第十四話 ~ 希望か、絶望か ~

第十四話 ~ 希望か、絶望か ~


 目を開けると、そこは暗闇だった。もしかしたら、目を開けてないのかもしれないと思えるほど、明かりのない場所。

右も左も、上も下も分からない。それどころか、自分が誰かすら分からない。自分という存在が、泡沫のように危うかった。

 目の前で、ぼうと、炎が昇る。きらきらと、ぎらぎらと、水の中を乱雑に動き廻る。

 ああ、自分は水中にいるのか。ようやく思い至る。水の中に、ガラスの中に、押し込められている。

 こちら側の静けさとは打って変わって、ガラスの向こうは大変そうだった。テレビ画面でも見るように、そう思った。そういえば、テレビって何だ?まあ、なんでもいいか。

 大きいのと、小さいのが、もつれ合い、絡み合い、追いかけ、追いかけられ、逃げ回る。それをけたけたと笑いながら見ていた。ああ、捕まりそう。おっ、避けた。そんな風に、思った。

 小さいのが二つ、手を取り合って、はしる、はしる、はしる、はしる。あ、こっちに来た。でも、こちらを見向きもしなかった。ちぇっ、つまらない。そんな事を思うことも、幸せだ。

 あと少し、あと少し、ゴールまで、あと少し。あ、だめだ。きっと、だめだ。でも少し、嬉しかった。二つが別れるのが、嬉しかった。こちらに残ったことが、嬉しかった―――


 目を開けると、視界を埋め尽くす灰色があった。それが、こちらを覗き込む瞳ということに気付くには、些か以上に時間がかかった。

「め、目ぇぇぇええええ!!!!????!!」

 盛大な絶叫が口から突き出る。うっかりベッドから落下し、体の至る所を打つが、それに構っていられるほど脳みその出来は良くなかった。

「起きた......」

 先程、こちらを覗いていた少女が、ホッとした表情を見せる。その揺れる灰髪に、瞳に、可憐な顔に、細い四肢に、白い肌に、瑞希みずきは見覚えがあった。

「しお......り......?」

 思わず口から出た言葉は、震えに震え、言った本人ですら何と発しているのか分からないほどだった。

 それでも、しおりは頷いた。伏せ目勝ちの目が、自分を見ていた。当たり前のように、涙が溢れた。溢れて、止まらなかった。

「良かった......っ!また、会えた」

 感極まる瑞希みずき。そんな瑞希みずきの背後から、冷めた声が投げ掛けられる。

「目は覚めたか?」

 予想外の、いや、考えないようにしていた声が聞こえ、瑞希みずきが肩をびくりと震わせる。

阿霜あそう雪夜ゆきや......っ!」

 瑞希みずきが肩越しに雪夜ゆきやを睨む。こんな場所でも、雪夜ゆきやはバイザーをつけ、顔を隠していた。お陰で、瑞希みずきの必至の威嚇も効果は無いようだった。

「そう睨むな。別に何もしないさ。今のところはな」

 雪夜ゆきやは、最後にわざとらしい口調で一言加えた。脅しのつもりなのだろうか。バイザーで表情が見えない為、その真意が判然としない。

「ここはどこだ?なんで俺はここにいるんだ?」

 瑞希みずきが気圧されまいと、精一杯凄んで見せる。雪夜ゆきやに対して意味が無いのは、先程十二分に思い知った。これは、どちらかと言えば自分への激励だ。

「コーラル・シー。ANアームノイド用の母艦、要はオイローパみたいなものだ」

 雪夜ゆきやは案外あっさりと答えてくれた。指先は下、つまりコーラル・シーと呼ばれるこの艦を指し、両手に武器のようなものは持っていなかった。もちろん、CR.A.D.クラッドもだ。

 雪夜ゆきやが、今度は瑞希みずきを指差す。内心どきりとしたが、どうやら瑞希みずきの考えを勘繰った訳ではないようだ。端から見れば、取るに足らないと思われた、というのが正解だろうが。

「そして、お前は俺に誘拐された。それだけだ」

「なっ!誘拐?!なんで!?」

 瑞希みずきの疑問に、雪夜ゆきやが答えようとして、口を紡ぐ。どうやらなかなかに面倒な理由のようだ。

 不意に、部屋のドアが開く。入ってきたのは、夕焼け色の髪をした少女。しおりとは、また違った儚さを持った、可憐な少女だった。その胸には、恐らく資料らしきものを抱えていた。

雪夜ゆきやL. A.P.C.E.ラプセルR.  本部から帰投命令が」

叶愛かなえか。まあ、そうだろうな......」

 淡々とした口調にも、僅かに表情が見える。今は、心配と信頼といったところだろうか。その眼差しは透き通った水晶のように澄んでいた。

「無視しておけ。こちらの目的は達した、もう奴等の良いようには動く必要もない」

 本部からの命令を無視しろと、雪夜ゆきやがとんでもない指示を出す。しかし、叶愛かなえはそれに驚きもせず、むしろホッとしたように、顔をほんの少し弛緩させて出ていった。

「さて、これで俺達は晴れて自由の身だ。瑞希みずき、どこか行きたい場所はあるか?」

「......は?」

 雪夜ゆきやの脈絡のない提案は、今までの警戒心を根こそぎ消し飛ばした。


 アルククインテの先端、G.C.O.ジーコの宇宙施設『ヴィクトリア』は、一週間ほどで元の姿を取り戻した。現代技術の水準の高さがよくわかる。

 宇宙での作業は、主にANアームノイドの仕事だ。というより、そもそもANアームノイドは宇宙作業用の補助機械なのだ。今回の改修作業にも、ANアームノイドは非常に有効に活用された。

 損害も、隔壁が正常に動作したお陰で、一部を除けば被害はほとんどない。ひとえに、リカルドといつきが現場に居合わせたからだ。

 そんな、武勲賞を貰ってもおかしくない働きをした紅峰あかみね隊とビショップリング隊だが、その空気は絶望的だった。

「くそっ!!」

 リカルドが壁を殴る。その反動で、背中が反対の壁にぶつかった。その顔が歪んでいるのは、背中に感じた痛みのせいではないだろう。

 他の皆の表情も暗い。それもそうだろう。なにせ、仲間が拉致されたのだから。

「甘かった......」

 いつきから発される懺悔も、いつものような覇気は薄い。自責の念が、彼女を襲っていた。

「そもそも!なんであんなど素人を前線に出してんだ!紅峰あかみね!お前らしくもない!」

 いつきの胸ぐらをリカルドが掴み掛かる。誰一人止めようとしないのは、同意か、それともその気力すらないのか。

「リカルド、私らしさとはなんだ...?」

 いつきが、自嘲染みた声で問う。

「私を過大評価し過ぎだ......。そんなに高尚なものでもない」

「......っ!くそっ!」

 いつになく弱気ないつきに気分を乱され、リカルドは乱暴に手を放す。

瑞希みずき、大丈夫よね......?」

「大丈夫だ。あいつはもう、保護される側じゃない」

 アンリの不安を払拭しようと、とおるが強くそう言う。だが、それも焼け石に水だ。どんなに口先で言っても、心のそこから沸き上がる焦燥感は偽れない。

 こんな最悪なテンションの中、一人だけ飄々とした態度を崩さない少女がいた。

「そんなに心配しなくても、やつは無事だ」

 根拠のない台詞に、リカルドが青筋を浮かべる。今にも殴りかかりそうな勢いで、イヴに問い詰める。

「何が分かるって言うんだ!!小僧を連れ去ったのはドーム一つぶっ壊した犯罪者だぞ!!?」

 リカルドの言葉に、同意する雰囲気が室内を漂う。だが、それさえも軽く受け流して、イヴは問い掛けた。

「なら、その連れ去った犯罪者が殺した人数を数えてみろ」

「なにを......っ!」

 言われて、気付く。あくまで事実だけを、はっきりと彼の行いだと分かる事だけを都合良く取り出したに過ぎないが......。

「ぜろ......?馬鹿な......っ!?」

 そう、0だ。瑞希みずきを連れ去った時も、催眠ガスで眠らされただけで、怪我を負ったものはいない。宇宙へ上がる際にも、用意周到に、見付かることなくやって見せた。ドームの時も、酷い惨状だったが、彼の仲間が撃ったのは、全てだ。

「まあ、だから絶対無事とは言えないが、すぐにどうこうという輩でもないだろう」

 イヴの言葉で、全員の顔に明るさが戻る。

「なる...ほど。確かに、そう言われればそうだ。希望はあるな!」

 リカルドも納得したようだった。予断は許されない。だが、望みがないわけでもない。いつきも、イヴの言葉で、救われた気分になった。

 しかし、言った本人の表情は良いものではなかった。

「.........」

 気になることは、幾つかある。

 まずは、瑞希みずきをさらった理由だ。身代金の要求等は一切ない。真意が掴めない。

 次に、あのCl-Asクレイス、白色のCl-Asクレイスだ。変形した、と言うだけではない。そもそも色がおかしいのだ。

 Cl-Asクレイスは人間で言えば血液型で色が決まる。例えば、A型だと青、B型だと緑、O型だと赤、AB型だと黒、と言った具合だ。個人差は相応にあるが、少し薄かったりする程度だ。真っ白等、あるはずがないのだ。

 最後は―――

「そういうことになるか......」

 イヴが一人言つ。思考の果てにたどり着いた答えは、希望か、絶望か......。

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