第三話 ~ 虚構の空 ~

第三話 ~ 虚構の空 ~


 北極海上空、闇夜に浮かぶ影がある。影はゆっくりと空中を泳いでいた。その影は、空を舞うにはいささか無骨で、兵器と呼ぶにはいささか美しすぎる外観をしていた。


 無音飛行、人類が空を飛ぶのに、もはやエンジンなどと言う無粋なものは不要となった。

 重力子を量子演算の元で操作し、重力場を制御することで飛行を可能としているのだった。


 そして、その船体には、紅く煌めく文字でこう書かれていた。


 ――G.C.O.T.ジーコット――と。



 船内は予想以上に静かだ。エンジンを用いていないのだから、当たり前と言われればそれまでなのだろうが、それでも驚くほど静寂に満ちていた。


 ある一室、司令室のような部屋に少女はいた。軍服こそ着ているものの、その横顔にはまだ幼さを残している。

 紅みがかった黒の髪は、どんな意図があるのか、一房だけ灰色になっていた。立てられた写真を見つめ、何かを思い起こすように、哀しみを帯びた笑みを浮かべる。


 だが、扉のノック音が聞こえた途端、少女の表情は歴戦の将兵のそれに変わった。眼光に、無理矢理厳格さを宿す。


紅峰あかみね隊長、本部より打電が」


 扉越しに声を聞き、少女は無言で司令室の扉を開ける。開いた扉の向こうには、少女とは違って軍服を着崩した青年が立っていた。染められた金髪とお茶らけた雰囲気は、やはり軍人らしからぬものだ。だが、青年には兄のような親しみやすさと温かさを感じる。


 それがあってなのか、青年の顔を見た少女の顔から、心なしか緊張感が薄れる。


いつきで良いと何回言えばわかるんですか、たちばなさん」


「そっちこそ、出雲いずもで良いって言ってるだろ? というか、少し前までは出雲いずもって呼び捨ててただろ」


 こんなやりとりをもう何回やったのかは覚えていない。いつもはどちらも譲らず、そのまま話題を逸らす。だが、今日は違った。


「分かりました。では、出雲いずもさんで」


「敬語も要らないんだけどな。俺の方が年上とはいえ、階級は下なんだし」


 出雲いずもは少し驚いた表情を見せつつも、いつもと変わらない調子で続ける。


「それで、打電と言うのは?」


「ああ、これだ」


 出雲いずもが手に持っていた資料を斎に渡す。それにパッと眼を通したいつきが驚きで眼を見開く。


「これは......」


「バカげているよな? これだけの小規模部隊にやらせることかよ......」


 出雲いずもがやれやれと言った顔つきで首を横に振る。資料に目を通していたいつきのその顔が、徐々に険しくなっていく。


出雲いずもさん、隊の召集を。紅峰あかみね隊はこれより、緊急任務に入ります」


「りょーかい」


 いつきの軍人らしい声音に、出雲いずもの軍人らしからぬ声音が被る。

 出雲いずもが部屋から退出し、いつきは一人になった。それを見計らったかのように、先程とは違うドアが開く。

 いつきはそちらを一瞥もせずに、先程の資料に目を通していた。


いつき、今回は面白い事になりそうだな」


 まるで真剣を抜刀したかのような澄んだ音が響く。ドアから入ってきたのは、随分と幼い少女、外見からすると10才程の女の子だった。髪と眼は返り血でも浴びたように鮮やかな紅色、肌は透き通るような白さだ。この少女とすれ違えば、誰でも二度見してしまうくらい端麗な容姿をしている。

 だが、その口調は随分と尊大で、とても隊長と呼ばれていたいつきに向けるものではないように思える。


 しかし、いつきは気にした風も見せずに、それが当たり前のように返事を返す。


「イヴ、あまりそう言う言い方をするな」


「お前には言われたくないがな、いつき


 ピクリと肩を震わせたいつきを面白そうに眺めやり、イヴは再び扉から出ていった。


 誰も知らないところで、世界は徐々に動き始めている。イヴからそんな風に言われた気がして、いつきは再び資料へと目を落とした。



 パァン―――


 耳をつんざく音が静まり返った校舎に木霊する。


 後悔はなかった―――いや、一つだけ、彼女の笑顔を見れなかった事は後悔だろうか。


 そんな事を考えていた瑞希みずきは、ふと違和感に気づいた。覚悟していた衝撃がいつまで待っても来ないことに。


 瑞希みずきが恐る恐る目を開く。目の前には煙を吐き出している銃口があった。


「なん......で......?」


 瑞希みずきの問いに雪夜ゆきやは答えなかった。再び瑞希みずきが問おうと口を開きかけ、だが質問することは出来なかった。


 何かを察知した雪夜ゆきや瑞希みずきを蹴り飛ばして、自分も後ろへと跳躍した。その瞬間、先程まで二人のいた場所に大量の銃弾がばらまかれた。


瑞希みずき! 無事か?!」


 痛みと目の前の光景に呆気にとられていた瑞希みずきの耳に、聞き慣れた声が届く。


とおる?!」


「良かった、無事だったんだな」


 ほっとした表情を見せるとおるの服装は、瑞希みずきが今まで見たことのない物だった。例えるなら、そう、映画に出てくる特殊部隊のような格好だ。


とおる、その格好は?」


「ごめん、説明は出来ない。まだ、許可されてないから」


 瑞希みずきの疑問に、とおるは答えなかった。それに少しだけ瑞希みずきがむっとする。


「けど、アンリもいる。とりあえず、お前の味方だ」


 とおるが、言いながら指をさす。その方向に顔を向けると、確かに同じ服装の金髪少女が数人と一緒にいた。


 困惑した様子の瑞希みずきをよそに、とおる雪夜ゆきやへと声を投げ掛ける。


「その子をどうするつもりだ?!」


 とおるのその言葉に、瑞希みずきははっとした。いつの間にか、雪夜ゆきやしおりを抱き抱え、悠然と立っていた。


「お前は、どこまで知っている?」


「......詳しいことは知らされていない」


「なら、追いかけるな」


「っ、まて!」


 ボフ、と音を立てて白煙が立ち込める。とおるの制止の声が聞こえ、それに紛れてうめき声も聞こえた。そして、煙が晴れる頃にはもう雪夜ゆきやの姿はなかった。


「くそ、こんな古典的な手で逃げられるなんて!」


 悔しがるとおるの横で、瑞希みずきはただ呆然とするしかなかった。



 暗い一室のモニターの前に男達はいた。

 一人は軍服の上でも分かるほど体格がよく、白衣を着たもう一人の男は見るからに不健康そうな細さだ。


「逃げられましたな」


 軍服の男が言う。


「なぁに、今欲しいデータは取れましたよ」


 白衣の男が喉の奥でくつくつと嗤う。


 モニターに映るのは赤く染まった部屋。それを白衣の男は楽しそうに眺めていた。

 悪趣味だ、と言いたげな表情を隠しもせず、軍服の男は椅子に腰掛けた。


「それで、いつ頃になりそうですかね?それの完成は」


「もうすぐ......恐らく、今年中には」


 白衣の男は押さえられないと言った感じで表情を歪ませた。それを見て軍服の男がつまらなそうにモニターへと視線を移した。


 モニターには気力の抜けた少年の顔が画面一杯に写し出されていた。



 気が付くと、家にいた。自分のベッドで横になっているようだった。痛むところはない。どうやら精神的なショックで気絶していたようだ。


「まあ、あんな事が起きればなぁ」


 気絶する前のことを思い出し、少し落ち込む。


瑞希みずき、大丈夫か?」


 目を開けていた瑞希みずきに気付き、とおるが申し訳なさそうな声で尋ねる。それを笑って返して、瑞希みずきは体を起こした。


とおる、アンリは?」


「あいつは仮眠中だ、二日間ずっとお前についていたからな。まあ、代わって正解だったようだ」


 二日という日数にも驚いたが、それ以上に透の言い回しに瑞希は引っ掛かった。


「アンリがいなくて良かったって、どういうこと?」


「この前言ったよな? お前には説明できないと。だが、そうも言ってられないと、俺は思う」


 いつになく真面目なとおるに、瑞希みずきの表情も引き締まる。瑞希みずきは黙ってとおるの次の言葉を待った。


「俺は......俺達は軍の人間、つまり、軍人だ。理由は話せないが、お前を保護することが目的だ」


「ち、ちょっと待って! 俺の保護? 軍人って、理由は話せないって、それじゃ何も分かんないじゃないか!」


 瑞希みずきの言葉に、とおるは言い返せずに下を向く。何か言おうとして、だが、何も言わずに口を閉じる。


「分かった、怒鳴って悪かったよ。立場とかもあるんだよね」


「悪い......」


 隠し事をしているけれど、とおるとおるだ。何一つ変わってない。その事が分かっただけでも、瑞希みずきは満足だった。


「外、出よう」


 瑞希みずきがそう提案すると、とおるは二つ返事で応じてくれた。起きていればアンリにも声を掛けよう。そう思いながら瑞希みずきが部屋から出ようとした時だった。地面が大きく揺らいだ。


「な、なんだ!?」


 いつまで経っても収まらない揺れ。不振に思った瑞希みずきが窓から外を見ようとする。


「見るな、瑞希みずき!」


 とおる瑞希みずきを止めようとした時には、既に瑞希みずきは窓ガラスの外の光景を見ていた。


「なん......だよ、あれ」


 瑞希みずきが見たのは、壊れる空だった。


 空が壊れ、まるで空間を切り裂いたかの様にぽっかりと空いた隙間から、気味の悪い光を放つ生命体が押し寄せてくる。


 完全に脳の許容範囲を越えて、固まってしまった瑞希みずきの後ろでとおるが憎しみのこもった声で吐き捨てる。


「アレス......」


 壊れていく偽物の空は、瑞希みずきにはなぜか、とても美しく見えた。

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