第十六話 ~ 雪夜 ~

第十六話 ~ 雪夜ゆきや


 Lラグランジュ3に浮かぶスペースレジデンス群。ここには、G.C.O.ジーコのスペースレジデンスの他に、中立国家が独自で建設したものがある。中立であるから、当然L. A.P.C.E.ラプセルR.  と貿易を行う国家も多い。ただ、それらの多くはG.C.O.ジーコにとっても利益となる為、今まで黙認されてきた。

 だが、今回ばかりは違った。G.C.O.T.ジーコットLラグランジュ3に展開すべく、そこへ向かっているのだ。もちろんそこに、オイローパの姿もあった。

「どういうことですか!? あそこは中立地帯ですよ!?」

 声を上げたのはとおるだ。その発言は至極尤もで、至極自然なものだ。

「あそこには、戦争を知らない人達がいるんですよ!? そこに攻め込もうって言うんですか!?」

 戦争が嫌で、中立国家へと亡命する人は少なくない。G.C.O.ジーコの管理地程裕福な暮らしは難しいが、それでも人間同士の戦争を避けたい人にとっては、絶好の場所だった。

 そんな人達の住む場所を戦地にするには、些か以上に気が引けた。

「上からの命令だ」

 だが、いつきは先程からこれの一点張りである。冷淡に、普段通りに言ってのけるいつきに、さすがのとおるも痺れを切らした。

「失望しましたよ、紅峰あかみね隊長! 無関係な人を巻き込んでまでやる戦闘に、一体何の意味があるっていうんですか!」

 そう言い放ち、とおるはブリッジから出ていこうとする。その背中に、いつきの予想だにしない言葉が掛けられた。

「あそこに、織弦おりづるが居ると言ってもか?」

 ブリッジを出ようとした足が止まる。とおるの目が大きく見開かれた。

瑞希みずきが......あそこに?」

「出来れば、私情を抜きに任務を遂行して欲しかったのだがな。それと、別に攻め落とすつもりもない。そこは安心しろ」

 いつきの呟きを聞いて、とおるはブリッジを出ていく。

ANアームノイドで待機しておきます!」

 元気な声でそう言って。

 ふう、と溜め息を吐くいつき出雲いずもが笑いかける。

「だから初めから言っとけって言っただろう?」

「そうですね、言っておくべきでした」

 いつき出雲いずもに反省した顔で笑い返す。

瑞希みずきがあそこに居るって、どうして分かったんですか?」

 今度の問いはアンリだ。この少女の普通の会話を聞くのは久しぶりかもしれない、等といつきは思った。瑞希みずきが居なくなってから、アンリはずっと落ち込んでいたから。

紅峰あかみね隊長?」

「あぁ、いや、なんでもない。実際に報告されたのは、阿霜あそう雪夜ゆきやが搭乗していたと思われる艦がここに入ったと言う情報だ」

 その話を聞き、アンリが僅かに目を伏せる。確定ではないのだ。あくまで憶測だった。

「だが、奴がいるなら織弦おりづるもいる。だから、そう気を病むな」

「......」

「......なんだ?」

 アンリが驚いたような顔でいつきを見る。それを不快に思ったのか、いつきが少し顔をしかめた。

「あ、すみません。心配してくれていたんだな......て、思って」

「お前が心配を掛けるような顔をしているからだ。皆の士気に関わる。戦地で笑顔を見せろとは言わないが、もう少し元気でいてくれないとこちらが困る」

 表情に変化は無かったが、いつもより饒舌になる。少し気恥ずかしくなったのだろう。そう思うと、親近感が湧いて、自然と顔が綻んだ。

「ありがとうございます、紅峰あかみね隊長」

「......気にするな」

 いつきが口元で笑みを浮かべる。それが、アンリには嬉しく感じた。

 自分で自分の頬を叩き、アンリは気を引き締め直した。


 デパートから三人が出てくる。今日は太陽光の入りも良く、ショッピング日和だった。

 前を歩く男女二人は次に行く店の話し合いをしていた。話し合いと言っても、少年の方が選び、少女がそれに頷くだけなのだが。それでも、二人は何処と無く楽し気だ。

 一方、一、二歩遅れて歩く青年は、大層な荷物を抱えていた。真っ黒なサングラスは、もうこの青年のトレードマークになっている。表情を隠す意図も持ち合わせたそれは、しかし、笑みの形を作った口許までは隠せていなかった。文句など一つも言わずに、荷物を持っている。

「次、ここ行ってみない?」

「......うん。みずきがそう言うなら」

雪夜ゆきやは? ......大丈夫? 荷物持とうか?」

 目的地に対する是非を問うつもりが、その手に持った荷物の量に驚き、ついついそちらを聞いてしまった。

「気にするな。言ってるだろ? 好きにして良いって」

 だが、当の本人は毎回こんな感じだった。

「そう? なら良いけど......」

 瑞希みずきはそう呟いた。

 瑞希みずき雪夜ゆきやに連れ去られてから、既に一週間程が経過していた。その間、瑞希みずきはこのように、ひたすら平凡な日常生活を送っていた。

 もちろん、雪夜ゆきやに対して完全に心を開いたとか、警戒心を失ったとか、そう言うことではない。

 だが、しおりが隣にいる。それで十分だった。

「そう言えば、なんで雪夜ゆきやはこんなことしてくれるの? 理由、まだ聞いてないんだけど......」

「ん? 悪い、聞いてなかった」

 雪夜ゆきやは、どうやら誰かと通話をしているようだった。そのせいで瑞希みずきの言葉を聞き損ねる。

 インカムを耳から取り外し、改めて言うように瑞希みずきを促す。

「あ、ごめん。えっと......雪夜ゆきやはなんで俺をここに連れてきたの?」

「言ってるじゃないか。お前に楽しんで貰いたいんだ、と」

「だから、なんで?」

「......その理由はまだ言えないな」

 連れ去られて初めて聞いた時も同じ事を言われた事を思い出す。きっと、それなりの意図があるのだろうが、それは瑞希みずきにとっては預かり知らぬところなのだろう。

 雪夜ゆきやは再びインカムを耳につける。通信の相手はコーラル・シーで待機している叶愛かなえだ。

「それで、状況は?」

G.C.O.T.ジーコットがこちらに向かっています。恐らく、10分も掛からないかと。L. A.P.C.E.ラプセルR.  にも同様の動きが』

 雪夜ゆきやが顔をしかめる。まずった、と言いたげな表情だ。

「予想以上に早いな。規模的に見ても、こちらの居場所が割れたと考えた方が良さそうだな」

『それで間違いないかと、オイローパの姿も確認できましたし。このままでは挟み撃ちに会うかと』

 叶愛かなえ雪夜ゆきやに進言する。叶愛かなえの言っている事は正しい。恐らく、どちらの狙いも自分達だろう。

 雪夜ゆきやは腕を組んで思案する。出来れば、もう少し時間が欲しいところだった。

「まだ不安要素は残るが、仕方無いか。叶愛かなえ、準備だけでもしててくれ」

「了解」

 短い返事を残して、叶愛かなえとの通信が切れる。さて、と雪夜ゆきやは前を歩く二人に目を移す。

 二人の会話はまだぎこちない。こんな二人を残す訳には、いかないだろう。

瑞希みずきしおり

「......? なに?」

「荷物を置いてくる、さすがにこれ以上は持てない」

 雪夜ゆきやが大仰に肩を竦めて見せた。

「だから、俺も持つって......」

「いいから、お前はしおりと一緒に居てくれ」

 そう言って、雪夜ゆきやは走っていった。

 なんとなく、首を傾げる。随分と唐突な申し出だな、と思った。先程話していた相手と何か関係があるのだろうか......と、これもまた唐突だったが、頭の中に一つの疑問が浮かんだ。

しおり雪夜ゆきやって、どういう関係なの? 幼なじみ?」

 口に出してから、後悔する。もし答えがイエスなら、瑞希みずきには立ち直れる自信が無いからだ。

 けれど、しおりの答えは、少しだけ不可解な物だった。

雪夜ゆきやは、私に自由をくれた人。そして、私を空っぽにした人......」

「......? どういう......こと?」

「分からなくても......いい」

 伏せられた瞳が揺れるのを見て、それ以上追及するのをやめた。

 自由をくれた、と言うのは、あのドームから連れ出したことなのだろうか。そう考えると、瑞希みずきもまた、雪夜ゆきやから自由を貰ったことになる。

 いや、今もそうだ。今も、瑞希みずき雪夜ゆきやから自由を与えられている。

 けれど、空っぽにしたとはどういうことなのだろうか......。

 余計な思考に入りかけて、瑞希みずきは頭をぶんぶんと振った。今は止そう、と思考を切り替える。

 瑞希みずきが再び歩き出そうとして、微かに、地面が揺れた気がした。

「......?」

 しおりは気付いていないようだ。と言うことは、本当に気にならない程度、もしかしたら気のせいなのかも知れない。それなのに、どくん、と心臓が大きく跳ねたのだ。

 胸騒ぎが止まらない。どくどくと、鼓動が大きくなる。

「みずき......?」

 冷や汗を浮かべる瑞希みずきに、しおりが気遣うように声を掛ける。

 大丈夫、と言おうとしたが、それも憚られた。何かが、何かが起こる気がした。

 直感の類いだ。確証はない。無いけれど、瑞希みずきが動き出す理由としては、不足無い。

しおり、コーラル・シーに戻ろう。雪夜ゆきや達が......」

 言い掛けて、一際大きく揺れた。周囲の人々がパニックになる。今度は気のせいではない。

 説明している余裕はないと思った。

 瑞希みずきが、しおりの手をつかんで走り出す。しおりは驚いたような顔で瑞希みずきを見たけれど、何も言わずに付いてきてくれた。

 この状況が、何だかとても懐かしく感じた。


 コーラル・シーに戻ろうとしたが、やはり簡単ではなさそうだった。宇宙港に続く道は、ほとんど全てが封鎖されている。恐らく、雪夜ゆきやを追ってきたG.C.O.T.ジーコットが根回ししたのだろう。

「くそっ!」

 目の前にあるゲートまでは数十メートルだ。だが、その為に十人近くを相手にするのは無謀だった。自分にもCl-Asクレイスが使えれば、と瑞希みずきが歯噛みする。

 そんな瑞希みずきを見かねたのか、しおりが手を引いた。

「こっち......」

「え?」

 しおりに連れられるまま、瑞希みずきが着いていく。行き着いたのは一つのマンホールだ。

「ここ......」

「ここ?」

 マンホールの蓋を明けると、下の方に光が見えた。水気も感じない。なるほど、ここから港に行けるわけだ。

 ぐずぐずしている暇もない。迅速にマンホール内を進む。

 降りてしまえば、中は意外と広く、人一人が余裕で走って行ける程だ。

 ここまで来ると、銃撃戦をしている音が聞こえる。急がなければ。どうして? そんな事を考える余裕はなかった。

 瑞希みずき達は予想以上にすんなりとコーラル・シーの中に入れた。雪夜ゆきやは恐らくブリッジだ。もう後はそこまで突っ切るだけだ。

雪夜ゆきや......っ!!」

 ブリッジに入るや否や、瑞希みずきは口を塞がれ、壁に押し付けられる。当然と言われれば当然の結果だ。運が良かったのは、それが見知った相手だったと言うことだ。

瑞希みずき、悪い、大人しくしててくれ。お前まで巻き込みたくない」

 目の前で人差し指を口に当てているのは、とおるだった。見渡せば、いつき出雲いずももいた。しおりはアンリに取り押さえられていた。

 だが、皆の視線は、銃口は、取り押さえられた瑞希みずき達ではなく、ブリッジの中央にいる雪夜ゆきやに向けられていた。

雪夜ゆきやっ!!」

 瑞希みずきが声を上げようとするのを、とおるが戸惑いながらも必死で抑える。

 銃口を向けられている雪夜ゆきやは、顔をバイザーで覆い、いつものように黒のマントに身を包んでいた。

「お久しぶり、だよねぇ? 阿霜あそう雪夜ゆきや君」

 粘着質な声を出すのは、ゲオルギーだ。こちらも、いつものように白衣を身に付けていた。

「覚えてるかなぁ? よく面倒を見て上げたものだけれど......。それとも、人違いだったかなぁ?」

「......」

 ゲオルギーの問いに雪夜ゆきやは答えない。だが、その力を込めて握られた手が、前者の発言を肯定していた。

 ゲオルギーが喉の奥でクツクツと笑う。ふと、ゲオルギーが何か名案を思い付いたように顔を明るくした。

「せっかくの再会じゃないか。面と向かって話そうじゃないか」

 ゲオルギーの言葉と共に、雪夜ゆきやを囲む兵が、小銃を構える。拒否権は無いようだった。

 雪夜ゆきやがゆっくりとバイザーに手を掛ける。何故か、心臓の音が大きく聞こえる。ここから先は見てはいけないと、瑞希みずきの頭の中で警鐘が鳴り響く。

 それでも、何かに吸い寄せられるように、瑞希みずきは目を離せなかった。

 雪夜ゆきやの顔から、バイザーが取り除かれた。

「......っ!!!」

 それに凍り付いたのは、紅峰あかみね隊だった。とおるの目が、雪夜ゆきやの顔と、自分が押さえている少年の顔とを行き交う。その表情には驚愕が張り付いていた。

 アンリも、出雲いずもも、その事実に愕然とする。

 しおりは目を伏せ、何かに怯えるような表情を浮かべている。

 いつきはそれに勘づいていたのか、痛ましげな顔で、雪夜ゆきやから目を逸らした。

 瑞希みずきだけが、現実に付いていけてなかった。大きく見開かれた目は、焦点が合わない。驚き、戦き、頭が真っ白になった。

 それを現実と受け止めてしまえば、自らが崩れると、本能的に感じ取っていた。

 雪夜ゆきやがゆっくりと顔をあげる。


 そこにいたのは、自分だった――――――

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