Ⅲ-4 浜辺の踊り
失敗した。
火であぶって板を曲げるつもりだったが、焦げてしまって曲げるどころではなかった。
「だよね」
リカルドは苦笑した。
曖昧な記憶だけでうまくいくはずがなかったのだ。頭の中では、火にあぶられても焦げなかった板が見えているのだが。あれはどうやっていたんだろう。なにしろ十年前の記憶だ。細部がぼやけている。
作業が進まずリカルドは唸った。そこへスサナが、「お昼ご飯を食べに行きましょう」と誘いに来た。
てっきり砦に戻るのかと思ったリカルドだが、向かった先はコルバイ村にあるアナカオナの家だった。
「アナカオナたちは私たちのお昼を作った後、この村に戻ってご飯を食べるのよ。そのあいだ私たちはお昼寝しちゃうから」
「ひと息つける時間ってことか。お邪魔しちゃっていいのかな」
「私は何度かここで一緒に食べてるわ。私がのんびり食べてふたりを巻きこんだってことにすれば、アナカオナもカシケも砦に戻るのが少しくらい遅れたってお咎めなしよ。それに私の分のご飯もちゃんと作れるようにっていう理由で、食材も分けてあげられるしね。ちょっと多めに持たせてるのは父に内緒」
「なるほど、スサナの力は偉大だ」
「それほどでも」
スサナは肩をすくめて笑った。
「スサナは昼寝しないの?」
「寝るときもあるけど、起きてる方が楽しいときもあるわ」
「同感だ」
アナカオナが用意してくれたご飯を車座になって食べながら、リカルドは「板を曲げる方法がわからない」とぼやいた。するとアナカオナの父親がたどたどしいスペイン語で「火、石につかう」と伝えてきた。
「え? なになに? どういうこと?」
身を乗り出して話を聞いたところ、つまりこういうことだった。
丸木舟を作る方法だ。丸太の中身をくりぬいたら水を張って、熱した石を入れるらしい。そうすることで木が柔らかくなるから、丸太を中から押し広げるんだそうだ。
「なるほど、じゃあ板を熱い水に浸けて柔らかくして曲げればいいんだ! ありがとうカシケさん! アナカオナも通訳ありがとう!」
リカルドが両手でカシケの手を握ると、カシケは戸惑ったように笑い、アナカオナは「だいじょうぶ、です」と言った。たぶん、どういたしましてと言いたかったのだろう。
「ところでさ、聞きたかったんだけど、どうしてカシケさんは砦にいるとき鼻輪をしてないんだ?」
カシケ、というのは首長という意味で、本当の名前はグアティグアナというらしい。けれどカシケの方がリカルドには発音しやすかった。
カシケは顔をゆがめた。
「ナカイ、持ってく」
自分の鼻輪を指さし、両手をあさっての方に伸ばす。その動作を繰り返した後、両手を耳元に添え、前後に倒す動作を繰り返す。カシケの顔は悲しそうだった。
そんな父親を見ていたアナカオナが淡々と告げる。
「黄金、持っていかれました。鼻輪も、だめ。父はカシケです。でも砦にいるとき、違います。ここにいるとき、カシケです。鼻輪、これだけ、隠してました」
「ああ……カシケの証、みたいなことかな。そうか……そうだったんだ」
リカルドは神妙な面持ちでインディオの親子を見つめた。
カシケの腕には火傷の痕がある。その理由も尋ねたかったが、もしスペイン人が黄金を持ち去ったのと同じような事情だとしたら、つらい出来事を思い出させるだけだろう。リカルドは何も言えなくなってしまった。
隣でスサナが目を伏せる。「ごめんなさい」と親子に謝る声は少し震えていて、その声にリカルドは打たれた。礼儀や社交辞令ではない、心の底から痛みを感じている人の声だと思った。
昼食を終えたリカルドは、山の向こうから丸木舟を担いできた。使用許可はカシケからもらっている。往復する途中ですれ違った人たちと立ち話をすることも忘れなかった。
石を用意し、丸木舟を海水で満たす。準備が調ったところでようやく石を焚き火に入れた。突然の雨で消えないように作業所の屋根の下だ。
リカルドは座りこんで火と海を眺めた。隣にはスサナとアナカオナも座っている。
波は穏やかで、今は風もからっとしていた。けれど火が近くにあるせいですこぶる暑い。
アナカオナがおもむろに立ち上がった。作業所を離れて、落ちていた椰子の実を五つ拾ってきた。
「おかわりつきか」
リカルドが小刀で端を切り落とし、中身を少しくりぬく。果汁があふれたそれを、持ってきてくれたアナカオナに真っ先に差し出した。びっくりした顔でアナカオナが受け取る。
「ありがとございます」
いつもより早口でお礼を言う。リカルドに向ける目の中に、複雑な感情が見え隠れしている。
その反応はリカルドの握手に戸惑っていたカシケと似ていた。感謝される、親切にされる、それが日常的でない人間の反応だ。
リカルドはこれまでにもこんな反応を返されることがあった。
イスパニョーラでもベラクルスでも、リカルドが出会ったほとんどの黒人奴隷たちは、対等に接すると驚きを返してきた。なかには明らかにリカルドを恐れる人もいた。何か思惑があるのではと疑って、身構えてくるのだ。
そのたびにリカルドは苦笑した。下心なんてないよと弁解するようなことはしなかった。彼らが人を疑うのは、ある意味正しいから。それは自分を守るための賢い知恵だから。彼らをずっと守れるわけでもないのに「仲良し」を求めることは、無責任に思えたから。
リカルドは果汁を喉に流しこんだ。生ぬるくて、少し癖があって、ほのかに甘い。
「もうすっかり馴染んじゃってるわね」
声に振り向くと視線が絡んだ。スサナは果汁で濡れた唇をサッと指で拭い、椰子の実を脇に置いた。暑いせいか頬が赤らんでいる。
「ん? 島に?」
「どっちの村に行っても、昔からいたみたい。みんなリカルドと話すのが楽しそうよ。父もね」
「そうかな? だといいけど」
リカルドの歯切れは悪かった。
砦の中庭にある司令官の自宅でリカルドもスサナも寝起きしている。空き部屋を借りている身としては司令官に恩があるから、できるだけ仲良くなろうとリカルドは心がけていた。
けれどスサナの父親はあまり会話を楽しむ人ではないようだ。笑顔で話してくれるのだが、すぐに話を切り上げようとしてくる。だから居候なんてやっぱり迷惑なんだろうと気になっていた。
ところがスサナが言うには、あれで結構な上機嫌らしい。わかりにくい人だ、とリカルドは笑った。
「リカルドはどう? この島にいて、楽しい? 不満とかある?」
「楽しいよ。不満は……ま、大丈夫」
曖昧に笑って返事を濁す。不満は特にないが、不思議ならあった。
この島には黒人がいない。地域によっては絶滅したともいう先住民たちのかわりに、労働力としてアフリカから連れてこられた黒人がいないのだ。ここには先住民たちがまだ残っていて、入植者たちに使役されながらではあるが村を維持している。
イスパニョーラの近くだというのに海賊の話も聞かない。誰に話題を振ってみても、「最近はそんな連中がいるのか?」と返してくる。
最近どころの話ではない。スペインが植民地を開拓するようになった遥か昔から、商船を襲う海賊は副産物のように現れた。だから主要な港は海軍が護っているのだ。
さらに言えばカリブ海での海賊の横行はすでに下火になり、彼らの今の標的はインド洋に向いていると聞く。
スサナの父親でさえ海賊のことを知らない様子だった。
仮にも植民地の責任者が、情報が届かないにしても知らなすぎるだろうと思う。いったいいつからこの島にいるのかと問えば、三年前に着任したという話だ。それなら海賊の噂がまったく耳に入ってこないなんて、どう考えてもおかしい。
不思議ではあったが、リカルドは彼らに詳しく説明することはしなかった。フェルナンドの忠告もあったし、リカルド自身もここがどういうところなのか、ありのままを受け止めることをまず優先したかった。その上でよそ者である自分の立場をわきまえた。
まるで時代の荒波から守られているような、奇跡みたいな島だ。不思議だし奇妙だが、現にこうして実在しているのだから受け入れるしかない。
先住民の中には、体のどこかが欠けていたり、カシケと同じように火傷の痕があったり、背中にひどい傷痕のある人たちがいる。
何かがあったのだろうなと思っていたが、カシケの話で察しがついた。過去に黄金を持ち去った人間の所行だろう。けれど今のこの島では、そこまでひどい暴力を見かけることはない。
この島が海賊の襲撃から免れるほど目立たない島で、黒人を連れてくる必要もないほど先住民とうまくやっているなら、今後もそうであればいいのだ。
その結果として情報不足や物資不足に困るなら対応していけばいい。そこはもう彼らが考えることであって、リカルドが立ち入ることではない。
たとえば島の外のことをもっと教えてほしいとか、この島のために何かを頼みたいとか言われたらもちろん応じるが、自分から踏みこんでいくことはしないとリカルドは決めている。よそ者の自分のせいで、保たれている秩序を乱すようなことはしたくなかった。
それに、と考えてリカルドは微笑む。
フェルはいろいろ助けてくれるし、ディマスとは話が盛り上がるし、スサナは上流階級の娘なのに気さくで、言葉遣いを気にせずに軽口を叩きあえる。さすがに司令官の前ではスサナにも丁寧に話しかけているが、それで充分だ。充分すぎるほど楽しい。
「私ね」
スサナが改まった声で切り出した。
「リカルドが、フェルたちともアナカオナたちとも、仲良くしてくれるのが本当に嬉しいの」
「それはね、スサナの真似してるんだよ」
「そんなことないでしょう、アナカオナと会ったとき、リカルドは最初から笑顔で話しかけたわ。あれで私、ほっとした」
「俺がいきなり乱暴すると思ったのか」
冗談っぽくリカルドは眉を上げた。スサナがごまかすように笑う。
アナカオナは椰子の実の白い果実を指でこそぎ取って食べていた。食べながらふたりを見ている。
「俺ね、いつも大事にしてることがあるんだ」
「なに?」
スサナが首をかしげる。その茶褐色の明るい瞳をリカルドは見つめ返した。
「今もそうなんだけどね。港町でも、この島でも、俺は結局のところ出て行っちゃう人間だ」
スサナの目の色がかすかに動いた。作業所の屋根が作る日陰がスサナの青い服をいっそう濃く彩って、心細げに染める。
「一緒にいられるのは、今だけだからさ。せめて一緒にいる間は楽しく過ごしたい。すれ違う人や話をする相手が暗い顔してると俺は嫌なんだ。みんなが楽しそうに笑ってれば俺も楽しい。俺が楽しんでいれば、一緒にいる人も楽しんでくれるんじゃないかって思う」
だからリカルドは誰にでも笑顔で挨拶をする。スペイン人でもイングランド人でも、黒人でもインディオでも関係ない。仲良くなれればそれでいいし、なれなくても、少なくとも最初から壁を厚くしたくない。
「そりゃ、みんな事情を抱えてるだろうし、笑えないときだってあるだろうし、俺のことが嫌いだって人もいるだろうけど。それは仕方ないけどさ、できれば笑顔で過ごしたいんだ」
だって海は世界を繋いでいる。隔てているのではなく、繋いでいるんだ。そこを渡るのが船乗りなんだ。
抱えている事情や立場で対立することはあっても、言葉や肌色の違いぐらいで友達になれないなんて、そんなに海の心は狭くない。リカルドはそう思う。
「俺は、俺にとって居心地のいい場所にいたいんだ。短くても一緒に過ごすなら楽しい方がいいだろ」
「……ええ、そうね」
スサナは染み入るように微笑んだ。
「だからさ」
すっくと立ち上がってリカルドは手を差し伸べる。できるだけ優雅に見えるように、恭しく腰を折った。
「踊っていただけませんか、スサナ嬢」
「ええ?」
両手を中途半端に持ち上げて、スサナは笑った。リカルドの手を取ろうかどうしようか戸惑う目に、期待するようなきらめきも宿る。
「どうしよう? 踊りなんて知らないわ」
「適当でいいのさ」
リカルドは強引に手を握った。悲鳴をあげるスサナを海岸まで引っ張っていく。波を蹴立ててスサナをぐるりとまわした。手を放し、目を見合わせる。
「どうするの?」
笑顔で問いかけるスサナの前で、リカルドは足を踏み鳴らした。跳ね上がる飛沫に思わず顔を背けたスサナも、ぎこちなく足を動かしてリカルドの動きを真似した。
リカルドは靴を脱ぎ捨てた。ひとりで火の番をしているアナカオナに向かって手を振る。
「アナカオナ! 一緒に遊ぼうー!」
スサナも裸足になった。足にまとわりつくワンピースの裾を邪魔そうに持ち上げながら、同じようにアナカオナを呼ぶ。
立ち上がったアナカオナはとことこと歩いてきたが、近くまで来ると臆したように立ち止まった。リカルドは有無を言わさずその手を引く。
三人で輪を作って駆け足でまわりはじめた。スサナが楽しげな悲鳴をあげ、アナカオナが手に力をこめる。リカルドははしゃいだ。
やがて息を切らしたスサナが砂に足を取られて転んだ。打ち寄せる波で服が濡れても構うことなく、ふたりを見上げて笑っている。
リカルドは笑顔で手を差し伸べた。今度は迷いなくスサナも握り返す。リカルドは引っ張り上げるふりをして、わざと一緒に転んだ。水飛沫が上がる。
「ひどいなスサナ、俺を道連れにするとは」
「おぼえがないけど、ごめんあそばせ」
リカルドとスサナは目を見交わして笑った。スサナはおかしくてたまらないといった様子だ。
ふたりの視線はアナカオナに向いた。
「「アナカオナ~」」
同時に名前を呼び、ふたりで手を伸ばす。
アナカオナは躊躇していたが、結局はふたりの手を取った。とたんに引っ張られる。すぐにふたりの手は離れたが、勢いは止まらず、ふたりの間にアナカオナも転んだ。
手をついて半身を起こしたアナカオナは、笑った。こらえきれないといった様子で声をあげた。
それはリカルドがはじめて見る、アナカオナの楽しそうな笑顔だった。
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