第52話:鴉天狗五剣

 妖刀――血舞酔を中心にして、巨大なドス黒い血の紋様が宙に浮かんだ。

 信繁の体が紋様の中心へと引かれ始めたのは、その直後のことだった。正確には、体ではなく刀と甲冑が引かれている。脇差も、手で押さえていなければ持って行かれそうだ。強烈な磁力が働いている。

 ―――鉄を引き寄せているのか……!?

 術のからくりに気付いた信繁は、甲冑を脱ぎ捨てようと考えたが、そうするには刀を手放さなければならない。刀を捨ててどう戦うというのか。むろん、刀も甲冑も捨てて逃げるなどという無様な真似は、彼の矜持が許さない。

 迷った挙句に信繁が取った行動は、真正面からの突撃だった。

「ガハハ、とうとう血迷ったか。信繁め……うぃっ」

 磁力で引き寄せられるのを利用し、勢いは増しているものの、信繁は思うように刀を振れないはずだ。対して片桐の妖刀は磁力の影響を受けない。返り討ちは必定。片桐は迎え撃とうと構える。

 だが信繁も無策ではなかった。激突の直前に刀を投げつける。片桐はかろうじて弾き返す――が、刀は歪に回転しながら舞い戻って来た。当然だ。磁力は片桐を中心に働いている。この一瞬だけ生まれた隙を見逃さず、信繁は片桐に掴みかかった。そして、脇差をその首に突き立てた。

「油断したな片桐。首を掻き切られても減らず口を叩けるか、試してやろうか」

「力勝負か……面白い!」片桐は妖刀を投げ捨て、取っ組み合いに応じる。「貴様なんぞ、抱き潰してくれるわ!」

 信繁にとって、一撃で首を飛ばせなかったのは誤算だった。力勝負となれば、今は片桐が断然有利。中途半端な傷が、さらに片桐を強くする。片桐は、片手で脇差を押しのけ、もう片方の手で鎧ごと信繁を潰しにかかった。

 骨が軋んでいるのか、鎧が軋んでいるのか、ミシミシという音が鳴り始める。

 そこへさらに、静観していた十六夜が鎖鎌を投げつける。

 鎖鎌は磁力に引かれ、抱き合う二人をがっしりと縛りつけた。念のためだったのか、まとめて始末するつもりだったのかは分からない。しかし、この絶対絶命の状況は信繁に、ある決断をもたらした。

 信繁は鎧の裂け目――片桐に斬り裂かれた部分を引っ掴むと――

「くおおおおおっ!」

 猛虎が如き咆哮とともに、鎖もろとも鎧を引き裂いた。

 それから片桐の抱擁からするりと抜け、屋敷の外へと逃げ出す。身軽になったからか、追い詰められたからか、その素早さは先程までの比ではなかった。

「の、信繁様!」

 屋敷を囲っていた彼の兵たちも、慌ててその後に続く。あとには、呆気に取られる色部と十六夜。そして鉄の残骸が絡みついた片桐が残された。

「なんだ……結局お前も命が惜しいんだな。なんか安心したぜ……うぃっ」

 そうつぶやいて、片桐はまた酒を飲んだ。敵を取り逃がした悔しさはなく、むしろその逃げっぷりが酒の肴になったようである。


     *  *  *


 その頃――二の丸では、昼間から続く城内戦で最も激しい攻防が繰り広げられていた。攻め手の鴉天狗と守り手の吉良家義氏派。敵味方がはっきりしている分、お互い容赦がない。

 同じ条件で戦った序盤は、熟練度の高い鴉天狗が圧倒的優勢だった。数で上回る義氏勢を散々に蹴散らし、門の前に迫る。だがここで、義氏勢が地の利を活かして反撃に出た。

 意気揚揚と門を潜った者たちを待ち受けていたのは、行き止まりだった。ハッとして辺りを見回すと、右奥にもう一つの門がある。慌ててそちらへ向かうが、もう遅かった。

「撃てぇ~い!」

 号令が掛かると同時に、壁に設けられた穴から一斉に火が噴き、先駆け組は瞬く間に壊滅してしまった。

 枡形虎口ますがたこぐち――戦国時代末期に考案された城郭構造の一つだ。この狭い空間に誘い込まれた攻め手は、二番目の門の攻略に手こずる間に三方から銃撃を浴びることになる。

 全体でも二百人に満たない鴉天狗としては、消耗戦となるのは避けたいところだ。

「フハハ、通れまい通れまい」攻め手の足が止まったのを見て、二の丸の守将が笑い転げる。「城攻めというのはとにかく人数が要る。互いに兵力の少ないこの戦、二の丸と本丸を取った時点で我らの勝ちは決まっていたのだ」

 それを聞いて、二の丸の守備兵たちの顔がほころぶ。

 だがそれもつかの間、狭間を覗いていた鉄砲兵たちが一斉に騒ぎ出した。

「な、なんだ……? 急に奥が真っ暗に……」

「真っ暗? どれ、見せてみろ」

 何事かと守将が壁に近付く。次の瞬間――

「ぐわっ!?」

「ぎゃっ!?」

 壁中の穴という穴から、黒い光線のようなものが飛び出し、覗いていた守備兵たちの頭を貫いた。

 思いがけない怪異に驚き、後ずさる守将。そこへさらに――

 ドゴォッ!

 石壁が砕ける激しい音が耳を打った。そして弾け飛んだ石礫の一つが、守将の頭に直撃する。

「バ……カな……門は、向こうだぞ……」

 昏倒する直前、守将は二の丸に侵入する二人の男の姿を見た。

「上江洲……もう少し術の使い所を考えたらどうだ? ただでさえ妖刀の扱いが拙いのだから」

「うるせぇな。てめぇもこの前刀折られただろ。かと思えば、いつの間にか二本に増えてるしよお」

「量産型だからな。越後に持って来た分だけでも、あと十本はある」

「けっ、安上がりな妖刀だぜ」

 偃月刀使いの上江洲と、黒刀使いの犬童であった。


「二の丸が陥落……? こんなにも早くにか!?」

 本丸の義氏にその報せが届いたのは、それから間もなくのことだった。

 義氏らも鴉天狗の卓越した戦闘能力は聞かされていたが、これには驚く他ない。二人の妖刀使いが率いる鴉天狗と潜入工作を専門とする月光。彼らの前では、戦の常識はことごとく覆されてしまうのだ。

 そこへ、新発田が本丸に駆けつけたという報告が続けて届いた。

 最も頼りにしている部下の一人が来たとあって、義氏は一瞬顔を輝かせたが、現れた新発田の姿を見て愕然とした。

 一体どれだけの大軍を相手取ればそうなるのか。新発田の体には、全身余す所なく切り傷が刻まれ、鎧は原形をとどめていなかった。実際に深手になっているのは数ヶ所の槍傷だけだが、そちらの方がまだ痛々しくない。

 新発田は周囲がざわつくのにも構わず、まっすぐ義氏のもとに向かい、跪いた。

「義氏様、恐れながら申し上げます。もはやこの戦に勝ち目はございません。退路を塞がれぬうちにお引き下され!」

 いきなり撤退を進言され、義氏は思わず立ち上がった。

「なっ、それは一体どういうことだ!? 信繁はどうした!?」

「すでに敗走したと聞いております。私は信繁を撃退した者がこちらへ向かっていると聞き、殿をお守りせんと急ぎ駆けつけたのです」

 新発田は信繁を心底恨んだ。才蔵だけでも荷が重いというのに、信繁が逃げ出したことで片桐も、他の二人の妖刀使いも、ほとんど新発田一人で引き受けなければならなくなった。他に誰が引き受けられるというのか。

 当初は圧倒的優位に立っていたからか、義氏は新発田の進言をすぐには受け入れられなかった。善見山城の権威的な価値も捨てがたかったのであろう。家臣たちの強い説得により、ようやく義氏は撤退を決断したのだった。

 幸い、数の少ない鴉天狗は一度に一つの門しか攻められないだろう。一方の門に引き付けている間に、別の門から容易に抜け出せるはずだ。あとは、城を出るまでに難敵と出くわさないことを祈るばかりである。


     *  *  *


 義弘が立て籠もる三の丸では、主の退却を知らない義氏派の兵が執拗な攻撃を続けていた。

 三の丸にも他の曲輪同様、防衛特化の虎口が設けられている。武蔵坊の失態で第一の門は破れてしまったが、さらに先へ進むには相応の犠牲を必要とする。義氏派としては、城内の敵勢力を一掃してから全軍で一気に攻略するつもりであったのだろうが、それはもう叶わない。

「武蔵坊さん、そんな目立つ所にいると敵に撃たれますよ」

 皆が狭間を利用して射撃する中、武蔵坊は塀の上に立って堂々と矢を射放っていた。

「いいんだよ。こそこそやるより、派手にぶちかました方が相手もビビってくれるだろ? 撃てるもんなら撃ってみやがれってんだ」

 信忠に諌められてもやめようとしない。圧倒的な力の差を見せつけて、敵に退いてもらおうというのだ。後継者争いが終われば、生き残った者はまた仲間になる。武蔵坊としては、こんなところで無駄な犠牲は出したくなかった。

 そんな姿を見て、信忠は先程から疑問に思っていたことを口に出す。

「鴉天狗の妖怪というのは、やっぱりあなたのことですよね?」

 人の域を超えた跳躍力。剛弓を目の当たりにしてそう思ったらしい。

「なんだ、こんな時に? 妖怪で悪かったな」

「いえ、そういうことではなく……」時と場が相応しくないと感じつつも、信忠はその先を言わずにはいられなかった。「かっこいいと、思ったんです。それだけの力を持っていながら、私利私欲のためではなく、弱い人たちを守るために使うなんて。そんな妖怪がいるとは、考えたこともありませんでした」

 信忠としては最大限の尊敬を示したつもりだったが、それを聞いた武蔵坊の顔には、悲壮な色が浮かんでいた。

「そんな胸張れるようなもんじゃねぇよ。オレが侵蝕人を守りたいのは善意からじゃねぇ。自分と同じような境遇の奴らが理不尽な目に遭うのが、気に食わなかっただけだ。侵蝕人を守るために、多分それより大勢の人がもう死んでる。オレの意地のためにな……だから、かっこいいだなんて言ってくれるな」

 その言葉には、戦うことでしか生きられないという悲しみ、怒りが込められていた。

 今の世の中では、武蔵坊も侵蝕人もまともな生き方はできないだろう。鴉天狗がなくなれば生きることすら許されない。残された道は戦うことだけなのだ。私利私欲のために戦っていることでもあるのだが、信忠にはそれが悪いことだとは思えなかった。そもそも、善悪で割り切れるものなのだろうか――

 それに比べると、後継者を巡るこの戦いが、ひどくちっぽけなもののように感じられた。

 もう何度目か分からない一斉射撃が、新たな屍の山を築いた時、ようやく戦は終わりを告げた。

「義氏が逃げたぞ! 城を捨てて逃げた!」

 その声は、色部屋敷のある方面から響いてきた。

 本丸と二の丸の方をよく見てみると、確かに固まっていた兵たちが、東側からぞろぞろと離脱を始めている。義氏がその中にいるのか、一足先に城を出たのか、いずれにしても、もはや三の丸を攻めている場合ではなかった。

 義氏派の兵たちが一斉に逃げ出す。向かった先は色部屋敷側の通路。敵も少なく、容易に突破できるかに思えたが――

「なんだお前ら、邪魔くせぇな!」

 道端の酔っ払いに、たちまち数人が斬り伏せられた。

 現れたのは片桐。その背後には十六夜と才蔵、そして色部の姿もあった。逃げ道を塞がれて立ち往生する義氏派の兵たちに、色部が怒鳴りつける。

「武器を捨てんか無礼者! 勝敗は決した。吉良家当主の座を継ぐのは義弘様だ! 以後刃向う者は吉良家に戻れぬと心得よ!」

 それですべてが終わった。その場にいた義氏派はすべて投降し、同時に勝鬨が上がった。

 義弘側の勝利。それは善見山城がおよそ百三十年ぶりに、長尾家の血を引く者の支配下に収まった瞬間でもあった。皮肉なことだが、義弘こそがこの城の由緒正しき主なのだ。

「正成様! ご無事でしたか!」

 色部が三の丸に入ると、信忠ら主だった家臣が満面の笑みで出迎えた。色部は彼らに賛辞を贈りながら、義弘の元へ向かった。

「記念すべき戦勝、お祝い申し上げます。新当主――義弘様!」

「新当主か……気が早いな、正成」そう言いつつも、義弘は嬉しくてたまらない様子だった。「そなたが鴉天狗を味方に引き入れたからこそ、今日の勝利がある。礼を言うぞ。皆も、よくぞここまで持ち堪えてくれた」

 勝利の余韻に浸るのもそこそこに、義弘はすぐに本丸への移動を開始した。本当は義氏を追撃し、決着をつけたかったのだが、色部の進言で城の制圧を優先した。越後支配の象徴たる善見山城を押さえたのだから、わざわざ少ない兵力を割いて隙を与える必要はないとのことである。

 本丸に移った義弘は、先代義秋も使用していた印判で書状をしたため、自らが後継者となったことを国内に宣言した。これにより、当初は義氏を支持していた勢力も多くが義弘側に加わることとなった。善見山城を押さえた影響はそれほどに大きかったのである。

 またこの戦では、鴉天狗の活躍が目覚ましかった。特に傑出していた五人は鴉天狗五剣と呼ばれ、それぞれ煉獄の武蔵坊、笹隠れの才蔵、黒天の犬童、仁王の上江洲、酒吞の片桐の名で越後全土に知れ渡ることとなった。

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