第五話 ~ その手の中には ~

第五話 ~ その手の中には ~


地下深く。ひんやりと冷たい空気が肺を満たす。暗闇の中を頼りない光がぽつぽつと灯っていた。施設と呼ぶには余りにも非現代的な造りだ。

叶愛かなえ、彼女の様子は?」

「問題はありませんが、未だに起きる気配がありません」

「それはそれで良かったかもな......」

横たわった少女を一瞥し、雪夜ゆきやはそう嘯いた。携帯端末の電源を入れ、ディスプレイを表示する。そこには、何かの時刻表の様なものが映し出されていた。

叶愛かなえ、準備をさせろ。宇宙へ上がるぞ」

「了解」

短く返し、叶愛かなえはインカム等を用いて指示を出す。慌ただしくなる施設の中で、雪夜ゆきやは固く手を握り締めた。


瑞希みずきの家の前に、船が静かに降り立った。

ほぼ無音、風の流れすらほとんど感じさせずに着陸したそれは、黒光りの船体を持つ飛行船艦だ。側面には『G.C.O.T.ジーコット』の文字があしらわれている。

艦の前にはティルピッツが屹立していた。

それらを囲むように、とおるの部下が並ぶ。とおるの表情は明らかに苛立ちを見せていた。

ティルピッツのコックピットハッチが開き、少女が降りてくる。紅みがかった黒髪をなびかせる少女は、刃物のような鋭さと冷たさを感じさせた。

「世界連携機構ユーロ連合圏東部部隊所属紅峰あかみね隊隊長、紅峰あかみねいつきだ」

いつきとおるの前まで歩み寄って、そう告げた。それが言い終わるが早いか、とおるいつきに掴みかかる。その顔はいつもの端正な表情とはかけ離れていた。

紅峰あかみね......いつき......っ!」

明築あかつきとおるか、私達は初対面のはずだが?」

「俺はゆうさんの弟子だ......!」

ゆうという名前を聞いたとき、とおるに掴みかかられた時ですら冷静だった顔に、一瞬動揺が浮かんだ。

だが、取り乱すこともなく、すぐに淡々とした口調で話し始める。

「なるほど、ゆうに弟子がいたのは聞いていたが......それで、どうするんだ?今ここで私を殺すのか?知っているんだろ?ゆうを殺したのが私だと」

責めるでもなく、貶すでもなく、いつきはただ淡白にそう聞く。とおるは何も出来ずに、舌打ちをしながら手を離した。

「賢明な判断だな。だが、これ以上ゆうの名は出さない方が良い。反逆者と懇意にしていた、なんて知られれば、どうなるか分かったものではないからな」

やはり冷徹に、一切声音を変えずにいつきはそう言った。とおるは、悔しさからか顔を伏せる。それに気づいているのかいないのか、いつきは話を続ける。

「これより、明築あかつき隊は紅峰あかみね隊に指揮権が移譲される。拒否権はない。以上だ。今日は解散していい」

「ちょ、ちょっと待ってください!そんな報告来てません!」

いつきの一方的な報告に異を唱えたのはアンリだ。隊の通信員の役割も担っているアンリが上層部からそんな指示が来てないことを主張する。

「拒否権はないと言った。それに、これは私の独断だ。嫌なら上に泣きついてみればいい。上が通信に応じてくれるのならな」

反論を許さぬ威圧感を残して、いつきは艦の中へと入っていく。もう誰もいつきの背中を呼び止めようとはしなかった。


いつきが艦に入ると紅髪の少女が壁にもたれ掛かっていた。いつにが少女の前を通り過ぎようとした時、少女が口を開いた。

とおる...と言ったか、あやつも不憫だな。反逆者の写真を大事そうに持っているような女に言われたくはなかっただろうに...」

その言葉に、いつきが足を止め、少女を振り返る。少女は意地悪な笑顔を浮かべて斎を見ていた。

「イヴ、そんな事を言うためにここにいたのか?」

「そうだが?」

いつきの声が何時にも増して怒気がこもる。視線が幼い風貌の少女を射ぬく。

だが、対するイヴの方は、堪えた様子もなく表情を変えずにいつきの横を通り抜ける。

「そんなに自分を責めなくても、良いと思うのだがな」

 すれ違い様に、イヴが囁く。その言葉にいつきの顔が歪んだ。

「赦されて......いいはずがない」

自分に言い聞かせるように呟き、いつきはいつも通り気丈な態度で歩き出す。その後ろ姿を出雲いずもは物陰から眺めていた。ふう、と溜め息を吐きながら、端末から映し出された文面へと目を移す。書かれているのは『明築あかつき隊の削除』という文字。

「仕方ないよな、うちのお姫様が決めたんだから......」

出雲いずもは頭を掻きながら、『返信』という文字に指を触れる。『達成』という2文字を打ち込み、出雲いずもは『送信』を押した。


「あーもう!何なのよ、あの女!」

ぎゃおぎゃおと人の家で喚いているのはアンリだ。出来ればもう少し静かにして欲しいと思う瑞希みずきだが、これ以上機嫌を損ねられても困るため、愛想笑いで誤魔化していた。

「しかも本当に上と繋がらないし!実はあいつが根回ししてんじゃないの?!」

だが、収拾がつきそうにない。アンリの怒りは徐々にヒートアップしていく。それにつれ、瑞希みずきの笑顔もひきつっていった。

「落ち着け、アンリ」

「落ち着け、て、あんたはそれでいいの?!とおる!」

「今は上官だぞ、俺。お前の隊長なんだが」

「知るか!このイケメンヘタレ!」

アンリの罵詈雑言にとおるは力なく笑う。その顔をいたたまれなく思い、瑞希みずきもアンリも顔を逸らした。

少し落ち着いたところで、再びとおるが口を開く。先ほどと打って代わって、語気に真剣味が増していた。

「現状、俺達に出来ることはほとんどない。上層部との連絡がつかない以上、物資の補給も望めない。その点では、多少危険でも紅峰あかみね隊に付くのが無難だと思う」

とおるの説得力ある発言に、瑞希みずきは思わず頷く。そんな瑞希みずきを見て、とおるは、だが、と前置きしてから続ける。

瑞希みずき、お前はどうしたい?」

その言葉に瑞希みずきははっとした。

「上層部からの指示がない以上、本来ならお前も行動を共にするべきなのだろう。でも、俺は反対だ。俺はお前を解放しようと思っている」

「ちょ......ちょっと、とおる?!」

アンリの驚きも無理はない。素人の瑞希みずきでも分かる。これは軍務放棄だ。軍人として、あってはならないはずの行為なのだ。

だが、とおるはアンリの発言を封殺する。とおる瑞希みずきの目を真っ直ぐと見ていた。思い返せば、とおるの言動は軍人としてはおかしなものが多かった。瑞希みずきをただの任務対象として扱ってはいなかった。

「俺は......」

瑞希みずきが言い淀む。正直に言えば、とおるの提案は瑞希みずきの心を一瞬で掴んだ。当たり前だ、一般人である瑞希みずきにとって、とおるたちに付いていくというのは、それだけで危険が伴う。

だが、違和感が、瑞希みずきを即答させることを拒んだ。視線が泳ぐ。とおるの目を直視できない。何か、何かがある。自分がやらなければならないことが......。

唐突に頭の中を何かがよぎった。違和感の理由は自分の手の中にあった、あったのだ。自分の命を賭してでも、やり遂げたいことが......。

開いた手の中で、真っ白な栞が光を浴びて煌めいた。

 そうだ、俺は―――


いつきに集合を掛けられ、談話も程々に皆が集まった。瑞希みずきの顔を認め、いつきは一瞬顔を曇らせたが、特に何も言わなかった。

「今後の方針が決まった。現在我々はユーロ連合とシベリア連邦の国境付近に位置している。上からの命令は阿霜あそう雪夜ゆきやの追跡、及び人質の保護、だそうだ。よって、これから軌道エレベータへと向かう」

一瞬、場の空気が変わる。誰一人声には出さないものの、驚きが伝わった。それが任務の内容なのか、はたまた目的地に対するものなのかは瑞希みずきには分からなかったが。

「道中、どう足掻こうがアレスと遭遇するだろう。極力避けたいが、δデルタ級やθシータ級に出逢えば戦闘も仕方ない。各自、準備しておけ、以上だ」

「了解」

一糸乱れぬ返答が響く。ブリーフィングが終了し、各々が持ち場へと動こうとしたとき、この空気に似合わぬ声が待ったをかけた。

「あ、あの!」

「ん?織弦おりづる瑞希みずきか、なんだ?残念だが、お前は軌道エレベータまでは同行してもらうぞ」

軍属相手より微妙に柔和な声音に逆に緊張しつつ、瑞希みずきは続ける。

「お、俺を、隊に入れてください!」

「なっ......」

瑞希みずきは誠心誠意腰を折って頼む。さすがのいつきもこれには不意を突かれたらしく、思わず声が漏れる。

この発言に度肝を抜かれたのは、どうやらいつきだけではなかったようだ。

「ちょっと瑞希みずき!どういうこと!?この仕事がどんだけ危険か分かってんの?!」

「そうだ、命を落とすことにもなりかねないのだぞ?」

アンリが凄い形相で瑞希みずきへと迫る。途中、いつきと意見が被ったことに顔をしかめるも、それすら瑞希みずきへとぶつけようと瑞希みずきへ詰め寄る。だが、瑞希みずきは腰を折ったまま動こうとしなかった。

「それに、私一人の権限では......」

「私が許す」

言葉を濁すいつきの声を遮るように、澄みきった音が鳴った。それを声と認識したのは彼女が第二声を発したときだった。

「別にいいだろう、そのくらい。危険なことくらい言われずとも本人が分かっている」

その場にいた全ての人が凍り付いた。その少女は、瑞希みずきよりもこの場にいるにはおかしな風貌だったからだ。

少女はその視線を不快に思ったが、すぐに得心がいったように口を開いた。

「そういえば名乗っていなかったな、私の名はイヴローラ・アイネ・フィリップ・ローズクライン」

少女は自信たっぷりにそう言う。そして、不適な笑みを浮かべて、言い放った。

Curse-PURカース・プルだ」

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