神様ストライキ

軌跡

第1話 引きこもった神

「どうか、病に苦しむこの子を救ってください」


 ふざけるな。


「神よ、その広き心で、私の罪を許して下さい」


 ふざけるな。


「敵が私たちを滅ぼそうとしています。どうか、われら弱者をお救いください」


 ふざけるな、ふざけるな。


「神よ、貴方も苦しんでおられる筈だ。そのお力で、王国を襲う苦難をお救いください」


 ――いい加減にしろ!

 もう沢山だ! 人の願いなど聞き飽きた! どいつもコイツも弱音ばかり、自力で前に向かおうとしない。神よ神よとすがり、知ったかぶりで願いを告げる。

 苛立ちだけだ。彼らは神を何一つ理解していない。

 少しの間なら、彼らがいずれ自覚してくれるなら、許すことは出来ただろう。しかし奴らは神を語った。神がまるで、弱い者の味方であると語った。

 それが罪だ。うるさいったらありゃしない。

 正直言って、人間なんぞに興味はない。どうして超越者である神が、弱者である人間なんぞに同情する? 類は友を呼ぶ、という言葉を奴らは知らないのか? お前たちを守ることは、神が弱者である証明でしかない。

 神と人。両者の間にある谷は、信仰という罪科によって深くなる。

 ああ、お望み通り救ってやろう。

 お前たちに必要なのは絶滅だ。腐った土の上から生える植物ども。その土ごと、綺麗さっぱり洗い流してやる。


「お、おい見ろ! 神の結界が!」


 見捨てられた信者が、驚きのまま口にした。

 ――その日、その瞬間。

 彼らが信じる神・アルケイデスは、山奥に引きこもった。



―――――――――



「ここに、神はいらっしゃるのですか?」


 長い旅路を思わせないほど軽い足取りで、杖を持った少女が問い掛ける。

 はい、と答えるのは後ろにいる騎士だった。もっとも状況が状況のため、甲冑はつけていない。ローブをまとった、旅人のような格好だ。

 少女も同じ格好をしているが、旅人になりきれているかどうかは疑問だった。

 流れるような金髪、人形のような愛らしさを詰め込んだ顔立ち。健康的で艶やかな肌は、汚れることを知らないような美しさがある。

 どんなに欲深い男でも、彼女を手に入れようとは思わないだろう。あまりに高貴なオーラ、慈愛に満ちた瞳は、人間の強欲を近付けない。

 まさに聖女。少女の美貌と純潔を例えるのに、他の言葉は不要だった。


「神がここにいるのは、間違いありません。姿を見た者もおります」


「では急ぎましょう。人々のため、私が立ち止っているわけには参りません」


「あ、あのティエイラ様?」


 はい? と前方の断崖絶壁を前にして、聖女は従者に振り向いた。


「――ここを上るのですか?」


「ええ、何てったって近道ですから。ネッソス、貴方も同じ気持ちでしょう?」


「い、いえ、その……」


 騎士ネッソスは、目の前の壁を見上げて嘆息する。

 十数メートルはありそうな崖だった。こんな場所、騎士団の訓練でも上ったことがない。ましてやティエネイラには無理難題のはず。

 しかし肝心の当人は、腕をまくって気合十分だった。

 杖を口に加え、絶壁から出た岩を頼りに進んでいく。とどまるとしても一瞬だけ。直ぐに次の足場を見つけて、ぐんぐんネッソスを引き離す。


「どうしましたー? 早く登ってきなさい。騎士でしょう?」


「そ、そんな無茶な……」


 しかし登らなければ、神には会えない。

 不安で押し潰されそうな心に鞭を打って、ネッソスは絶壁に足をかける。とにかく下を見ないように。恐怖で手足が震えれば、その瞬間に真っ逆さまだ。


「お先にー」


「ええっ!?」


 騎士団の重鎮が腰を抜かしそうな速さだった。

 アクティブすぎる聖女に嘆息して、ネッソスは崖を登っていく。



――――――――――



「おおっ、いい感じだなあ」


 育てていたジャガイモを引っこ抜き、神・アルケイデスは満足した。

 土の中からは丸々と成長したジャガイモが三つ。去年は不作だったが、今年は悪くない結果になりそうだ。せっかくだし、下の村へ届けるのもいいかもしれない。

 額の汗を拭いながら、アルケイデスは辺りを見回す。

 一面が畑だった。もちろん、すべて自分で耕したものである。

 人間の元を離れてはや数年。やはり孤独は素晴らしい。連中のわずらわしい願いを聞き続けるより、よっぽど健康的な生活だ。せっかくだから他の神にも勧めてやろうか。

 担いでいたくわを置いて、アルケイデスは収穫を再開する。ああ、今日の夕食は何にしよう。これから釣りに行くのも悪くない。村にいる子供たちも誘ってやろうか――


「うん?」


 ふと、誰かの気配に首を傾げる。

 しかし気の所為だったようだ。この平野には世捨て人の神以外、誰一人立っていない。

 それでも胸騒ぎを感じるアルケイデス。だがここへ人が来れないよう、高い崖を作ってある。アレを超えるなんて、脳みそまで筋肉で出来ている馬鹿ぐらいだろう。あるいは、神の加護を受けている者か。

 まあ親しくしている神から、加護付与の話は聞いていない。無駄な心配をせず、丹精込めて育てた野菜たちをいただくとしよう。


「あのう」


 そうして、正面を向いた時。

 人間の女が、いた。


「――!?」


「初めまして、山男さん。あの一つおうかがいしたいことが……」


「へ?」


 山男って誰のことだ?

 質問を返したいところだが、少女はアルケイデスと見つめている。つまり山男とは自分のことらしい。……まあ間違ってはいないだろうけど、そんな呼び方をされるなんて思ってもみなかった。

 アルケイデスの表情は、みるみる内に愛想が無くなっていく。彼女の無礼はともかく、人間に好意的な対応を取るつもりはない。

 下の村にいる連中ならまだしも、この少女は別だ。

 一番嫌いな都会の匂いがする。具体的に言うと教会の臭い。あんな空気のまずい場所は、忘れようにも忘れられないものだ。

 見たところ相当な美少女だが、態度を変えてなるものか。心の中に、どんな猛獣を隠しているかも分からない。


「……何の用だ?」


「えっとですね、私、神様を探しているんです。この辺りに住んでいると伺ったのですが、ご存じありませんか?」


「か、神?」


 一気に冷や汗が噴き出た。

 まずい。こいつ、本当にウチの信者じゃなかろうか? ああいや、信者なんて言っちゃいけない。あれはそう、まやかしだ。本当に神を信じている者など一人もいない。


「し、知らんなあ。もっと奥の方にいるんじゃないか?」


「ふむ、ご存じないと。でしたら向かうしかありませんね。……ところで山男さんは、どうしてここに? もしや、誰もお友達がいないんですか?」


「は?」


「いや、分かりますよ。私も教会のお仕事が忙しくて、友達も恋人も出来ませんでしたから。周りにいるのは護衛役の騎士ばっかりで……」


 はあ、と肩を落とす美少女。それなりに苦労しているらしい。

 しかしアルケイデスは無言を貫くことにした。なんだか、愚痴を聞かされている気がするし。

 実際に予想は大当たりで、彼女は職場に関する文句を流し始めた。食事が少ないとか、薄味だとか。恋愛禁止というのには特別お怒りのようで、自身の恋愛観を語り始めている。


「……」


「やはりですね、結婚を前提にするのは当り前だと思うんです。好き、っていう感情をもっと大切に扱わなければなりません。ガラスのように砕けやすいんですから」


 一瞬でも早く会話を切り上げたいが、なかなかタイミングが見つからない。

 ついでにいうと自分は恋愛をつかさどる神ではないので、少女の持論にはまったく興味がなかった。


「仕事をしない亭主なんて最悪ですよ。私の亭主――的な存在もそうでしてね? まあ我が神。アルケイデス様のことなんですが」


「ほ、ほう」


「知ってます? うちの教えだと、聖女は神に純潔を捧げなければならないんですって。お陰で恋愛禁止ですよ!? 周りのシスターは格好いい彼を手に入れているというのに……!」


 握りこぶしを作って力説する少女。

 可愛らしい容姿のお陰で、どこまで本気で怒っているのかは分からない。が、教会の被害者である点には、同情の余地がありそうだった。

 と、直後にアルケイデスは自分を責める。人間への同情など、神にとっては毒でしかない。

 第一、それが嫌いで山奥へと身を隠したのだ。今さら方針転換などするものか。

 相手はどうやら聖女らしいが、それも関係ない。彼女の地位に責任を取ったところで、結局は教会の利益に繋がってしまう。


「だから私、アルケイデス様を好きになろうと思ったんです。教会にある像はとっても立派でしたし。夜な夜なこっそり、像にキスしたりとかもしたんですよ? あと、私の初めても――」


「なにぃ!?」


「あら? 山男さんがどうして驚くんですか?」


「こ、これが正常な反応だからだ」


「……」


 少女は怪しむ目でアルケイデスを見ている。まずい。こちらを舐め回すような視線が、彼女に確信を与えている。


「もしかして……貴方がアルケイデス様ですか?」


「!?」


「怪しい……怪しいです。こうなったら試すしかありませんね」


「た、試す?」


 大きく頷いて、少女は羽織っていたローブを抜いた。

 下から現れるのは、真っ白な法衣。高い役職にあることを示す、意匠をこらした服だった。神の加護を示す宝石も、胸元で強い輝きを放っている。

 彼女は深呼吸すると、決意の眼差しで一言。


「アルケイデス教会、第一執法官――ティエイラ・ヘレネ。脱ぎます!」


「おい聖女おおぉぉぉぉおお!?」


 神の絶叫が、平原を駆け抜けた瞬間だった。

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