第十八話 ~ 逃亡劇 ~

第十八話 ~ 逃亡劇 ~


 ビスマルクがハンマーを振りかぶりながら接近する。それに合わせて、ティルピッツが加速する。回り込んで挟み撃ちにするつもりだろう。そうはさせまいと、アリシアは翼を大きく広げ、羽ばたいた。

 加速による慣性で首がもげそうになるのを堪え、瑞希みずきはモニターから眼を離さないようにする。

 ティルピッツは回り込みに失敗し、後ろからの追撃へと移行した。一方、ビスマルクはそうそうに進路を変えたため、多少距離はあるが並走する形となる。

 そのビスマルクが、左腕をアリシアの前方へ向ける。すると、左腕の追加兵装であろう物から小型のミサイルが射出された。それは炎を噴出しながらこちらへと飛んでくる。

 避けようと機体を捻らせるも、それに合わせてミサイルも軌道を変える。

「ちっ、追尾ミサイルか、うっとおしいな」

 雪夜ゆきやが面倒げに呟く。そして、アリシアの腰部に取り付けられた剣を使って、ハエを払うようにミサイルを叩き斬った。

 爆炎が巻き起こり、衝撃が僅かにコックピット内にも届く。ダメージは無いが、僅かに進路の変更を余儀無くされ、加えて失速という痛手も受けた。

Cl-Asクレイスは使わないのかね?』

 心配、というほどではないが、アンドレイの声音には、少しこちらを気遣うようなものを感じた。常識的に考えれば、頭がおかしいと言われてもおかしくない発言だが、恐らくその気遣いは別のところにある。

 つまり、雪夜ゆきやの生存の問題ではなく、戦闘の愉しさの問題だろう。殺し合いではなく、戦闘である。アンドレイは今、雪夜ゆきやとの戦闘に興じているのだ。

「気遣いは無用だ。そう簡単に落とされると思うなよ?」

 雪夜ゆきやも負けじと挑発的な態度で返す。だが、その額には冷や汗が浮かんでいた。

 確かにこちらは最新鋭機だ。だが、あちらも歴戦の将兵、それも、化け物並みの強さの持ち主が二人だ。勝ち目は薄い、どころか、まともに戦い合えばものの数分で決着が着きそうな程だ。

 何としても落ちるわけにはいかなかった。今、この機体には、雪夜ゆきやにとって守らなくてはいけない存在が、二人もいるのだから。

『その心意気、畏れ入ったぞ!』

 雪夜ゆきやの心中を知ってか知らずか、アンドレイが賛辞を述べる。そして、再びミサイルを放った。

 厄介なことに、これを無視する訳にもいかない。仕方無く、先程と同様にミサイルを剣で斬り払う。再度爆炎が広がり、一瞬辺りが光に包まれる。

 その光が収まった時、眼の前にあったのは紅い一筋の剣戟だった。

「なっ!!」

 咄嗟に剣を前に持ってくるも、あっさりと斬り落とされる。ここで雪夜ゆきやが瞬時にティルピッツを蹴って距離を取らなければ、アリシアも真っ二つだっただろう。雪夜ゆきやの機転に助けられる。

 だが、これでこちらの兵装はなくなった。あとはCl-Asクレイスだけだ。

「元部下がいるというのに、容赦ないな」

 諦念するかのように雪夜ゆきやが呟く。呟いて、違和感を覚えた。

 本当にそうだろうか。本気で斬るつもりなら、恐らく既に雪夜ゆきや達は宙空を漂うデブリの仲間入りをしていただろう。しかし、現実にはそうなっていない。

「なるほど、紅い怪物も部下には優しいのか......」

 それだけでもありがたい。けれど、こちらとしては捕まるのもダメだ。四肢を落とされ、コックピットだけにされては何も出来ない。殺されないだけまし、と言うことにはならないのだ。

 体勢を立て直したティルピッツが追撃に出る。背後からはビスマルクが近付いてくる。完全に挟まれ、その上こちらに武器はない。Cl-Asクレイス以外は。

「出来れば使いたくなかったんだが......」

 雪夜ゆきやしおりの方を一瞥する。視線に気付いたのか、しおりが振り向いた。眼が合って、雪夜ゆきやの意図をしおりが察する。

「悪いな、しおり......。Cl-Asクレイス、起動」

 しおりへの謝罪と共に、雪夜ゆきやCl-Asクレイスを展開する。雪夜ゆきやの右手が光り、しおりの胸元も同様に光る。コックピット内が柔らかい純白に包まれた。

 ティルピッツがアリシアに追い付き、刀を振るう。今度こそ捉えたと思われたが、その標的に刀が届く前に、白い光に阻まれた。

『白い、Cl-Asクレイス......』

 アンドレイが戒めを噛み締めるように呟く。存在するはずの無い色を放つCl-Asクレイスは、剣状の実態を持ってティルピッツの刀を受け止めていた。

「でやっ!」

 アリシアのCl-Asクレイスが、ティルピッツの刀を押し返す。後ろに退くティルピッツと交差するようにビスマルクが前に出る。そして、勢いそのままにハンマーを振った。

 これは受け切れないと判断し、剣先を滑らすようにいなす。その剣の動きを利用して、今度はアリシアが機体を回転させて横凪ぎの一撃を入れる。

 アンドレイがビスマルクの姿勢を僅かに変えたため装甲に刃が止められる。直撃とは行かなかったが、それでも、ビスマルクの足を止めるには十分だった。

 僅かにビスマルクが体勢を崩す。その隙にアリシアはその場を離脱した。その後方で何度目かのミサイルが発射される。

 それと共に、尚も追ってくるティルピッツに、それ以上の接近を許さぬようにCl-Asクレイスを煌粒子砲に変形させて威嚇射撃を行う。

 だが、場所が悪かった。いつの間にかアリシアはデブリ帯へと入ってしまっていたのだ。射撃と回避運動の両立は骨が折れる。何より、操縦技術はいつきの方が数段上なのだ。徐々にその差が縮まり始める。

雪夜ゆきや! 射撃は俺が!」

 居ても立ってもいられなくなり、瑞希みずきが自ら補助席へ向かう。ぐったりと椅子に座り込んだしおりに付加がかからぬように気を付けながら、精密射撃用のモニターを引き出す。

「撃てるか? お前に、あいつが」

 グリップを握る手が震えている事には、もちろん気づいていた。だが、瑞希みずきだってここで雪夜ゆきやに、しおりに死んでもらっては困るのだ。

 何かしなければ、何の為に着いて来たか分からなくなるじゃないか。

「大丈夫......」

 モニターを覗き込む。ティルピッツが迫ってきているのが映し出されている。照準を表す円が表示され、ティルピッツに重なる度に、赤く点滅する。

「......くっ」

 指に力が入らない。恐怖が、瑞希みずきを呑み込もうとする。リリエラと対峙した時とは異なる恐怖。視界が狭まり、呼吸が速くなる。瑞希みずきが躊躇う間にも、ティルピッツは接近している。

 雪夜ゆきやは何も言わなかった。それが逆に、プレッシャーになった。

 それでも、守りたいものがある。それは人を強くする。

 瑞希みずきがトリガーを引く。と、同時に、白い閃光がモニターを埋め尽くす。光は真っ直ぐに延びて、けれど、ティルピッツに当たることは無かった。

 しかし、一度踏み切れれば、二度目からは気が楽になる。二射目を放つ。今度は、ティルピッツに向かって飛んでいく。直撃コースだ。だが、それもティルピッツの刀の一振りで霧散した。

 けれど、それで十分だ。目的は足止めだ。こちらの対処に気をとられれば減速するはず......だった。

「くそっ!! なんで?!」

 しかし、ティルピッツの速度は依然落ちず、やはり距離を詰められる。三射目、四射目、五射目......結果は同じだった。全てを最善の手で対処してくる。

 こんな形でいつきの凄まじさを再確認するとは思わなかった。焦りが照準を狂わせ、狙いも散漫になっていく。

瑞希みずき、24秒後に距離117、仰角8、右26だ」

 ふいに、雪夜ゆきやに声を掛けられた。一瞬何を言っているのか分からなかったが、すぐに照準の事だと理解する。

「あと10」

 雪夜ゆきやのカウントダウンに、グリップを握る瑞希みずきの手が汗ばむ。

「あと5」

 生唾を呑み込み、一度瞬きをする。瞼を閉じて、再び開けるまでの僅かな間にも、ティルピッツが近づいているのがはっきり分かった。

「あと3、2、1......撃て」

 合図に合わせ、トリガーを引く。その瞬間まで、雪夜ゆきやの意図が分からなかった。

 白い閃光が何かを貫く。それはデブリと共に爆発四散し、ティルピッツの視界を塞いだ。

「......さっきのミサイル?」

 瑞希みずきが撃ち抜いたのは、ビスマルクの放ったミサイルだ。雪夜ゆきやは、ずっとタイミングを伺っていたのだ。その機転、判断、視野の広さに驚かされる。

 それでも、ティルピッツの足を止められたのはほとんど一瞬だ。けれど、その一瞬は大きかった。

 今度は、アリシアの後方から飛来したミサイル弾が、ティルピッツの行方を遮る。これも、雪夜ゆきやの想定通りと言うことなのか、背後に現れたのは、コーラル・シーだった。

「予想以上に手間取ったな......」

 言葉とは裏腹に、雪夜ゆきやが涼しげに言う。さすがのいつきも、増援の規模も分からずに突撃するようなことはしなかった。しばらく様子を見ていたが、危険、と判断したのだろう、そのまま反転し、来た道を戻っていった。

 瑞希みずきは安堵の表情を浮かべ、大きく息を吐いた。どっと疲れが押し寄せる。結局何か出来たわけでも無かったが、何より犠牲者がいなくて良かった。こちらにも、そして、向こうにも、だ。

 軍人としては、こんなことを考えるのは間違っているのだろうか。敵は殲滅しなければ、と。だが、いつきは違うだろう。いつきだけではない。アンリも、とおるも、同じだ。きっと、笑いながら同意してくれるのだ。

 ふいに悲しみが込み上げてくる。気付けば、頬を雫が流れていた。慌てて顔を伏せる。けれど、止まらなかった。

「......っ、うっ......っ」

 声を必死で押し殺す。そうする程に、気持ちが溢れ、堪らなく後悔している自分を自覚する。

 好きだった。あの場所が。

 好きだった。あの人達が。

 好きだった。あの時間が。

 それを、自分は裏切った。

 もう、帰る事は出来ない。

 それを自覚して、コーラル・シーに収容されるまでの間ずっと泣き続けた。

「馬鹿だな。俺......」

 そう呟く瑞希みずきの頭を、眼が覚めたしおりがそっと撫でる。

 その優しさに、瑞希みずきは甘んじた。


 コーラル・シーの存在を確認し、これ以上の追撃は無意味と判断したいつきは帰路についていた。

 正直なところ、ホッとしている。無意識に手を抜いていたことも、今はちゃんと分かっている。

「一人で追って正解だったか......」

 アンリ達が付いて来ていれば、追うと言って聞かなかっただろう。本当は、いつきも追いたかった。だが、あの銃口を向けられた時から、身体の震えが止まらなかったのだ。

「これまで大勢の人間を裏切った私が、部下に銃口を向けられてこの様とはな」

 自嘲と自戒。自責と自省。全てに押し潰されそうな表情を浮かべる。そんな時、唐突に機影を確認した。

「機影?! これは......A.G.S.アドミラル・グラーフ・シュペーが、二機?」

 どうやら、友軍のようだ。回線を開いて、通信を試みた。

 モニターに映し出された顔に見覚えがありすぎて、いつきは頭を抱えた。

『隊長! 瑞希みずき瑞希みずきはどこですか!?』

「ビショップリング、なぜ来た......」

 いつきがため息混じりに呟く。その質問に、アンリは不思議そうな顔をして答えた。

『なぜって......待機命令は出されてませんでしたし......』

 アンリに言われ、そう言えばそうだったと、いつきが思い出す。なるほど、自覚していた以上に気が動転していたようだ、等といつきは思った。

 いつき達がのらりくらりとしている間に、雪夜ゆきや瑞希みずきからそれなりの信用を得ていたようだ。まして、自分がそいつのクローン等と言われたら、恐怖で再起不能になるか、現実を知りたくなるか、この二択なのだ。瑞希みずきは後者を取った。それだけだ。誰も瑞希みずきを責められない。

『それで! 瑞希みずきはどこですか!?』

 アンリが思い出したように再び叫ぶ。思った以上に元気なようだ。恐らく、一緒に来たとおるのお陰だろう。二人とも少し目が赤いのが気になるが、それを聞くのは無粋だろう。

「逃げられたよ。すまなかった、止められなくて」

『え? あ、いえ! 謝らなくていいですよ!?』

 唐突に謝られ、アンリは自分の口調が強かったせいだと思ったのか、声を裏返しながらいつきを止める。

 それを可笑しく思って、いつきがくすっと笑う。それを見て、アンリが口を尖らせて顔を赤らめた。

「そう言えば、ガイダル中将のビスマルクを見なかったか?」

『あ、はい。見ました。恐らく、帰投中だったと思われます』

 その発言にいつきは首を傾げる。てっきり付いて来ていると思っていたが、どういうわけか、アンドレイはあの後雪夜ゆきや達を追わずに引き返したという。

「そう......か。分かった、ありがとう。私達も戻ろう」

 いつきの言葉に、アンリが少なからず落ち込んだ顔を見せるが、大人しく受け入れてくれた。


 かつ、かつ、と自分の足音だけが嫌に響く。なんとなく、足の赴くままに進んでいたが、どうやら当たりだったようだ。ある一室から、プロジェクターのような淡い光が漏れ出ていた。

 このご時世にプロジェクターとは、と思ったが、プロジェクターも味があっていい。こんなところで、妙に気が合うとは思わなかったのだが。

 別に警戒する必要もないか、とドアノブを回して普通に部屋に入る。映っているのは、手を取って走る少年と少女だ。

「おや、来たのですか?」

 相変わらず、ねとぉと絡み付くような声で話し掛けてくる。初めこそ抵抗があったが、これだけ長く付き合えば嫌でも慣れるものなのだ。

「ドクター、私はこの件から辞退する」

 アンドレイは単刀直入にそう言った。ゲオルギーは驚く表情は見せない。代わりに悲しげな表情を浮かべる。

「そうですか、あなたは良いパートナーだと思ったのですが......」

「私もそう思う、ドクター。だから......」

 言いながら、アンドレイがゲオルギーの額に銃口を向ける。ここで、ゲオルギーが初めて驚きの表情を浮かべる。

「な、なにを?! 私はG.C.O.ジーコを、世界を正しい秩序に戻すための研究をしているのですよ?!」

 ゲオルギーが明らかに狼狽する。そんな必死の命乞いも、醜いとは思わない。ゲオルギーの言っていることは本当の事なのだ。いや、正しいか、と聞かれると難しいが、少なくともアンドレイもそれに共感していた人間だ。

 だが、瑞希みずき雪夜ゆきや、実験のモルモットとして扱われている者達と会ってみて、分からなくなった。だから......。

「もちろん、私も同罪だ。ドクターの後で私も行く。これも腐れ縁だ。昔馴染みを一人にはしないさ」

「いや、ま、まってください! や、やめ......っ!!」

 静かな部屋に、耳をつんざくような音が響く。ザクロのように頭を吹き飛ばされ、ゲオルギーだった肉体が力なくくずおれる。

 それを見送って、アンドレイが自分のこめかみに銃口を向ける。彼らに絶望を与えた自分を、どうしても赦せなかった。Curse-PURカース・プルは憎き輩だが、彼らは同族、同じ人間だ。

 守るべき者に苦痛をもたらすのは、本末転倒ではないか。

 贖罪等という格好のいいものではない。ゲオルギーを撃ったのと同じ、これは罪だ、罰だ。そう思いながら、指に力を込めようとして、瞠目した。

「私が手伝って上げますよ、ガイダル中将」

「......っ!!?」

 耳元で、ねっとりとした声が囁かれる。その声は、確かに先程自分が撃ち抜いた男の物ではないか。その肉体は今も眼の前に転がっている。

「さようなら」

 状況の整理もつかぬまま、アンドレイは後頭部を撃ち抜かれ、床に打ち伏した。その身体にゲオルギーが声を投げ掛ける。

「忘れたのですか? あなたも一緒に見たじゃないですか。クローン人形を......。一日しか形状を維持できないのが難点ですがね」

 押さえきれなくなり、笑い声が自然と漏れた。それは次第に大きくなり、天を仰いで高笑いをする。

 その目から溢れ出そうな物を押さえるために。

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