第一話 ~ あなたは ~

第一話 ~ あなたは ~


 ジリリリリリリ――――――


 けたたましい音が鳴り響く。自らがセットしたはずのアラーム音に半ば逆切れしつつ、織弦おりづる瑞希みずきは時計の頭を緩慢な動作でたたく。再び訪れた静寂に意識を持っていかれそうになるのをこらえ、大きく伸びをしてから立ち上がった。


 窓の向こうから、陽気な朝日の光と共に、小鳥達が戯れる光景が目に飛び込んでくる。


(なんか、変な夢を見てたような...)


 瑞希みずきが着替えながらそんなことを考える。判然としない頭のせいか、いまいち思い出せない。衝撃的な夢だったような気はするのだが。


 鏡に映る顔は、まあ、どこにでもいるような顔だ。大して特徴もない。少しだけ優しげな雰囲気と、少しだけ中性的な顔付きなだけ。大衆に混ざれば、探すのに苦労することは間違いないだろう。


 今は、目の下の隈とボサボサの頭が、それをほんの少しだけ改善している。いや、改悪だろうか。


 ふいに、一階から自分を呼ぶ声が聞こえた。


「お兄ちゃん、起きたー? とおる兄ちゃん来てるよー!」


「わかったー、すぐ行く!」


 友人の来訪の早さに焦りながらバタバタと着替える。部屋を出る頃には、もう夢のことはすっかりと忘れてしまっていた。


 一階へ降りると、妹と友人が談笑しながら待っていた。


「あ、おはよーお兄ちゃん。ごはん、準備してるから早く食べて」


 瑞希みずきに気付いた少女が、きれいに並べられた朝食を指さして言った。彼女は織弦おりづる澪保みお、瑞希の妹だ。肩口でそろえられた髪は、瑞希みずきのそれよりもきれいな黒色だ。元気の良い笑顔が好印象を与える。料理に洗濯に掃除と、家事なら基本的になんでも出来る優等生だ。


瑞希みずき! おはよう」


「うん、おはよう、とおる


 澪保みおの向かいに座っているのは明築あかつきとおるとおるを一言で表すなら、優男、瑞希みずきの親友で、これ以上ないほどのイケメンだ。

 そのくせ、性格も非情にいいため、人見知りの瑞希みずきと違って友達も多く、周囲からの評判もいい。赤みがかった金髪が特徴の青年である。


 三人が、仲良く同じテーブルにつく。最近の織弦おりづる家の朝は、いつもこんな感じである。父は幼いころに死んだ。母も仕事の関係で家にほとんどいない。必然、こうなるのだった。


 大して意味のない会話をして、盛り上がる。その間も瑞希みずきは食べる手を止めない。だからと言って、食べ物が口に入っているときに喋ったりはしない。礼儀云々と言うより、隣に座る瑞希みずきの妹君が豹変するからなのだが。


「さてと、瑞希みずきも食い終わったし、そろそろ行くか」


「そうですね」


「なんでとおるが仕切ってんだよ...」


 食器を片付けながら、瑞希みずきが悪態をつく。それにとおるが笑い声で返す。完全に力の差が出来上がっている。どこのコミュニティにも、序列と言うのは出来るものだ。


 よくある日常の一コマ。飽きすら来そうなこの光景に、部屋の隅から無機質な視線が注がれていた。


 巨大なモニターに瑞希みずきたちが映し出されている。モニターの前には、痩せこけた白衣の男がうっすらと気味の悪い笑みを浮かべていた。


「調子はどうですかね?」


 白衣の男の後ろから巨躯の男が声をかける。それを見留めた白衣の男が大袈裟な声を上げる。身振りまで大袈裟だ。手を大きく広げ、体全体で思いを表現していた。


「これはこれは! あなたがこんなじめじめしたところにわざわざ足を運ぶとは思いませんでしたよ」


「御託はいい、被検体に異常はないですな?」


 白衣の男の言葉を流し、巨躯の男が催促する。白衣の男は意に介した様子もなくモニターに向き直り、メガネを直してから口を開いた。


「大丈夫ですよ、計算上では今日を逃す意味は皆無です。今日、世界は新たな歴史を刻むのですよ!!」


「それは楽しみです。期待しておきましょう」


 感極まる白衣の男をよそに、男は薄暗い部屋を後にした。



「しかし、偉いよね、澪保みおちゃんは」


「えー、そんなことないですよ。というより、兄があんなのなので、しっかりせざるを得なかったというか...」


「悪かったな、あんなので...」


 家を出てから10分ほど、三人は森の中の小道を進んでいた。整備はされているものの、電灯は少なく、朝でも少し薄暗い道だ。


 瑞希みずきたちの家は中心街から少し離れている。それに町は四方を山で囲まれているため、活気に物足りなさを感じる。と言っても、瑞希みずきはこの町以外を知らないため、比較できるものは何一つないのだが。


「...ん?」


 ふと、瑞希みずきが足を止めた。それに倣って、とおる澪保みおも足を止める。


「どうした? 瑞希みずき


「今、向こうを女の子が通ったような...」


 瑞希みずきが指を指しながら言った。しかし、とおるたちが指された先を見ても何もない。あるのは鬱蒼と広がる森だけだった。


「誰もいないぞ?」


「でも、確かに...」


 瑞希みずきが首を傾げる。その瑞希みずきの腕を、澪保みおが引いた。


「きっと気のせいだよ、お兄ちゃん。早くしないと、遅刻しちゃうよ」


 澪保みおに言われて、瑞希みずきは時計を確認する。確かに、あまりのんびりしている時間はなかった。けれど、瑞希みずきはどうしても先ほどの少女のことが気になって仕方なかった。


 瑞希みずきが、とおるに荷物を放り投げる。


「うわっ!」


「ごめん、先行ってて!」


 荷物を受け取った反動でよろけるとおるをよそに、瑞希みずきは森の中へと入って行く。


「ちょ、ちょっと! お兄ちゃん!?」


「すぐ戻るから!」


 澪保みおの制止もやむ無く、瑞希みずきはどんどんと進んで行った。


 体制を立て直したとおるが頭をかく。


「ったく、こっちの身にもなれよ...」


 口の中だけでそう呟きながら、とおる瑞希みずきの後を追っていった。


「......」


 一人残された澪保みお。しかし、その顔には驚きも焦りも不安も感じない。おおよそ、人間とは思えない不気味な無表情だった。

 澪保みおは二人が入っていった森を見続けていた。


 ただ、ひたすらと――――――



「歌......?」


 森を少し進むと歌が聞こえてきた。讃美歌のような歌。鈴の音のような美しい声。瑞希みずきは、その歌に誘われるように森を進んでいた。おそらく、あの少女の歌声だと感じていたのだろう。


 しばらく進むと、急に視界が開けた。目に飛び込んできたのは、朝の日差しと古びた建物。どうやら教会のようだった。壁や屋根を草でおおわれ、長年使っていないのがよく分かった。しかし、歌声は教会の中から聞こえているようだった。


 つたの絡みついたドアを引き、瑞希みずきは教会の中へと入る。


「......っ!」


 思わず、息を呑んだ。教会内は、まるで、外とは別世界のように美しかった。


 神秘的な空気を孕んだ教会内。ステンドグラスから差し込む光は、きれいに並べられた椅子に座る、一人の少女を照らし出す。少女は、灰色の髪を両肩の位置で緩く結び、儚げな雰囲気をまとっていた。


「......だれ?」


「え? あ、いや! その......」


 少女が瑞希みずきの存在に気付いて振り返る。瑞希みずきの顔を見た時、一瞬だけ少女の髪と同じ色の瞳が揺れた。

 しかし、突然声をかけられたことに狼狽える瑞希みずきは、それに気づくとはなく、少女はすぐにもとの表情へと戻った。


「お、驚かせるつもりはなくて! ......ただ、君の歌が聞こえたから。君が......一人に見えたから」


「......」


 瑞希みずきは言い淀んでうつむく。気まずい雰囲気の中、少女がおもむろに鞄から何かを取り出した。


「それ...しお...り? 何も......書かれてないみたいだけど......」


「これは......わたし。何もない......空っぽなわたし」


 少女の淡いピンクに色づいた、薄い唇が小さく動く。詞のように言葉を紡ぎ、少女は、真っ白な栞を瑞希みずきへと差し出した。


「私の名前は、さざなみしおり......あなたは?」


「あ、俺は瑞希みずき! 織弦おりづる瑞希みずき


「そう......」


 目を伏せるしおりの姿に瑞希みずきは既視感を覚える。やっと会えたような、そんな気がして。それがどこか嬉しくて、どこかで浮かれていて。だから、彼女が言った言葉の意味が分からなかった。


「みずき、あなたはどんな人?」


「.........え?」


 栞を受け取ろうとしていた瑞希みずきの手が止まる。


「それは......どういう......」


「あなたも、わたしと同じ、空っぽ」


 思考が、止まる。


「みずき、あなたは......」


 流れが......とまる。



「だれ?」



 ――――――セカイガ、トマッタ。




「......お......い。み......き」


 聞きなれた声が耳を打つ。


「う......ん、とお......る?」


瑞希みずき! よかった...」


 異様に重たい瞼を開き、目の前に映る人物を視認する。とおるは明らかに安堵の表情を浮かべていた。瑞希みずきは未だ判然としない頭で周囲を見回す。


「俺......なにを?」


「こっちが聞きたいって、何してたんだよ、こんなところで」


 ふと、右手に違和感を覚えてそこに目をやる。そこには真っ白の何も書かれていない栞が握られていた。それを見留め、瑞希みずきは瞠目する。


「夢じゃ、なかった......」


 栞を胸の位置で抱く。何も言えなかった自分に憤りを覚えた。何を言えばよかったのか、今でも分からない。やっと会えた、そう思ったんだ。

 けれど、もう会うことはないだろうと、気持ちを切り替えることにした。朝の夢と同じように、時間が全てを忘れさせてくれる。


「行こう、とおる。学校、遅刻しちゃうでしょ?」


「ん、あぁ。まあ確かにぎりぎりだが、大丈夫なのか?」


 気を遣って手を貸そうとしてくれるとおるを右手で制し、瑞希みずきは立ち上がる。

 実際は自分も何があったかよく分かっていないけれど、自分より辛そうな表情を浮かべるとおるを見ていると、どうでもよく思えた。


「大丈夫だって、ほんとに急がないと」


「まあ、そこまで言うなら止めないけど」


「心配しすぎだって、行くよ」


 そう言って、瑞希みずきとおるとともに教会を後にした。さっきのことは忘れよう、そう自分に言い聞かせながら。



「結局遅刻したし......」


 あれから全力疾走したが、その甲斐なく、結局、瑞希みずき達は十分の遅刻。無駄に疲れるだけの結果に終わってしまった。


 机に突っ伏す瑞希みずきに隣の男子が声をかけてきた。


「おい、織弦おりづる、聞いたか? 隣のクラスに無茶苦茶かわいい子が転校してきたらしいぞ!」


「今来たばっかなんだから聞いてるわけないだろ......」


「お、それもそうか。まあ、これみてみろよ」


 そう言って男子がペン状の端末を渡す。空中に投影された画像は瑞希みずきを困惑させるには十分だった。


「な? かわいいだろ」


「そ、そんな......!? 本当に......?」


 そこに写っていたのは、ついさっき忘れようとした少女の、儚げな顔だった。

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