Ⅱ-4 悲しい色

「どういうこと?」


 スサナは父親に詰め寄った。


「あの人たちは何をしに来たの? 血がついてたわ。宴で何があったの?」


 司令官は机に肘をついて、組んだ両手を口元に当て、眉間に皺を寄せている。娘と視線を合わせようとしなかった。


「どうして外に出ちゃいけないの?」


 スサナは父親の顔を覗きこむように首をかしげた。声には不信感が滲んでいる。


「どうして黙ってるの?」


 スサナの視線に何を感じたのか、司令官がようやく口を開いた。


「総督はこの島の入植者がインディオと結託しているんじゃないかと疑ったそうだ」

「結託って? どういうこと?」

「つまりだな、納める税が足りないことに腹を立てているんだ」

「それがどうして結託ってことになるの?」

「イスパニョーラでは入植者が暴動を起こしたことがあった。だから私たちがインディオと結託して、何かよからぬことをするのではないかと」

「疑心暗鬼の塊ね。誤解もいいところだわ」

「そうだ。誤解だ。だから誤解を解くための宴を開いた」

「それってどういう……」


 言いかけて、スサナはサッと顔色を変えた。急に身を翻す娘を司令官が制止する。


「ここにいなさい」

「宴は終わったんでしょ?」


 振り向いたスサナは皮肉っぽく笑った。


「あの人たち、もう出航したわ。私が閉じこめられてる間にね。アナカオナが帰ってこないから迎えに行きます」

「必要ない」

「どうして? 夕飯の時間よ」

「今夜は私が作ろう。なかなかうまいんだぞ」

「お父さん」


 咎めるようにスサナが眉をひそめる。司令官はにこやかに笑い、視線を一瞬そらした。


「明日は新しい奴隷を連れてきてくれるそうだ」

「新しい奴隷?」

「だからスサナ、もうアナカオナたちのことは忘れなさい」

「奴隷じゃないわ。友達よ」


 父を拒絶するようにスサナは背を向けた。

 出入り口の脇で待機していた兵士が扉の前に立ち、スサナの行く手を遮る。


「どいて」


 スサナの声は冷たく、目つきは鋭い。兵士が困った様子で司令官に視線を送る。

 司令官は溜め息をつき、立ち上がってスサナに近づいた。


「スサナ。お前はすぐ感情的になる。冷静に考えなさい。怒ることも悲しむことも何もないんだ」

「触らないで!」


 尖った声が空気を裂いた。肩に置かれた父の手をスサナが激しく振り払う。驚いた顔の父を一瞬気まずそうに見やってから、すぐにスサナはきっと顔を上げた。


「そう、じゃあ私は狂ってるのかもしれないわね。すごく怒ってるし悲しいんだもの。でもね」


 燃えるような光をその目にたたえ、言い放つ。


「だったら狂ってる方がいいわ! こんな現実が狂うくらい嫌だから壊したいの。あなたとは違うのよ」


 スサナは兵士の腰から剣を引き抜いた。不意を突かれて怯んだ様子の兵士に、剣先を突きつけながら部屋を出る。


「止めろ!」という司令官の指示が飛んだ。スサナは階段を二段飛ばしで駆け下りて外に出た。門を抜けたところで振り向き、剣を放り投げる。


「じゃああなたも一緒に来て! それならいいでしょ」


 追いかけてきた兵士は「やれやれ」といったふうに唇の片端を持ち上げた。剣を拾い上げて、走り去るスサナの背中に告げる。


「ええ、お嬢様。砦に連れ戻しますよ。けど、行かない方がいいと思いますけどね」


 太陽はすでに落ちていた。

 コルバイ村に近づくにつれて、スサナの足が遅くなる。

 薄青い空に煙が立ち上っていた。いくつかの家が焼失し、その近くの木が燃えている。音をたてて火の粉が散る。それがまだ燃えていない家に降りかかって、草葺きの屋根を焦がしていた。


 スサナは口を押さえてうずくまった。むごたらしさとむせ返る血のにおいに、たまらず嘔吐した。背中を丸めて激しく咳きこむ。目尻に涙が浮かんだ。


「だから行かない方がいいって……もういいでしょう。戻って休みましょう」


 スサナの背中をさすって兵士が憐れむような目をする。

 咳が治まると、スサナは兵士を無視して立ち上がった。周囲に顔を巡らせながら、よろよろと歩く。


 宴の跡が残る場所に、動かない人たちが何人も何人も転がっていた。おびただしい血が地面を濡らしている。


 スサナはこみあげてくる吐き気に耐えながら遺体をひとつひとつ確認していった。兵士も顔をしかめながらそれに続く。


「スサナ、家に戻ろう」


 遅れてやって来た司令官が声をかけた。スサナの腕を取る。


「ここは明日の朝、きれいにする。さ、家に戻ろう」


 スサナは腕を振り払った。今にも泣きそうな顔で、それでも遺体から目を背けることなく歩き続ける。


 すべての遺体には名前があった。スサナはまだ全員の名前をおぼえてきれていない。それでも、見覚えのある顔もあったし、言葉を交わしたことがある人もいた。


 司令官と兵士は深い溜め息をこぼして立ち止まった。周囲の惨状に目をやった司令官は、不愉快そうに首を振る。小声でぼやいた。


「後片付けもしていってほしいものだ」


 スサナが止まった。一点を見つめ、彫像のように動きを止めた。呼吸が浅い。

 ふらふらと倒れこむように体が傾いて、踏みとどまる。また倒れるように前のめりになり、踏みとどまる。その繰り返しで歩く。

 燃え落ちた枝が土の上で黒焦げになっていた。そのすぐそばに膝をついた。


 血溜まりの中に少女が横たわっている。あどけなさの残る顔が炎に照らされていた。見開いたままの目は炎を映している。けれどどこも見ていなかった。


「アナカオナ?」


 スサナは手を伸ばした。少女の首が濡れている。胸も背中も濡れている。

 だらりと垂れ下がった細い腕が血溜まりに音をたてた。


「アナカオナ」


 スサナはアナカオナを抱きしめた。何度も名前を呼び、呼ぶたびに声が震え、震えは全身にひろがった。目を閉じ、スサナはアナカオナの耳元で嗚咽を漏らした。


 司令官と兵士がスサナに近寄る。司令官はアナカオナを見ると目をそらした。


「わかった、スサナ。その子は弔おう。だから今日のところはこれで。さ、家に戻ろう」

「ひどいこと言うのね」


 スサナはアナカオナの頭を抱いて父を見上げた。


「その子は弔おう、って何? ほかの人は弔わないつもり?」

「それは……」

「どうして? どうしてこうなるの?」


 深い絶望を宿した声がスサナの喉を震わせる。泣き崩れて動こうとしない娘を前に、司令官は何度目かの溜め息をついた。


 そんな三人を森の中から見つめる影があった。いくつもの影が固唾をのんでスサナたちを見ている。


 やがてひとつの影が動き、森から現れた。頭に挿した鳥の羽根が動く。手には槍を持っていた。鉄の槍ではない。穂に使われているのはサメの歯だ。棍棒の先端に、椰子の葉からとれる繊維でいくつも結びつけていた。


 影は足音をたてずに移動し、じりじりと三人に近づいていく。


 もうひとつ、森の中で影が動いた。腰を落とし、その場で槍を構える。いつでも森から飛び出せる体勢だった。


 兵士は司令官親子を眺めていた。面白い余興に自分も参加したかったと考えていた。


 泣き叫ぶ裸の体を斬って燃やすなんて、本国から遠く離れた、神の教えの届かないこんな場所でなければできない。こんな場所だからこそできることだ。

 それなのに司令官の命令でスサナを閉じこめることに時間を費やした。子供をあやすように適当な嘘でごまかすのは骨が折れた。まったくつまらない。どうせならスサナを相手にもっといいことをしたいくらいだった。

 もちろんそんなことをすれば自分の首が飛ぶからやらないが。ああつまらない。めそめそ泣くなよお嬢様。可愛がっていた奴隷が死んだくらいで。


 オラシオという名の兵士は、転がっている死体を眺めまわした。この数、これをどう片付けるんだと考えて、笑みが浮かんだ。思いついたのだ。


 解体して、肉片にして、イスパニョーラで売ろう。死体は片付くし、金も手に入るし、一石二鳥だ。インディオの肉は犬の餌だから、イスパニョーラの犬っころどもはしばらく満腹になるだろうな。いいご身分だぜ。人間様も腹いっぱい食いてえよ。


 突然、オラシオの思考がはじけた。首に重い痛みと衝撃が走ったのだ。頭がふらついたが、踏ん張ってその場にとどまる。素早く目を動かした。

 棒が見えた。

 ギザギザした槍の穂先が上着の立襟に突き刺さっていた。すぐさま槍の柄を握って支えた。


 オラシオは慎重に槍を襟元から抜いた。白いギザギザに血はついてない。穴が開いてしまった襟をくつろげて、恐る恐る首筋に触った。痛みはあるが、それらしい傷の感触はない。どうやら固い襟のおかげで肌を突き破るには至らなかったようだ。


 オラシオはほっと息をついた。


 目線を遠くに投げた。燃え残っている家のそばにインディオが立っている。あいつがやったのだと理解した瞬間、煮えたぎるような怒りに突き動かされた。


 オラシオは槍を投げ捨てて剣を抜いた。殺してやろうと思った。めちゃくちゃに切り刻んでやろうと思った。そうしなければこの怒りは収まらない。たかが奴隷が何してくれてるんだ。身の程をわきまえろ。ああ、くそ、痛えな。


 ところがオラシオは剣を奪われた。首の後ろに何かがぶつかって、手首も強い衝撃を受けた。そのせいで指が緩んだのだ。手の中から剣が抜き取られた。


 槍だ――インディオが使うしょぼい槍。それが自分の腕を叩いたのだ。そして剣を奪った。ふざけるな、いったいなんの――


「危ない!」


 司令官の声が聞こえた。

 次の瞬間、オラシオの首から血があふれた。耳の下から喉の方へ、襟と顎の境目から血があふれた。


「なっ、お前!」


 司令官が色を失って剣を抜いた。スサナが背後を振り仰いで目を見開く。


 気配を殺してオラシオに近づき、彼の首の後ろに槍を突き立て、奪った剣でオラシオの首を斬りつけたのは、カシケだった。文様で彩られた腕を返り血が真っ赤に染めた。


 首を押さえてカシケを睨んだオラシオは、すぐにそれどころではなくなった。血があふれて手を濡らし、口の中にも鉄の味がひろがる。恐怖と怒りで顔がゆがむ。


 その時、森に隠れていたインディオたちが一斉に飛び出してきた。その大声に司令官は気を取られた。そして目をむいた。


「スサナ!」


 カシケの振り下ろした剣を、スサナが胸で受け止めた。カシケの目とスサナの目が合う。どちらも悲しい色をしていた。

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