第九話 ~ リリエラ・ヴィスト・バートリオ ~

第九話 ~ リリエラ・ヴィスト・バートリオ ~


『初めまして、私はリリエラ・ヴィスト・バートリオだ』

 オープンチャンネルで通信が入る。モニターに映し出されたのは、女性と見紛うほど美しい青年だった。蒼髪蒼眼、整った顔、透き通った肌。その全てに見るものを魅了する力を感じた。

 彼が乗っている機体には『NGTM AEU-00s Artoriusアルトリウス』と書かれている。曲線の多い機体は青年の美しさを反映している。青く透き通った装甲や真っ白な基本色は、さながら天使のようだった。

 だが、いつきは警戒心を解こうとしない。ティルピッツの構える刀の切っ先は蒼い機体へと向いていた。

 青年があからさまな溜め息を吐く。それさえも美しいと思えてしまう。

『剣を下ろしてくれないか?こちらに戦闘の意思はない』

 凛とした声は、青年を好印象に見せる。話し方も、モニター越しの雰囲気も、彼を気高く見せる。だが、いや、だからこそどこか油断できない何かを感じた。

 ティルピッツが刀を下ろした。信用した、と言うより妥協した、と言った感じだった。

『何しにきた。いや、そもそもどうやって来た』

『どうって、見れば分かるだろ?ノアに乗ってきたのさ』

 ノアとは恐らく宙に浮いたあの艦の事だろう。しかし、いつきが聞きたいのはそうではないことくらい、彼には分かっている。分かっていて、あえて言ったのだ。

『ふざけているのか?』

 いつきの声に僅かに怒気がこもる。瑞希みずきは思わず固唾を飲むが、モニターからは笑い声が聞こえてきた。

『いや、すまない。変わったなと思ってな。前はあんなにあどけない少女だったのにな』

 いつきの眉がぴくりと動く。その反応すら、青年は心底楽しんでいるようだった。その端々にも上品さは忘れない。

 どうやら、彼といつきは旧知の仲のようだった。いや、二人だけではないらしい。

『バートリオ、久しぶりだな。ちょうどイラついていたんだ。こっちに上がって来い。私が許可する』

 話に割り込んできたのはイヴだった。出雲いずもを押し退けて、モニターに映る辺りが彼女らしい。この青年にどんな遺恨があるのか、若干顔がひきつっているのは指摘しない方が良いのだろう。それを知ってか知らずか、青年の優雅さは相変わらずだった。

『イヴローラか。そうか、君も一緒だったか。そうだな、そうしよう。お互い多忙の身だろう。積もる話は移動しながらとしよう』

 こうして、瑞希みずき達をほったらかして、話がどんどん進んでいった。

 オイローパに収容される直前、とおるから通信が入る。秘匿通信だった。

『気をつけろ、瑞希。あの男、L. A.P.C.E.ラプセルR. の者だ』

『え?L. A.P.C.E.ラプセルR. て敵なんじゃ......』

『だから気をつけろって言ってんだろ。隊長達とどんな関係かは知らないが、ここでオイローパが沈められたりしたらしおりを追えなくなる。警戒だけはしとけ』

 しおり、と聞いて、瑞希みずきの表情が堅くなる。そうだ、目的を誤ってはだめだ。そう思い直し、瑞希みずきはハッチ内へと入った。


 生で見ると、それは一層美しく思えた。

「改めて、私はリリエラ・ヴィスト・バートリオだ」

 立ち振舞い、姿勢、表情、雰囲気、どれをとっても人間とは思えない程に神掛かっていた。いや、L. A.P.C.E.ラプセルR. の人なのだから、人間ではないのかもしれないが......。

 今、皆が集まっているのはブリーフィングルームだ。簡易的に椅子を高そうなものに代え、ディスプレイ付きのテーブルにテーブルクロスを敷いただけだ。

 と、言うのも、オイローパには客間と呼べるものが無い。昔はあったそうだが、今はイヴの趣味で別の用途に使用されているそうだ。機会があれば見に行きたいのだが......。一応、普段なら隊長室でもてなすのだが、何故かいつきはブリーフィングルームを選んだのだ。こちらにも今は触れないでおこう。触らぬ神はなんとやら、だ。

 ここに集められたのは、いつき、イヴ、とおる、そして瑞希みずきだ。出雲いずもは操舵の関係上パスした、ということになっている。瑞希みずきがここに呼ばれたのは、いつきの計らいだった。彼女いわく、聞いておけ、損はない、とのことだ。

 何故か微妙に重苦しい空気の中、リリエラは自己紹介を飄々と続ける。

「私はL. A.P.C.E.ラプセルR. の者だ。斎とイヴローラは知っているが、L. A.P.C.E.ラプセルR. の最高評議委員会代表、それと最高評議委員会国防総長という役職を担っている」

「なっ!」

 とおるが絶句する。そして、素早い動作で銃を構えた。銃口はリリエラに向いている。

「な、なにしてんだよ、とおる!」

「分からないか?!ここに敵のトップがいるんだ!それを見過ごせるか!」

 殺気立つとおる。だが、瑞希みずき以外に止めようとする人は居なかった。しかも、心なしかやっちまえと言った雰囲気すら感じる。銃を向けられた本人ですら、危機感をまるで感じていない。

 違和感を覚え、とおるは銃を下ろした。横の方で舌打ちが聞こえた気がするが、気のせいだろう。気のせいだと、思う。

「賢明だな。よく周りが見えている。だが、無知過ぎるな。世界は君が思っているよりずっと広い」

 とおるを諭すようにリリエラが言う。見た目は歳にそこまでの差があるとは思えないが、発言からは説得力を感じる。清々しいほど爽やかな笑顔が癪に障るが...。

「部下が無礼をした。一応、詫びておこう」

 いつきが頭を下げるのをリリエラは片手を上げて止めた。そして、いつきの方へと顔を向ける。

「何も話してないんだな。だが、この状況では、彼の行動が正解だろう。いや、君達が異常だと言うべきか」

 挑発とも取れるその言葉に、いつきは反論しなかった。リリエラがいつきの眼を射抜く。心の底を見るような、そんな目だ。だが、リリエラは何も言及はせずに話を続けた。

「まあいい。私が言うことではないだろう。私の用件はこっちだ」

 そう言って、リリエラが一枚の写真を出す。それを見て、瑞希みずきは背筋が凍った。そこに写されていたのは灰髪の少女だった。

「この娘は?」

「独自に行方を追っているだけだ。心当たりは?」

「......ないな。イヴは?」

「さあ?人間の顔なんかいちいち覚えてない」

 嘘だ。二人はこの少女を知っている。それどころか、瑞希みずきとおるも知っているのだ。だが、二人はしらばっくれた。

「そうか、そっちの二人は?」

「自分は何も」

「俺も......です」

 つまり、こうしろと言うことだ。いつきが、リリエラにしおりの情報を渡すのは危険と判断した、なら、従う方が吉だ。一瞬、リリエラの目付きが変わるが、それもすぐに戻った。

「そうか、君達なら知っていると思ったが。まあいい、私の用はそれだけだ」

 リリエラはそう言って、立ち上がった。いつきが僅かに驚いた表情を見せる。本当にそれだけ、ということに対する驚きだろう。だが、リリエラはドアの方へと歩いて来る。悠然と歩く姿は一国の王に相応しく思った。

「口調はイヴローラの真似、態度はゆうの真似。本物の君はどこにいるんだい?」

 退出際、リリエラがいつきの耳元でそう囁いた。気に障るところがあったのか、いつきが眉をひそめる。しかし、それに瑞希みずきとおるも、イヴでさえも気付かなかった。理由は、その直前に鳴ったアラームだ。

『コンディション・レッド発令、コンディション・レッド発令。隊長、δデルタ級含む約三十体が接近中です。δデルタ級射程内まで、およそ十分程度かと!』

 オペレーターのアナウンスが状況の切迫さを伝える。だが、リリエラは笑っていた。

「おやおや、今日はアレスも元気がいいようだ」

 そう言いながら、こちらを向く。その表情はどこか楽しげだった。

「置き土産に私の戦いを見せよう」

 そう言い残して、リリエラはハッチへと向かった。


 目を開けると少女は光の中にいた。これはいつの記憶だろう。心当たりがありすぎて、明確な答えが出せない。いや、そもそも、これか現実の物という可能性もあった。だが、少女にとってはそんな事はどうでも良かった。

「目が覚めたか?」

 自分の頭上から声が聞こえた。そこで始めて、自分がベッドの上に寝かされている事を自覚した。ベッドというより、手術台の方が適切だろうか。しかし、それも気にするに値しない事だ。

「私が分かるか?」

 男が少女に聞く。返事をしようとして、気付く。声が出ない。仕方がないから、緩慢な動作で首肯した。

「そうか、良かった。」

 男が安堵の表情を浮かべる。男は少女にとって、父と呼ぶべき人だ。血の繋がった父娘おやこ。だが、少女にはそれすら意味をなさないことくらい分かっていた。少女には到底感情と呼べるものが無かった。

 父が自分をどうしたいのかは分からない。だが、自分がどうなっているのかは分かる。要するに、人間兵器だ。大人の都合で作られ、大人の都合で壊される。それが少女の背負う運命だ。

「家族はもう二人だけだ」

 父が、悲しげに目を伏せる。少女には兄妹がいた。顔がそっくりだと、父によく言われた。瞳や髪色は母と同じで綺麗な灰色だ、と。

「私が間違っていたのだろうか?母のようにはさせまいと、願ったのが悪かったのだろうか?」

 父の頬を伝った雫が、少女の顔へと落ちた。それを無機質な瞳で眺めやる。

「そろそろいいですか?」

 父の後ろから、男が現れる。父はそれに頷いた。少女が別の部屋へと連れていかれる。これから何をされるのか、そんな事には興味がなかった。

 こんな夢から覚めるのはいつだろう。

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