第9話

 私は安奈ちゃんの手を引き、家へと向かおうと歩き出した。

 まだ安奈ちゃんの返事は聞いていないが、ウザイと思われようが迷惑だと思われようが、私のエゴを押し通させて貰いたかった。

 あまりにも、知りすぎた。こんな事を知ってしまったら、放っておけないじゃないか。

「あのっ……彩子さん、あの」

「遠慮いらないから。いこ。お風呂も」

「あ、じゃなくて……あの、リュック」

 ……あぁ、そうか、リュック。

 私は気持ちが先走り過ぎてしまい、リュックの存在を忘れていた。

 安奈ちゃんは「すいません」と言い、私の手を解いて、リュックの置いてある場所へと駆け足で向かっていく。

「これ、汚いけど、一応お着替えとか、毛布とか入ってて」

 安奈ちゃんはいそいそと、大きな大きなリュックを背負った。登山用のリュックなのだろうか、身長の高い安奈ちゃんが背負っても、まだ大きく見える。

 しかし、やはりそのリュックには雪溶け水が染みこんでしまっているらしく、ポタポタと、雫を垂らしていた。

 確かに、汚い。

 しかし安奈ちゃんはそんな事、気にもしていないように、平然と背負っている。雫が黒いコートに付き、濡らす。

 少し離れた所に立つ安奈ちゃんをまじまじと見つめてみると、彼女の服装そのものが、かなり傷んでいる事が分かった。

 コートはペラペラで、とても北海道の寒い冬を越せるようなものではない。コートの前は閉めないのではなく、閉められないのだろう、ボタンがひとつしか無い。

 履いているブーツも、元々の色がわからないほどに変色しており、つま先の部分はパサパサになってしまっている。あの様子じゃあ靴底だって、もうほとんど残っていないだろう。

 何かのキャラクターモノの耳付きニット帽も、糸がピロロンとほつれているのを、さっき見た。

 あのリュックに入っている服も、恐らくこの程度は平気で傷んでいるのだろうと、思う。

「中の服、濡れて汚れてるんじゃない?」

「あ、いいえ、中の服はコンビニ袋に入ってて、大丈夫なはずです」

 もうあまり、汚れとか、傷みとか、ましてやお洒落とか、気にしていないのだろうな。そういう生活を続けてきていたのだろうな。

 あんなに可愛いのに。あんなにいい子なのに。何故今まで、誰も彼女を救ってあげなかったのだろう。

「大事なものだけ持って行かない?」

「え?」

「明日にでも……」

 いいのか? 今日出会ったばかりだぞ? どこの誰かわからないんだぞ?

 そうは思っても、もう放っておけなかった。とてもじゃないけれど、とてもじゃないけれど、放っておけない。

「新しい服、買いにいこうよ。お金、私出すから」

 安奈ちゃんは、視線を落とし、暗い表情をした。そうしたくなる気持ちは、分かる。そこまで迷惑をかけられないと思っているはずだ。

「……彩子さん、なんでそんなに私に優しくしてくれるんですか……さっき出会ったばっかりなのに」

「ん……だって、ほうって」

 私が言葉を発し終える前に、安奈ちゃんは、プルプルと震えだし、目を閉じた。

 そしてその両目から、涙が流れ出る。 

 安奈ちゃんの顔は、みるみるうちにクシャクシャになってしまい、その場にしゃがみこんでしまった。大きなリュックは再び地面に着く。

「わたしぃ……こんな……こんななのにぃ……」

 私は安奈ちゃんへと近づく。

「わたし……何もかえせないよぉ……わたしぃ……」

「何もいらないよぉ……いらないよぉ……」

 私は安奈ちゃんの頭をギュッと抱きしめた。

 私の目からポタポタと垂れる涙が、安奈ちゃんの帽子を濡らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る