第14話:叛逆の狼煙

 真夜中の峠道。

 道に沿って砦のような建物が並んでいる。その背後の林に、うごめく影があった。

 影は木々の間をゆっくりと進み、やや開けた場所へと抜け出る。かすかな星の光が浮かび上がらせたのは、真っ黒な忍装束。

 影の主は月光の忍――山梔子くちなしであった。

 柘榴の言った通り、鴉天狗は一人も欠けることなく移動を続けていた。

 目的地は独立勢力の越後国。越後大名と手を組んで幕府に対抗するというのが鴉天狗の狙いであった。既に行程の半ばとなる上野国中腹まで来ているが、今のところ幕府はおろか、ほとんど人目にすら付いていない。これもひとえに月光の働きによるものである。

 山梔子が林を抜けると、そこにも忍装束の男がいた。木に寄り掛かったまま腕を組んでいる。

「……どうだ?」

「意外と少ないですね。この暗さじゃ正確には分かりませんが、せいぜい二十人弱といったところでしょう。手分けすれば一分で殺れますよ」

 鴉天狗の行く先々で、月光はこのようにして哨戒しょうかい活動を行っている。そして幕府の目をかいくぐる最適なルートを割り出すのだ。

 ところが今、彼らは最大の難関に突き当たっていた。

 ここ上野国には、五街道の一つに数えられる中仙道なかせんどうがある。交通の要所には徴税や検問の目的で関所が設けられるのが一般的だが、山梔子たちの前に立ちはだかっているのはその中でも最も重要な関所の一つ、磁水じすい関所であった。

「こんな関所を、御頭おかしらは何でわざわざ乗っ取ろうと思ったんですか? こっそり抜けられないことは無いと思いますが……いや、オレこういうの好きなんですけどね」

「………」趣味の悪い部下を冷めた目で眺めやり、御頭は答えた。「理由は二つ。一つは越後大名との交渉を有利にするためだ。越後に入れば一段落ではあるが、安心は出来ない。もし大名が鴉天狗を受け入れなかったら、そこでオレたちは全滅だ」

「なるほど。関所を破れば信用してもらえるわけですか」

「それだけでは足りない。人手不足の関所を破った程度ではまだ、幕府の回し者だと疑われる可能性がある。戦力の誇示も兼ねて、もっと大規模な戦闘があった方がよい」

「まさか……ここで幕府軍を迎え撃つんですか?」

 殺しが好きと言った山梔子が浮き足立っている。暗殺は得意でも、数で劣る白兵戦は怖いようである。

「恐れることは無い。一瞬だけ戦ってそれっぽく見せればいいんだ。幕府が本気になればそれも難しいが、今は皇国との戦争の真っ只中。動員できる兵はせいぜい三千だろう」

「三千って、ハハ、そりゃ大変だ……で、二つ目の理由とは?」

「分からないか? 月光が今一番手を焼いていること――すなわち食糧の確保だ」

「!」

 鴉天狗が集落を出た時、彼らはそれ程多くの食料は持ち出せなかった。

 人目を避けて逃亡する事を考えれば、大きな荷物を運ぶのは避けるべきである。それに野宿続きでは調理もまともに出来ないため、主食の米もさほど重宝されなかったのだ。

 この困難な問題を解決していたのも、また月光である。

 月光の忍は近くに町があれば町人に扮し、食糧の調達に当たっていた。鵺丸の財力がここで発揮されたわけだが、お金が充分にあっても鴉天狗、月光、侵蝕人合わせて三百人分の食糧を確保し続けるのは困難であった。

「ここに食糧が置いてあるんですか?」

「緊急時には軍事拠点にもなるんだ。可能性はある。それも確認しろと言ったはずだが?」

「恐れながら、人数確認しか……」

 暗殺の手順を考えているうちに、忘れてしまったようだ。

「全くお前という奴は。隠密としての技能は申し分ないが、無用心が過ぎるのではないか? それだからこの間の間引きも失敗したのだ」御頭はため息をつき、「仕方無い。もう一回見て来るんだ。お前なら何度行っても見つからないだろうよ」

「はっ!」

 山梔子は音も立てずに、再び漆黒の林の中へと消えて行った。


     *  *  *


 関所で異変が起こったのは、夜明け前の事であった。

 この時間でも、磁水関所では番兵が働いている。二十四時間体制である。

 皇国と戦争中。それもすぐ隣の信濃国が主な戦場となっている分、ここの番兵たちにもそれなりの緊張感はあった。しかし不幸なことに、もっと近くに潜む危険を彼らは知らない。武蔵国で起きた事件はまだ、彼らの耳には入っていなかったのだ。

 今、番兵の一人が眠気と格闘している。

 交代制ではあるが、昼夜逆転した生活は楽ではない。

 朝日が昇れば交代の者がやって来る。夜勤の者は東の地平線を眺めながら、その時が来るのを待っていた。

 不意に、肩に手の感触があった。

 交代の者が来るにはまだ早いが――

「おい、起きろ」

 叱咤の声。

 不覚にも番兵は立ったまま居眠りをしていたのだ。

 しまったと振り返った刹那――彼は眉間に刃を受けた。

 彼を起こしたのは上役でも同僚でもなく、忍装束の見知らぬ男。不幸な番兵はそれをかすかに見据え、そのまま永遠の闇へと沈んでいった。

 こんな悪意のある殺し方をするのは山梔子以外にありえなかった。弱い者は徹底的にいたぶる。それが彼のやり方である。

 これを皮切りに、至る所から悲鳴が湧き起った。

 恐らくは番兵の半数ほどが十秒のうちに討ち取られただろう。騒ぎを聞きつけて建物内からも人が飛び出す。しかし慌てる余り、彼らは後方から飛来するものに気付かなかった。彼らのうちの一人がなにかに巻き取られ、中空へと姿を消してしまった。

 状況が呑み込めないまま、仲間が一人、また一人と消えていく。そんな中では関所を守る使命感などあったものではない。外に出た者は抗戦を諦め、出口めがけて一目散に逃げ出した。

 屋根の上では、月光の頭領が絡まった鎖鎌を解いている。絡み取られた番兵は既に息絶えていた。


 建物内に残っていた者は闇を恐れ、一歩も外へ出られなくなってしまっていた。

 外には得体のしれない者がうろついている。それが人なのかどうかさえ、彼らには疑わしく思えた。

 だがそれで状況がよくなるはずもない。この場に留まれば、待っているのは死のみ。

 番兵たちが明かりのある所に固まっていると、部屋の中央で落下音がした。

 視線が集中する。

 その先にはやや小さな人影。白銀の髪と猫が如き双眸が、暗闇の中に浮かんだ。

 月光のくノ一――唯月である。

 番兵たちは恐怖も忘れてその神々しい姿に見とれていたが、一人が刀を抜くと一同我に返った。相手は女一人。当方には臆病ながら男が四人いる。これを好機と見たのだ。

 ただならぬたたずまいだが、彼らが恐れていたような化け物でもない。

 押し包むようにして一斉に斬りかかる。

 唯月は腰から二振りの小太刀を引き抜いた。

 双手逆手に構えると、旋風のような身のこなしで四方から殺到する刃を跳ね除けた。

 そのまま空中に舞いあがり、左右の男の顔面を蹴り飛ばす。

 隙のない、流れるような剣技であった。

 蹴られた男がかろうじて起き上がった時には、立っていた二人の首筋から血しぶきがあがり、男の眼前には投擲された小太刀が迫っていた――


 外に逃げた者たちは度重なる襲撃でその数を減らし、出口に着いた頃には最後の一人となっていた。しかしここまで来れば人数など関係ない。門を抜けて助けを呼べば、自分の命も関所も守り通せるはずだった。

 門の外に出ると、そこには仁王立ちになった長身痩躯の男がいた。

 最初、安堵の表情を見せた番兵だが、それはみるみるうちに蒼ざめてしまった。

 彼の前に立ちはだかっていたのは上江洲。しなやかで美しい体躯だが、顔は仁王そのものだった。敵か味方かは一目瞭然である。

「……っ! そこをどけぇ!」

 この強面の男を前にして怯まなかったのは、さすが最後の生き残りといったところだろう。正面から渾身の力で打ちかかる。

 真っ向からそれを受ける上江洲。月光のような小細工は使わない。

 だが勝負は呆気なくついた。第一撃を叩き込んだ瞬間、番兵は両腕にビリビリと鋭い痛みを感じた。打ち込みの衝撃がそのまま自分に返ってきたのだ。例えるならば岩壁――いや、純金の仁王像を叩いたような感触である。

 渾身の一撃を受け止めた偃月刀はこゆるぎもしなかった。

 二撃目は上江洲の攻撃。まともに受ければ腕が駄目になる。かと言ってよけるのは――迷っているうちに番兵は、上江洲の速く、重く、深い斬撃を喰らっていた。

 かくして、磁水関所は短時間のうちに鴉天狗の手に落ちてしまったのである。


     *  *  *


 鵺丸が到着したのはそれから間もなくの事だった。

 鴉天狗は目立ちやすい大人数での行動を避け、分散と集合を繰り返しながら進んできた。

 分散していた隊が徐々に集結する。

 関所に入った侵蝕人から順に、蛇影が抜けて行った。鵺丸の術である。

 月光の働きももちろんの事、この術なしにはここまで来れなかっただろう。蛇影を以て侵蝕人を支配する。気が咎めないでもないが、その必要性は誰もが認めるところであった。

 関所を廻る鵺丸たちの前に、一つの影が舞い降りた。月光の頭領である。

十六夜いざよいでございます! 関所の制圧及び食糧の確保、完了致しました!」

「ご苦労」ひざまずいた部下に、鵺丸がねぎらいの言葉をかける。「疑っていたわけではないが、月光の腕は戦国時代から少しも衰えていないようだな。感服したぞ」

「……光栄に存じます」

 返す言葉は、どこか素っ気なかった。

 鴉天狗のメンバーとは違い、鵺丸と月光の間にははっきりとした主従関係がある。両者を結びつけているのは決して絆ではないのだ。

 十六夜が去ると、鵺丸に付き従っていた武蔵坊はやや不審げに口を開いた。

「前から気になってたんだが、一体あの月光とかいうのはどこで見つけたんだ? いくらなんでもあれは物騒すぎるぜ」

 太平な世――最近はまた物騒になったが、そんな時代に月光のような忍衆がいるのは妙な感じがするのだ。

「気になるか? あの者たちは代々将軍家に仕えていた隠密だ。将軍が暗殺され、職を失っていたところを儂が雇った。妖派対策も兼ねてな」

「信用できるのか?」

「分からん……が、月光の力なくしてここまで来れなかったのは確かだ。信じてやろうではないか」

 月光への依存は今に始まったことではない。武蔵坊が鴉天狗に来た時には既にそうなっていたのだから。

 この危うさは決して見過ごせるものではないが、いまさらどうにもできない事だった。

 武蔵坊が気にかけている事は他にあった。

 至る所に横たわる番兵の屍。

 彼らは何も知らない、何の罪もない人たちである。

「鵺丸。オレたちは、本当にこれでいいのか?」決意が揺らぐ。「これから先、オレたちが幕府と戦う事になればかなりの死人が出るはずだ。オレにはそれが正しい事とは思えない」

 聞かれた鵺丸の顔が曇る。

 彼もまた、完全な答えは見出せていないようだった。

「……幸成にも、同じことを言われたな」

 鵺丸はしばらく夜空を見つめていたが、やがて意を決したように息を漏らした。

「だが儂の気持ちは変わらん。幕府と上手く行かないことなど、分かりきっていたことではないか。儂がそれを恐れていたら、鴉天狗など作らなかっただろうよ」

「……?」

「武蔵坊よ、目的を見失うな。儂らの目的は妖に蝕まれた者を救うことだったはずだ。儂らが戦わなければ彼らは幕府、妖派の手に落ちる。お主はそれでよいのか?」

「……いや、よくねえな」

 武蔵坊は簡単に前言を撤回してしまった。

 考えが変わったわけではない。ただ、何かが腑に落ちない。

 幕府と戦えば人が大勢死ぬ。戦わなければ守るべき人たちがほぼ確実に死ぬ。どちらに転んでも心にチクリと来るものがあるのだ。

「お主の気持ちは分からないでもない。そもそも侵蝕人は、世の中全体にとっては好ましくない存在だ。これを言うのも癪だが、幕府のやり方の方が世の中は上手く回るかもしれん。鴉天狗が上手く行かなかったのは、世の理に逆らったからだ」

 ―――なんて奴だ……!

 武蔵坊は戦慄のようなものを覚えた。これを聞いていると、鵺丸が無理を承知で鴉天狗を作ったのではと思えてしまうのだ。こうなる事を承知の上で――

 脇から冷や汗が流れ落ちる。

「鵺丸は、その世の理とやらが気に食わないんだな?」

「当たり前だ」鵺丸はぴしゃりと言ってのけた。「たとえ世の為だとしても、侵蝕人を虐げてよいはずがない。彼らの犠牲を当然だと思っているこの世を、儂は変えたいのだ」

 これは鴉天狗の者ならば誰もが持っている志であるだろう。

 武蔵坊も同じ思いだった。大滝村を後にする時もそれを確かめたはずだった。しかし何度考えても、己の決断に不安を覚えてしまうのだ。

 幕府に勝ったとして、侵蝕が無くなるわけでもない。

 奴らが抱えていた侵蝕人が流れ込めば、鵺丸の術でも抑えられないだろう。結局はあの悪夢の繰り返しではないか――

 まったく、世の中そう上手くは行かないものだ。誰かが幸せになれば誰かが不幸になる。侵蝕人ときたら、他人の幸せを奪っても幸せにはなれないだろう。

 ―――オレに出来るのは、最後までこいつらに味方してやることだけだ……

 決戦の時は近い。武蔵坊はもうためらわない事にした。

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