第53話:決意新たに

 商人の町――河越は、今日も人出で賑わっていた。

 物流の要である川の両側に並ぶ商店は立派なものばかり。しかし、やはりその中でもこの店は異彩を放っている。絵画、ガラス細工などの美術工芸品。紅茶、珈琲、煙草などの嗜好品。売り物の多くは異国から仕入れたもので、売る気があるのか疑いたくなるような高価な品から、日用品として気軽に買える品までが揃っている。

 メラン人の少年――ヒュウが経営する舶来品店米蘭めらんである。

 珍品が売りのこの店には最近、珍客も出没するようになった。

「こら、ちゃんと順番に並びなさい」

「うるせい。ジジイファーストじゃボケ」

 スベスベの頭にクリクリの大きな目。見た目は小さな老人だが、四つ足で軽快に動き回る様は猿そのもの。南蛇井菩慶。猿山に棲む妖怪だ。

 この通り、順番すら守れない迷惑な奴なのだが、なぜか客の間ではちょっとした人気者になっている。人の姿をしているからか、初めて来店した時も意外と混乱はなかった。

 ―――また要らん言葉を覚えたな。というか、金は持っているのか……?

 そう思いつつ、ヒュウは南蛇井が咥えている物に目を遣り、ギョッとした。

「あっ! それうちの品物じゃない!」

 南蛇井が口に咥えていたのは大根。舶来品店にあるはずのない品だった。

「んあ? そうなのか? じゃあ返してくる」

「駄目駄目! それもうかじってるから汚い」

 仕方なく、ヒュウは大根のあった店までそれを買いに行った。案の定、南蛇井は金を持っていなかったから、ヒュウの負担となった。南蛇井はただで大根を手に入れたのだった。

「ずいぶん懐いてるな。飼ってやったらどうだ?」

 人の苦労も知らずに大根を貪る南蛇井を横目に、ヒュウがため息をつくと、常連の客が笑いながら話しかけてきた。

「猫ならいいですけど、人面猿は……」

「んだと!? 猫パンチ!」

 繰り出された猿パンチを軽くあしらいながら、ヒュウは猿山での出来事を振り返った。

 今では厄介者でしかないのだが、この爺さんも一応は恩人なのだ。羽貫衆と共に、魔境と化した猿山から父ヒューゴを救い出してくれた。大根が何本あっても感謝しきれない。これぐらいは、大目に見てやろう。

「諭吉さ~ん! あとはお願いしま~す!」

「ほいさ~」

 西の空が黄金色を帯び始める頃。ヒュウは店番を副店長に任せて外出の支度を始めた。大きめの籠を背負って向かった先は、羽貫衆の屋敷だった。


 羽貫衆の屋敷は、かつて国士館と呼ばれた道場の跡地を、門下生たちが資金を出し合って買い取ったものである。つまるところ、羽貫衆はその門下生が中心となって結成された傭兵集団なのだが、当然それぞれに家庭の事情がある。普段からここで生活しているのは、羽貫柳斎、柏木栄作、林太郎次郎の三人だけだった。

 そんなだだっ広いだけだった御屋敷に、一週間前、新たに二人の入居者が現れた。影狼と來である。

 どちらも特殊な事情を抱えているが、ここのところは明るく健やかに過ごしている。羽貫衆の三人にとっても、その笑顔が日々の楽しみとなっていた。

 特に今日は――

「お邪魔します」

「おお、よく来たな!」

 夕刻になって、ヒュウが屋敷を訪ねてきた。さっそく長い食卓の置かれた宴会場に入ると、そこにはすでに全員が集まっている。

「おっ、ヒュウじゃん。今日もヒューゴさんそっくりだね」

 目が合うや否や、來が茶々を入れてきた。

「いや、全然似てないから」

 父とそっくり――お世辞でよく使われる文句だが、ヒュウは父を毛嫌いしているからか、露骨に嫌な顔をする。來はそれを面白がって言っているのだ。栄作に言われた時は軽く受け流せるのだが、來の場合は悪意しか感じない。ヒュウはご機嫌斜めになってしまった。

「あ……でも、まつ毛とか鼻はお母さん似かも」

 影狼がさりげなくフォローを入れるが、いざ口にしてみれば皮肉にしか聞こえない。それしかないのかと。明るい黄緑色の髪に小麦色の肌。瞳も橙色。外見はヒューゴの面影が強すぎて、ちょっとかわいそうだ。

「そんなことより……」しかしそこは、ヒュウが大人の対応でかわしてみせた。「影狼、誕生日おめでとう!」

 そう、今日は影狼の誕生日。こういう時こそ、いいところを見せてやらなければ。

 これで晴れて、影狼は十四歳となる。


 太郎次郎が祝いの料理を作るというので、一同はその間、札遊びをすることになった。

 歴史上の偉人が描かれた札が五十三枚。エゲレス式の南蛮かるたを、日ノ本向けに作り変えたものなのだが、これがヒュウの店ではなかなか売れているらしい。遊び方はいくつかあるが、どれも柳斎の独擅場であった。といっても、柳斎は栄作を陥れることに全力を注いでいたため、他の者にもチャンスはあった。

 やや遅れて、ヒューゴとみどりがやって来る頃には、食卓に派手な盛り付けの料理が並んでいた。相変わらず肉が多めだったが、味付けが豊かで飽きが来ない。そして最後に出てきた一品がこれまた格別だった。

 エゲレスで人気沸騰中の洋菓子――パウンドケーキ。

「これ、本当は混ぜるのにすごい時間かかるんだけど、太郎次郎さん早かったよ」

 ヒュウが持ち寄った料理本を見ながら、太郎次郎が作ってくれたようだが、初めてにしてはなかなかの完成度だ。適当な性格に見えて、太郎次郎は意外と器用だったりする。

太郎次郎さんはろーひろーはんこれほれおいしいおいひー!」

 フワフワの食感に夢中になり、影狼はケーキを口いっぱいに詰め込んだ。

 ペチッ!

 そこへ突然のビンタ。慌てて口を押さえる影狼。犯人はもちろん、來であった。

「なんで叩くんだよ!」

「面白そうだったから」

 ちょっとでも隙を見せればすぐこれだ。侵蝕が進むと人は衝動的になると言うが、來の場合はそれがイタズラに強く表れているようだ。

 それにしても、こんな大勢でワイワイできるのは本当に久しぶりだった。鵺丸の事件から一ヶ月と少しが経ち、影狼はようやく安住の地を得たのであった。

 食事の後は、それぞれが思い思いの時間を過ごした。もったいないからと、余った料理を食べ続ける柳斎。後から来たヒューゴらを交えて、また札遊びに興じる子供たち。影狼はというと、食べ過ぎで体が重たいということで、壁にもたれて休んでいた。その隣に、札遊びを抜けてきた栄作が座り込んだ。

「どうだ? うちにはもう慣れたか?」

「はい。でもここまでしてもらうと、どうお返ししていいか分からないです」

「そこは気にしなくていいんだぞ。こっちもこっちで、人手が増えて助かってるからな」

 ここに来てからの影狼はよく働いていた。立場上、羽貫衆としての仕事はできないが、家事は以前から義母の代わりによくやっていたから、進んで手伝うようにしていたのだ。

「今はそれだけで十分だ。あとは自分のやりたいことをやればいい。オレたちの本業は傭兵だけど、実際に戦に出るのは年に十回くらいしかないからな。それ以外の時間は、みんな好きなことをやってる」

 柳斎はそれなりに名の通った絵師。太郎次郎は、自慢の蒙句麗料理で店を出すために研鑽を重ねている。栄作は鉄砲や刀を作って、荒稼ぎしている。

 自分もそんな豊かな日々を過ごしてみたいと、影狼は思う。

 でも、今はそんな気分じゃない。鴉天狗の者たち――影狼にとっては家族同然だった者たちが、いつ死ぬかも分からない不安な日々を送っている。そんな中、自分だけが安穏と生きていけるだろうか。

 影狼が難しい顔で考え込んだのを見て、栄作は言った。

「鴉天狗のことなら心配するな。とりあえず越後に逃げ込んだことだし、今すぐどうということはない。まあ、やれることは早めにやっておいた方がいいだろうけどな」


     *  *  *


 鴉天狗のために今の影狼にできること――それは、鴉天狗の罪ができる限り軽くなるよう、幕府に働きかけることだ。

 さっそく次の日から、影狼は羽貫衆と共同で方策を練った。

「まずは幕府の中に味方を増やすことだな」栄作には自信があるようだった。「こう見えてオレたちは、幕府の偉い人たちとも繋がってるから、こういうのは得意だ」

 勝算はある。影狼はかつて柘榴から、妖派の悪評を消し去るよう取引を持ち掛けられたことがあった。それくらい、わざわざ影狼に頼まなくても揉み消せそうなものだが、そうしなかったということは、妖派の力はその程度ということだ。

 幕府内部にも、妖派に反感を抱く者はいる。それも妖派を脅かす力を持つ者たちが――

 栄作たちは、さっそく信頼のおける人物に掛け合うことにした。


 そして半月後――羽貫衆の屋敷に、ある大物がやって来た。

「すみませんね、わざわざ迎えに来てもらって」

「なに、気にすることはない。たまには懐かしい道場に寄ってみるのも悪くないと思ってな。それに……」来客は、栄作たちの背後に控える影狼と目を合わせ、「事情が事情だ。私の屋敷に来てもらうわけにもいくまい」

 影狼はやや緊張した面持ちで会釈した。面識はあるのだが、やはり久々に見てみるとその風格に圧倒されてしまう。それもそのはず、やって来たのは武蔵国国主にして幕府四天王の一人――笹暮友晴。背後には旅装の部下を大勢引き連れている。

 このような大仰な訪問となったのにはわけがある。

「上手く事が運び過ぎて戸惑いはあるだろうが、胸張って行け。こんな機会滅多にないんだぞ」尻込みする影狼の背中を、栄作が押し出す。「大名の会合に呼ばれるなんてな」

 そう、笹暮がここへ来たのは、影狼を大名の会合に参加させるため。会合では鴉天狗のことも話し合われるため、その参考人としての参加であった。

 とは言え、家格も権力も無いに等しい子供が参加するのは異例のことである。相応の力を持つ者の口利きがなければ、実現はあり得なかった。

「こんなにあっさり行くとは思わなかった。私の他にも協力者がいるのか?」

「念のため、ヒューゴさんを通して、タカミさんにもお願いしてみました。影狼にちょっとした手柄があったんでね、すぐに引き受けてくれましたよ」

「なんと、あの方が……」

 タカミはヒューゴの雇い主の名だ。妖派ができるずっと前から侵蝕の研究をしていたとのことで、影狼は以前から気になっていた。協力してくれるのなら心強い。

「忘れ物はないか?」

「はい!」

「よし、それじゃあ出発だ」威勢のいい声で、栄作が言った。「笹暮さん、影狼を頼みましたよ」

「うむ、任せておけ」

 鴉天狗の命運を賭けた妖派との対決。志を同じくする武蔵坊とは違った形で、影狼の戦いが今始まった。

 向かう先は激動の時代の中心地。時代を動かす者たちがそこに集結する。

 これまでにない胸のざわめきを、影狼は感じていた。

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