第13話:妖派のすゝめ

 通路の両側に置かれたかがり火が、石張りの床を照らしている。

 影狼が向かっているのは、妖派を束ねる者の部屋。御屋形様――たった今先導している男はそう呼んでいた。

 黒塗りの大きな扉の前まで来ると、男は立ち止まった。

 ここがその部屋らしい。宿敵との対面を前に、影狼の緊張は高まっていく。

 扉が開くと、奥行きのある広間が現れた。

 入口から奥へとのびる絨毯。その両側に並ぶ柱と衛兵を、かがり火が高所から照らし出している。奥には窓があるらしく、陽光が乏しいことから暮れ時だと分かった。

 衛兵に促され中に入ると、影狼は奥にたたずむ者の存在に気付いた。

 赤い髪の、若い男――

「影狼……お前がそうか」

 声をかけられ、影狼はぎょっとする。

 ―――こいつが妖派の……

 一目見ただけで分かった。

 燃えるような赤い髪に、赤と青を基調にした派手な衣装。並の者がこの格好ならばあまりのおかしさに笑い出してしまうところだが、なぜかこの男には似合ってしまう。異端中の異端――妖派を象徴するかのような出で立ちであった。

「あの來と互角に渡り合ったそうだな。褒めてつかわそう」冴えた瞳が、影狼を見据える。「オレは妖派の主将、柘榴だ。お前と少し話がしたい」

 ヘビに睨まれたカエルとは、このことを言うのだろう。影狼は金縛りにあったかのように、身がすくんでしまっていた。

「……落ち着かないか? それもそうか。同胞は賊軍に成り果て、自分は囚われの身。こんな惨めなことは無い」

 柘榴は部下に命じ、影狼の手かせを外させた。その時でさえ影狼は跳ね上がるようにビクッと震えた。それを見て、柘榴は笑いをこらえながら言葉を継ぐ。

「楽にせよ、影狼。鴉天狗の者だからといって冷遇するつもりはない。まずはお前の中にあるわだかまりを解いてやろう。話はそれからだ」

 ―――わだかまり……?

 その不思議な響きが、心の中でこだました。この男は鴉天狗の惨めな小僧と、何を話そうというのだ。

「さて、まず一番気になるのは仲間の安否かな」

「……!」

 あの夜の記憶がよみがえる。

 鵺丸が妖派の一部署を襲撃した、あの夜の事。わけも分からないまま武蔵坊を呼びに行き、帰ってきて目にしたのは血にまみれた幸成。そして鵺丸が現れ――

 置き去りにしてしまった幸成がどうなったのか。

 鴉天狗の仲間は無事なのか。

 これらの事はこの数日間、いつだって頭の片隅にあって、影狼を苦しめていた。

「今の所、奴らの行方は分かっていない。事件を知って人を遣った時には、鴉天狗の集落はもぬけの殻だったからだ。確証はないが、集落に居た連中はまだ一人も欠けてないと見ていい」

 なぜそんなことを自分に――疑念を抱く一方で、影狼は仲間の無事を知ってひとまず安心する。

「一応聞いておくが、鴉天狗がどこに向かったか知っているか?」

「いや……何も」

 ようやく、影狼も口を開いた。

「だろうな。知ってても、言うわけないか」

 柘榴は自嘲気味に笑った。しかしこの無駄に思える質問も、相手の緊張をほぐす効果があったようだ。

 影狼は残る不安事を打ち明ける。集落に居た人は無事。ならば――

「……集落に、居なかった人は?」

 それが指しているのは、恐らく無事であろう鵺丸と、途中まで共に逃亡していた武蔵坊。そして――幸成である。

「それはもう分かっているだろう? お前は事件の目撃者だ。鴉天狗全体で死人はただ一人……源幸成だけだ」

 ―――幸兄……

 分かってはいたが、改めて聞かされると悔しさが滲む。あれが今生の別れだったのだ。

「現場検証は済んでいるが、どうも不可解な点が多い。死体には全て同じ刀痕が残っていた。恐らく鵺丸の刀だが、分からないのは幸成にも僅かながらその痕が残っていたことだ。幸成の実力は我々妖派もよく知っている。あそこにいた奴らが討ち取ったとは考えにくい。同士討ちでもあったのか?」

「幸成は……オレの義理の兄だ」ぽつりと、影狼が言った。「あの時、鵺丸が邪気でおかしくなったから、幸成が止めようとしたんだ」

「……そうか、それはお気の毒に」

 柘榴は驚いたようだが、むろん口にしたのは心にもないことであろう。ただ、影狼を見る目は、好奇の色が一層増したようにも見える。

「許されることじゃないのは分かってるけど、他の人は何も悪くない」

 影狼が続けて口にしたのは、哀願であった。

 冷酷な妖派の情に訴えるのは無駄としか言いようがない。だが影狼にはもうそれしかできなかった。失意のうちに落命した幸成の事を考えると、こんな僅かな望みでも無駄にするわけにはいかないのだ。

 暫時、部屋は静寂に包まれ、聞こえてくるのは部屋を照らす炎の音だけだった。

「それはどうかな?」柘榴の冷たい声が、静寂を切り裂く。「消えた連中も鵺丸に従ってると見ていい。あれだけの短時間で一人残らず消えたんだ。計画的だと言われても仕方ない」

 わだかまりを解くと言っておきながら、急に不安を煽り始める柘榴。

 影狼が目に見えて泣き顔になる。

「おぉ、泣かない泣かない。なにも、もう終わりってわけじゃないんだから」ここで柘榴が助け舟を出す。「オレたちが助けてやってもいいんだぞ?」

 影狼は、信じられないといった様子で顔を上げた。

「……興味持ってくれたようだな」

 相手の弱みに付け込む卑劣な交渉術。

 呆気にとられて、影狼は返す言葉が無かった。

「では本題に入るとしよう。お前にとっても、悪い話じゃないはずだ。オレの言う条件を呑んでくれれば、鴉天狗の罪は不問にしてやる」

「鴉天狗の罪が不問……? そんな事、出来るの?」

 食い入るように目を光らせて、影狼が言った。

「出来る限りの事はしてやる」と、柘榴。「もちろん、鴉天狗がおとなしく受け入れてくれない事もあるし、幕府の意向までは保証できない。だが直接被害をこうむったのは妖派だけだ。効果は大いにある。最悪、このまま戦うことになっても、捕虜を引き取って保護することぐらいは出来る」

 なるほど、もっともらしい事である。

 幕府における妖派の発言力については、全く疑う余地がない。問題なのはやってくれるかどうかだ。

 それともう一つ。

「……条件は?」

 鴉天狗が無罪。影狼にとってこの上ない話だ。その対価とは――

「そうだな……」

 息を呑む。

「影狼――お前には、オレの部下になってもらおう」

「!」

 影狼が、目を大きく見開いた。

「それって……妖派に、入れってこと?」

「それしかないだろ」

 あっけらかんと言ってのける柘榴。そこには何の遊び心も感じられない。冗談抜きの、まじめな話である。

 居並ぶ衛兵たちも誰一人笑っていなかった。

「どうして? オレみたいなのが妖派に加わって、何になるんだ?」

「謙遜してんのか? お前は幸成の弟分だ。來と互角ってことから見ても、ただのガキじゃないだろ」柘榴が諭す。「それに元鴉天狗として、お前には大事な役目がある」

「……?」

「鴉天狗との中傷合戦は熾烈しれつを極めたが、その中で我々妖派はいわれなき悪評を買うようになった」

 自業自得だ――と思いつつも、影狼は黙って話を聞いた。

「鴉天狗が失墜した今もそれはなくならない。そういう訳で、お前には妖派の失われた名声を回復する役目を担ってもらう」

「……オレが、それを引き受けるとでも思ってるの?」

 この要求を呑めば、鴉天狗が一方的に悪者とされてしまう。到底受け入れられるものではない。

「これは取引だ。お前がこれを断れば鴉天狗は全滅。引き受けるなら、少なくとも侵蝕人だけは助けてやれる」

「そんなのはなんの救済にもならない……お前ら妖派は、最初から侵蝕人が目当てだったんだろ!? オレがなんにも知らないガキだと思ったか!」

 意外にしぶとい影狼。

 柘榴はため息をつくと、ドサッと椅子に座りこんだ。

「勘違いしているようだが、妖派はむやみやたらに侵蝕人を集めてるわけじゃない。ちゃんと選別してるんだ。あんまり侵蝕がひどいと重荷になるからな。それを全員助けてやると言ってるんだ」

 選別――その傲慢な物言いが、しゃくに障った。

 あの事件の夜もそうだ。妖派の一人が言っていた。

 ―――どうしてもやめて欲しいというのなら、侵蝕人をいくらか引き渡してもらおうか……

 どうして妖派の連中はどいつもこいつもこうなのか。侵蝕人とも邪血とも呼ばれる彼らを、道具としか思っていない。

「鴉天狗は人を選ばない……どんなに侵蝕が進んでいても、最後まで人らしく生きられるように面倒を見てくれる。それなのに妖派はなんだ! 使えないと思ったらすぐに切り捨てる! 侵蝕人は戦争の道具じゃない。お前らなんかに……渡すもんか!」

 妖派への怒りを、ひと思いにぶちまけた。

 緊張と興奮からか、体中がしびれている。肩で息をしながら、影狼はまっすぐ柘榴を見返した。

 柘榴は冷然とこちらを見つめていた。影狼の言葉は、彼には全く響かなかったようだ。

「……随分な綺麗事を言うものだな。侵蝕人が人らしく生きる? どうやって?」鼻で笑う。「侵蝕を治す方法がない限り、そんなことは出来やしない。妖の研究を進めるオレたちでも出来ない事を、鴉天狗が出来るのか? 言ってみろ。妖に転じた奴を、鴉天狗はどうしてた? 奴らの為に、何をしてやれたんだ?」

 影狼は言葉に詰まった。

 鴉天狗の目的は侵蝕人の救済。しかし実際には組織存続のために、限界を迎えた者から切り捨てていたのだ。これで彼らを助けていると言えるだろうか?

「ククク、言えないか……やっぱりな。結局は自分で助けてるって思い込んでただけだ」

 鴉天狗の行き着く先は、柘榴にも見えていたようだ。

「生かしても為にならない奴は捨てられる。どんな綺麗事を唱えようと、それが現実だ。本当に侵蝕人を救いたいと思うのなら、彼らに価値を与えてやることだ。オレたち妖派は侵蝕人に力と活躍の場を与えることで、彼らの価値を作り出している。それだけじゃない。オレたちは日々、妖の研究を進めている。これを続けていけば本当の意味で侵蝕人を救える日が来るはずだ。この世から侵蝕を無くせる日が――」

 あの日、武蔵坊と幸成と三人で交わした約束。皮肉なことに、それに一番近しいのは妖派だったようだ。

 好感は持てない。だが、鴉天狗よりはマシなように思えてしまった。

「少し……時間が欲しい」

 もう、なにを信じればいいのか分からない。

「そうだな。お前には辛い話だろうよ」柘榴が席を立つ。「すぐには決めなくても良い……が、ぐずぐずしていると手遅れになるぞ。こうしている間にも幕府は動いている。見つかり次第、鴉天狗は皆殺しだ」

 残された時間は少ない。柘榴は言わなかったが、断れば命の保証もない。一つしかない選択肢に影狼は苦悩していた。

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