第7話

「思い続ければ、嘘も本当だと思えるようになるんです。私には苗字があった。だけど、無いって、思い続けたんです」

「それは、うん、よく分かる」

 そう、思い続ければ嘘は本当になる。極端な話、オバケは居る、神は居ると思い続ければ、それはその人にとって、本当に居るのと変わりない。

 オカルトだとか宗教だとか思われるかも知れないが、これは立派な心理効果だ。オカルトも宗教も、この心理効果を突いたものなのだろう。

 私自身、思い続ける事の効果を実感した事がある。勉強が嫌いだったが、楽しいと思うようにして、勉強を苦じゃないものにした。確かプラシーボ効果だとか、なんとか。

 だけど、私が聞きたい事はそういう事じゃない。

 ずっと昔、一体、誰がこんな幼い女の子に、苗字が無いなんて思わせたんだ?

 なんだろう、少し怖い感じがする。これ以上はこの話題について触れてはいけないような……でも、触れてしまいたいような。

「あ、分かりますか? はは」

 安奈ちゃんは嬉しそうにニコッと笑い、私の顔を見た。

 曇りのない、本当に美しい笑顔を私に向ける。

「こんな話、人にした事が無くって。変な子だな~って思われるの、怖くて」

「そっか、そうだよね、苗字が無いなんて、人に話せるような事じゃないもんね」

「はい。サイ……彩子さん、が、初めてです。変な子だと、思いましたか?」

 彼女は初めて私の名を呼んだ。少し遠慮がちに呼ばれた名前に、まだ彼女との距離を感じる。

「ううん、全然だよ」

 私は笑顔で嘘をついた。変な子だと思わない訳がない。安奈ちゃん自身もそうだが、その境遇、状況、全てが変である。


 安奈ちゃんは数十分かけてお弁当を平らげた。両手を合わせて「ごちそうさまでした」と言う彼女の姿を見て、私は神に祈る美しいシスターを連想させる。手を合わせる姿と手を組む姿は違うはずなのにだ。

 安奈ちゃんの動作や振る舞いは、女の私から見ても嫌味がなく、ただ美しい。

 それは彼女がまだ幼く、その行動にあざとさが無いからなのだろう。彼女は本気で手を合わせ、本気で「ごちそうさま」と言っていると思わされる。

「そういえば安奈ちゃん、今いくつ? 私は十九だけど」

 私がそう話しかけると、安奈ちゃんは「えぇ?」と言い、驚いた表情を作った。

「え……冗談ですよね?」

「はは。冗談じゃないよ、本当に十九」

「……そうなんですか。せいぜいひとつ上くらいだと思ってましたけど……あ、私は十四です」

「えぇ?」

 今度は私が声を上げた。

 十四といえば……中学二年? 三年生?

 人間として完璧に出来上がっているこの容姿で、まだ十四だとは、恐れいった。

「中学生なの?」

「いえ、違います」

「えぇ? 中学生じゃないの?」

「……はい、ごめんなさい」

 私がおもわず大きな声を上げたからか、安奈は少し悲しそうな顔をして、私から視線をそらす。

 しまった、恐怖心を与えてしまっただろうか。

 しかし、驚いた。中学生じゃないとしたら、何なのだろう。日本の義務教育就学率は百パーセントでは無いと聞いた事はあったが、ほぼ百パーセントとも聞いた事がある。

 こんな所に、そのコンマ数パーセントの人間がいるなんて。

「あぁ、ううん。私こそごめん。ちょっとビックリして」

「……いえ、驚きますよね。そうです、よね」

 驚いた。凄く。

 そして考えてしまった。どういう事なのかと。聞きたくなってしまった、どういう事なのかと。

 しかし、そこまで踏み込んで良いものか? 今日初めて出会った、ただの数十分一緒にいるだけの人間が。

 いいや、良い訳が無い。そんな事、当たり前じゃないか。

「ごめん、ごめんね? 大きな声だして。色々あるんだよね。ごめんね」

 私は思わず立ち上がり、安奈ちゃんの前に立つ。

「あ、いえ、そんな、謝らないでください。あは」

 安奈ちゃんは困ったような笑顔で「あはは」と笑った。

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