第13話

 あいして、あいして、あいして……。

 安奈ちゃんは何度かそう言い、しばらく沈黙した後、私の顔を見る。

「……彩子さん」

 涙はもう、止まっていた。目も、しっかりと私の目を見ている。

「……ごめんね、大丈夫?」

 私は安奈ちゃんの頭を撫でる。

 恐る恐る、犬の耳も、撫でる。

 柔らかく、フワフワとしていた。

「……はい」

 安奈ちゃんは、元気なく答えた。

「……耳、可愛いよ」

「あは……」

「本当だよ」

「はい」


 あいして……とは、一体、なんだろう。

 愛、して……?

 愛して……?


「嫌ってないよ。驚いただけ」

 私は立ち上がり、ニコッと笑う。

 そしてまた安奈ちゃんの頭へと手を乗せ、犬の耳を撫でる。

 犬の耳はピクピクと動き、改めて本物だという事を認識した。

 本物、なんだな……少し、まだ怖い。

「あれかな、音は聞こえるの?」

 安奈ちゃんも立ち上がり、先ほど私が用意した着替えを持つ。

 そして困った表情を作って「いえ」と答えた。

「そうなんだ」

 私は他にも色々と聞きたい事はあったが、どうやら私の好奇心は、安奈ちゃんを傷付けてしまうものばかりらしい。

 話してくれるかわからないが、またいつか、聞く事にしよう。

 心を、開いてくれた時に。

 そして私も、心を、開いた時に。

「お風呂、行こうよ」

「……はい」

「一緒に入る?」

 私は笑いながらそう言うが、安奈ちゃんは首を横に振った。

 それはそうだ。私だって本気じゃない。

 心を近づけるための、私なりの努力だ。


 安奈ちゃんをお風呂場へと案内し、新品の歯ブラシとタオルを戸棚から取り出し、安奈ちゃんへと渡して脱衣所を出る。

 私はその足でリビングへと向かい、テレビの前にある合皮の安物ソファへと腰掛けた。

「今、友達がお風呂入ってるから」

 少し離れた所にある台所で、未だ料理を作り続けている母親に向かってそう話しかける。

 私の身長が小さいのは、両親がふたりともチビだからである。母親の身長は私よりも小さく、コンロの前には台が置いてあり、その上にあがりながら、こちらを振りかえる。

「あぁー、そうなの。晩ごはん、もう出来上がるんだけど」

「あ……」

 そういえば、安奈ちゃんは先程ステーキ弁当を食べてしまったばかりだ。

 母親は私から友人が来ているという事を聞かされて、急ぎでもう一人分を作ったに違いない。だから料理の完成が遅くなってしまったのだろう。

 ……安奈ちゃん、食べられるだろうか。

「……少食な娘だから、あまり食べないかも知れないよ」

「ん? そうなの。でももう作っちゃったし、ご馳走になってもらってね」

「うん……部屋で食べるよ。持って行く」

「なんでよぉ~? 私まだ顔も見ていないのよ。挨拶させてよ」

 ……そりゃそうか。流石に挨拶無しは、不味いだろう。

 私は安奈ちゃんに、連泊させるつもりだ。その間、ずっと引き合わせない訳にもいかない。

 それに、親への説明も、必要だ。

 何をどう説明すれば、納得してくれるかわからないが。

「うん……そうだね」

「そうよ。お願いね」

「……そうだね」

 私はただなんとなく、テレビをつけた。

 考えなきゃなぁ、言い訳。


 私は時計を確認した。今は夜七時半を回ったところ。安奈ちゃんがお風呂に入って三十分が過ぎた。

 チラッとテーブルに目を向けると、料理が広げられている。大きなボールにサラダが入っており、四枚の白いお皿には、お肉が盛りつけられている。

 ……お肉、運が悪い。

「お父さんそろそろ帰ってくるから、皆でお食事にしましょ」

 私の視線に気付いてか、母が話しかけてくる。

 父親もそろそろかも知れないが、安奈ちゃんもそろそろお風呂から上がる頃かと思い、私は席をたつ。

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