第12話 あたしの日常・12
食事のあいだも、ずっと愁の家族の話を聞いて笑っていた。子どものころ、アカダマを作り出す練習をしているときに暴発して、父と息子ともども髪が焼け縮れたとか。姉のプリンを勝手に食べたら、二日間封鎖した空間に閉じ込められるという壮絶な復讐とか。放浪癖のある父が1年ぶりに帰宅したら、全員が父の姿を見えないフリをし続けて泣かせたとか。母が「これは白だ」と言ったら、たとえそれが赤であったとしても白だと思わなければならないとか。そして、家族全員が能力者という稀少な一家だということとか。
「楽しそうな家族だね」
「俺もな? 人からこの話を聞いたら、たぶん笑うと思うんよ。爆笑やね。でも自分の家族の話やからね……変人揃いとか切ないやね……」
「そう言うけど、シュウもおかしいこと、絶対にやってると思う。さっきだってお手玉してたし」
何気なく言ったつもりだったが、愁の箸が止まった。電池切れだろうかと愁を見ると、なぜか真っ赤になっている。自分で気づいていなかったらしい。ついには箸を置いて両手で顔を覆う。
「大丈夫だいじょうぶ。あたししか見てないし、瀬戸くん――じゃなかった、ハルにも言わないよ! ちょっとしか!」
「ちょっとも言わんといてっ!! くっそー……アレ、クセやねん……。言霊にのせないで放出できんと、咄嗟のときに間に合わへんからしかたなしやでっ! しかたなくやってんねんでっ!?」
「うんうん、わかったよ。とりあえずごはん食べちゃってね」
悶える愁にほほ笑みながら、理央は自分の“記憶”のことを思い出していた。春人と愁は前世の記憶があるが、自分には一切ない。たぶん多くの人が薄っすらと覚えているくらいの、幼いころの記憶のみだ。ただ、ときどき愁から“懐かしい”と思えるような言動を感じることがある。それこそ、今のように些細なことでムキになるところも。笑みを向けられることにも。
食事が終わると、愁に促され理央が先に風呂へ入ることになった。単身用の物件のせいなのか、武蔵の屋敷が広すぎたのか、驚くほど狭く感じるが、それも1日で慣れた。慣れないのは、家が狭いせいで風呂に入っていても愁の気配を感じることだ。もちろん、覗かれているとかそういうものではない。洗い物をする音や、布団を敷いている音、冷蔵庫を開ける音さえも聞こえる。落ち着かない気持ちで早々に入浴を済ませ、気を落ち着かせて目を閉じた。プラスチックの洗面器に水を張り、それを浴びる。何度か繰り返しているうちに、雑音が消えた。どれくらい続けたのか、時間の感覚がない理央はゆっくりと目を開け、小さく息を吐く。そして、今日も無事に1日を終えられたことに感謝しながら肌の水滴をタオルで拭き、パジャマに着替えて居間に戻る。
「遅くなっちゃってごめんね」
「ちょうどいろいろ終わったとこ。んじゃ、俺も風呂入ってくるけど先に寝ててええからな」
肩にかけていたタオルで理央の髪を拭き、ドライヤーをコンセントにさして万全に整った状態の姿見まで連れていくと、愁は脱衣所へと向かった。愁と出会い、こうして時間を共にするのは、驚くべきことに今日でたった2日目ではあるが、理央に対してはかなりの過保護である。ずっと一緒に暮らしてきた祖父の武蔵もそうだったことを鑑みて、もしかするとしっかりしているほうだと思っていたのは自分だけで、思っているよりずっと幼いのだろうかと悩んだほどだ。やれ、きちんと湯に浸かれだの、髪はしっかり乾かせだの、ダニの温床であるはずの床に敷いた布団に寝させるわけにはいかないだの、早く寝ないと身体を壊すだの、とにかくうるさい。理央はドライヤーのスイッチを入れ、入念に髪を乾かした。ついでに明日の予習でもしておこうと、愁が寝る布団の足元に追いやられたテーブルに向かい、数学の教科書をバッグから取り出した。宿題は授業中に終えているので、理央が家で勉強をするのはあくまでも予習のみ。理央のクラスの数学教師は余談が多く、教科書でいえば2ページ分、進むかどうかくらいのレベルで遅い。だから予習もあっという間に終わる。水浴び程度の風呂を終えて居間に戻ってきた愁は、自分はずぶ濡れのくせに理央の髪が乾いているかどうかを念入りに確かめ始めた。多少うざいがしかたない。異常な過保護には慣れている。
「ね。どうしてあたしにはシオンの記憶がないの?」
「難しいこと聞きはりますね。せやねぇ……シオンが記憶を封印したのかもしれんし、単に覚醒しきれてないだけかもしれん。俺にはわからんなぁ」
「……淋しい?」
「うーん……。俺は今トウイやなくてシュウやから」
「でもシュウはシオンが好きなんでしょ?」
「んー? ちゃうよ? トウイはシオンが好きやったけど、俺はリオが好きやで?」
「肉と魚、どっちが好き?」という質問が終わる前に「肉っ!」と答えたくらいの即答っぷりに、理央の頬がボッと音を立てて赤くなる。どんな意味合いがあるにせよ、好きだという言葉を言われたのは家族以外で初めての経験だ。
「そ、それって、前世で好きだったから、現世も、ってことじゃないの?」
「んなわけないやん。さすがにそこまで仕組まれとったら気分悪いわー。俺かて誰かを好きになる権利くらいあるやろ。前世は前世、現世は現世。俺は今、愁として生きてるんやから」
「…………」
「リオもそうやで? シオンとしてじゃなく、リオとして生きればいいんよ。別に無理して俺を好いてくれんくてもいい。淋しいねんけど」
「そっか……でもホントは、あたしが理央じゃなくてシオンだったらいいのにって、思うときもあるんじゃない?」
言いながら泣きそうになったのは、なぜだろう。そんな理央に愁が目を細めるのはなぜだろう。正直言って、理央は別に愁のことを男性として見ているわけではない。どちらかというと、初めてできた異性の友だちという表現が正しい。
「ないよ。俺、ちゃんとリオがこっち向いてくれるまで待つし。現世であかんかったら来世まで追いかけるよ」
「……なんか……言ってることはすごいロマンチックだけど、シュウが言うとストーカーみたい」
「ひっどー!! なんやねん……リオは俺に冷たすぎる……」
「ごめんごめん。あたし、もう寝るけど、愁もちゃんと髪乾かして寝てね。おやすみー」
理央はベッドに入り、やけに熱い頬を枕にうずめた。シオンは、こんなふうにトウイに想われていたのだろうか。転生したら、能力者とか巫女とかそういうのを全部忘れて愛し合いたかったのだろうか。ゆっくりと薄れ行く意識の中で、そんなことを思った。
理央は見たことのない風景の中に佇んでいた。すぐに夢だと気づいたが、よく見るとどこか懐かしさを感じる。ただ不思議なことに、ここには魂魄の気配がまったく存在していなかった。どうやらこの夢の世界では理央の姿が見えないらしく、すれ違う人々は皆和装だが、異種とも思える理央を気にする者はいない。
遠くで子どもの笑い声が聞こえ、嗜める女性の声が聞こえる。理央は声が多く聞こえるほうへと足を向けた。歩を進めるにつれ、やはりここには来たことがあるのではないかと思い始めていた。
「シオンさまー!」
小さな子どもがひとりの女性に向かって駆けていくのが見えた。その名に覚えがある。愁が何度も口にした、理央の前世と同じ名だ。理央は迷わずその子どものあとを追いかけた。
何かの作物を育てているのか、畑の中で作業をしている女性たちの中に一際強いオーラを持つひとりが顔を上げ、駆けてきた子どもを抱きとめている。
「畑の中は遊んではいけませんよ?」
「はぁい!」
言われた子どもは素直に畑の外へ出て、膝を抱えて作業を眺めている。あの女性が“シオン”だと確信した。理央は姿が見られないのをいいことに、かなり近くまで“シオン”に接近する。顔が、見たかった。愁が、トウイがあれほどまでに心を寄せる女性が、自分の前世がどんな人物なのか、見てみたかった。あと少しで彼女の顔が見えると思ったそのとき、頭の中に凛とした声が響いた。
『ここはまだ、あなたの来るべき場所ではありませぬ。悪しき者に見つかる前にお帰りなさい』
脳内に響く優しくも力強い声。理央は足を止めた。間違いなく自分へ向けて言われた言葉だと確信する。
『シオン?』
思い切って理央も声を送ってみる。少しの沈黙のあと、ふたたび脳内に声が響いた。
『いかにも。あなたはどうか、無事で……幸福でいてくださいませ……』
“シオン”は、畑作業の手を止め、理央のほうを一度も見ることなく、ほんの少しだけ礼をした。
顔を見ることはできなかったが、拒絶されたことだけはわかった。理央は小さくお辞儀をして、元来た道を戻ることにした。悪しき者というのは怪異のことなのだろうか。まだ来るべきではないということは、いずれ会うことができるのだろうか。そんなことを考えながらぼんやりと歩き続ける。
途中でひとりの男とすれ違った。相手には理央の姿が見えていないだろうと、堂々と歩を進める。
「俺様の生まれ変わりは、おまえを護れているか?」
突然かけられた声に驚いて立ち止まるも、“シオン”をはるかに超える強烈なオーラに理央は振り返ることすらできない。
「おまえは強いが脆い。選択を誤るな。そして“俺”を信じろ。死するときは共に」
言い終わるとともに、殺気とも取れる気配が消えた。だらりと汗が流れる。
遠くから、「トウイさまー!」という子どもの声が聞こえる。今の男が、トウイだったのか。硬直していた身体が弛緩し、ようやく振り返った理央の瞳に、たくさんの子どもたちに囲まれ、笑みを浮かべる普通の男がいた。とてもあんなオーラを出せるような男には思えないほど穏やかで、無邪気な表情をしている。
(あれが、トウイ……。シュウの前世……)
気がつくと理央は涙を流していた。愁を信じていなかったわけではない。けれども紛れもなくふたりは前世から繋がっていて。トウイは今でも現世の自分がシオンを護れているのかを気にしていて。
「シュウ……」
思わず呟いた言葉に、世界が反転した。
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