは無いが、僅かに進路の変更を余儀無くされ、加えて失速という痛手も受けた。
『
心配、というほどではないが、アンドレイの声音には、少しこちらを気遣うようなものを感じた。常識的に考えれば、頭がおかしいと言われてもおかしくない発言だが、恐らくその気遣いは別のところにある。
つまり、
「気遣いは無用だ。そう簡単に落とされると思うなよ?」
確かにこちらは最新鋭機だ。だが、あちらも歴戦の将兵、それも、化け物並みの強さの持ち主が二人だ。勝ち目は薄い、どころか、まともに戦い合えばものの数分で決着が着きそうな程だ。
何としても落ちるわけにはいかなかった。今、この機体には、
『その心意気、畏れ入ったぞ!』
厄介なことに、これを無視する訳にもいかない。仕方無く、先程と同様にミサイルを剣で斬り払う。再度爆炎が広がり、一瞬辺りが光に包まれる。
その光が収まった時、眼の前にあったのは紅い一筋の剣戟だった。
「なっ!!」
咄嗟に剣を前に持ってくるも、あっさりと斬り落とされる。ここで
だが、これでこちらの兵装はなくなった。あとは
「元部下がいるというのに、容赦ないな」
諦念するかのように
本当にそうだろうか。本気で斬るつもりなら、恐らく既に
「なるほど、紅い怪物も部下には優しいのか......」
それだけでもありがたい。けれど、こちらとしては捕まるのもダメだ。四肢を落とされ、コックピットだけにされては何も出来ない。殺されないだけまし、と言うことにはならないのだ。
体勢を立て直したティルピッツが追撃に出る。背後からはビスマルクが近付いてくる。完全に挟まれ、その上こちらに武器はない。
「出来れば使いたくなかったんだが......」
「悪いな、
ティルピッツがアリシアに追い付き、刀を振るう。今度こそ捉えたと思われたが、その標的に刀が届く前に、白い光に阻まれた。
『白い、
アンドレイが戒めを噛み締めるように呟く。存在するはずの無い色を放つ
「でやっ!」
アリシアの
これは受け切れないと判断し、剣先を滑らすようにいなす。その剣の動きを利用して、今度はアリシアが機体を回転させて横凪ぎの一撃を入れる。
アンドレイがビスマルクの姿勢を僅かに変えたため装甲に刃が止められる。直撃とは行かなかったが、それでも、ビスマルクの足を止めるには十分だった。
僅かにビスマルクが体勢を崩す。その隙にアリシアはその場を離脱した。その後方で何度目かのミサイルが発射される。
それと共に、尚も追ってくるティルピッツに、それ以上の接近を許さぬように
だが、場所が悪かった。いつの間にかアリシアはデブリ帯へと入ってしまっていたのだ。射撃と回避運動の両立は骨が折れる。何より、操縦技術は
「
居ても立ってもいられなくなり、
「撃てるか? お前に、あいつが」
グリップを握る手が震えている事には、もちろん気づいていた。だが、
何かしなければ、何の為に着いて来たか分からなくなるじゃないか。
「大丈夫......」
モニターを覗き込む。ティルピッツが迫ってきているのが映し出されている。照準を表す円が表示され、ティルピッツに重なる度に、赤く点滅する。
「......くっ」
指に力が入らない。恐怖が、
それでも、守りたいものがある。それは人を強くする。
しかし、一度踏み切れれば、二度目からは気が楽になる。二射目を放つ。今度は、ティルピッツに向かって飛んでいく。直撃コースだ。だが、それもティルピッツの刀の一振りで霧散した。
けれど、それで十分だ。目的は足止めだ。こちらの対処に気をとられれば減速するはず......だった。
「くそっ!! なんで?!」
しかし、ティルピッツの速度は依然落ちず、やはり距離を詰められる。三射目、四射目、五射目......結果は同じだった。全てを最善の手で対処してくる。
こんな形で
「
ふいに、
「あと10」
「あと5」
生唾を呑み込み、一度瞬きをする。瞼を閉じて、再び開けるまでの僅かな間にも、ティルピッツが近づいているのがはっきり分かった。
「あと3、2、1......撃て」
合図に合わせ、トリガーを引く。その瞬間まで、
白い閃光が何かを貫く。それはデブリと共に爆発四散し、ティルピッツの視界を塞いだ。
「......さっきのミサイル?」
それでも、ティルピッツの足を止められたのはほとんど一瞬だ。けれど、その一瞬は大きかった。
今度は、アリシアの後方から飛来したミサイル弾が、ティルピッツの行方を遮る。これも、
「予想以上に手間取ったな......」
言葉とは裏腹に、
軍人としては、こんなことを考えるのは間違っているのだろうか。敵は殲滅しなければ、と。だが、
ふいに悲しみが込み上げてくる。気付けば、頬を雫が流れていた。慌てて顔を伏せる。けれど、止まらなかった。
「......っ、うっ......っ」
声を必死で押し殺す。そうする程に、気持ちが溢れ、堪らなく後悔している自分を自覚する。
好きだった。あの場所が。
好きだった。あの人達が。
好きだった。あの時間が。
それを、自分は裏切った。
もう、帰る事は出来ない。
それを自覚して、コーラル・シーに収容されるまでの間ずっと泣き続けた。
「馬鹿だな。俺......」
そう呟く
その優しさに、
コーラル・シーの存在を確認し、これ以上の追撃は無意味と判断した
正直なところ、ホッとしている。無意識に手を抜いていたことも、今はちゃんと分かっている。
「一人で追って正解だったか......」
アンリ達が付いて来ていれば、追うと言って聞かなかっただろう。本当は、
「これまで大勢の人間を裏切った私が、部下に銃口を向けられてこの様とはな」
自嘲と自戒。自責と自省。全てに押し潰されそうな表情を浮かべる。そんな時、唐突に機影を確認した。
「機影?! これは......
どうやら、友軍のようだ。回線を開いて、通信を試みた。
モニターに映し出された顔に見覚えがありすぎて、
『隊長!
「ビショップリング、なぜ来た......」
『なぜって......待機命令は出されてませんでしたし......』
アンリに言われ、そう言えばそうだったと、
『それで!
アンリが思い出したように再び叫ぶ。思った以上に元気なようだ。恐らく、一緒に来た
「逃げられたよ。すまなかった、止められなくて」
『え? あ、いえ! 謝らなくていいですよ!?』
唐突に謝られ、アンリは自分の口調が強かったせいだと思ったのか、声を裏返しながら
それを可笑しく思って、
「そう言えば、ガイダル中将のビスマルクを見なかったか?」
『あ、はい。見ました。恐らく、帰投中だったと思われます』
その発言に
「そう......か。分かった、ありがとう。私達も戻ろう」
かつ、かつ、と自分の足音だけが嫌に響く。なんとなく、足の赴くままに進んでいたが、どうやら当たりだったようだ。ある一室から、プロジェクターのような淡い光が漏れ出ていた。
このご時世にプロジェクターとは、と思ったが、プロジェクターも味があっていい。こんなところで、妙に気が合うとは思わなかったのだが。
別に警戒する必要もないか、とドアノブを回して普通に部屋に入る。映っているのは、手を取って走る少年と少女だ。
「おや、来たのですか?」
相変わらず、ねとぉと絡み付くような声で話し掛けてくる。初めこそ抵抗があったが、これだけ長く付き合えば嫌でも慣れるものなのだ。
「ドクター、私はこの件から辞退する」
アンドレイは単刀直入にそう言った。ゲオルギーは驚く表情は見せない。代わりに悲しげな表情を浮かべる。
「そうですか、あなたは良いパートナーだと思ったのですが......」
「私もそう思う、ドクター。だから......」
言いながら、アンドレイがゲオルギーの額に銃口を向ける。ここで、ゲオルギーが初めて驚きの表情を浮かべる。
「な、なにを?! 私は
ゲオルギーが明らかに狼狽する。そんな必死の命乞いも、醜いとは思わない。ゲオルギーの言っていることは本当の事なのだ。いや、正しいか、と聞かれると難しいが、少なくともアンドレイもそれに共感していた人間だ。
だが、
「もちろん、私も同罪だ。ドクターの後で私も行く。これも腐れ縁だ。昔馴染みを一人にはしないさ」
「いや、ま、まってください! や、やめ......っ!!」
静かな部屋に、耳をつんざくような音が響く。ザクロのように頭を吹き飛ばされ、ゲオルギーだった肉体が力なくくずおれる。
それを見送って、アンドレイが自分のこめかみに銃口を向ける。彼らに絶望を与えた自分を、どうしても赦せなかった。
守るべき者に苦痛をもたらすのは、本末転倒ではないか。
贖罪等という格好のいいものではない。ゲオルギーを撃ったのと同じ、これは罪だ、罰だ。そう思いながら、指に力を込めようとして、瞠目した。
「私が手伝って上げますよ、ガイダル中将」
「......っ!!?」
耳元で、ねっとりとした声が囁かれる。その声は、確かに先程自分が撃ち抜いた男の物ではないか。その肉体は今も眼の前に転がっている。
「さようなら」
状況の整理もつかぬまま、アンドレイは後頭部を撃ち抜かれ、床に打ち伏した。その身体にゲオルギーが声を投げ掛ける。
「忘れたのですか? あなたも一緒に見たじゃないですか。クローン人形を......。一日しか形状を維持できないのが難点ですがね」
押さえきれなくなり、笑い声が自然と漏れた。それは次第に大きくなり、天を仰いで高笑いをする。
その目から溢れ出そうな物を押さえるために。
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