第9話

 最後の朝は、清々しく晴れ渡った。ウルキは団員の誰よりも早く起きると、宿屋を抜け出した。


 五日間通ってすっかり覚えた道を走り、エナの家に向かう。

 別れの言葉以外に何の言葉も浮かばないのは、昨日聞いた話があまりにも衝撃的だったせいだろうか。別れの言葉とは別に何かを伝えなければいけないと思った。

 けれどどんな言葉も彼女の気持ちを慰めることは出来ないだろう。だからウルキは頭を真っ白にして自分の心の声に従って走る。

 

 人気のまだない道には遮るものがない。露店の準備をしている店員の背中を横切り、エナの家の前に辿り着く。

 するといつもと違うものがあった。玄関に繋がるドアに黒い花が飾られていたのだ。黒い色に嫌な予感を覚える。

 ウルキはドアを素早くドアをノックした。


「エナ、エナ! オレだよ、ウルキだよ!」


 声をかけるとドアの内側で人の気配がして、すぐに開かれる。出迎えた彼女の姿を見て、ウルキは自分の予感が正しかったことを知った。


「エナ……」


「ごめんなさい。ウルキさんの旅立ちの日なのに、私、見送りに行けそうにないんです」


 感情をそぎ落としたように話す彼女は、黒い喪服姿だった。その顔には見慣れた微笑みがある。あまりにもアンバランスな雰囲気に寒気を覚え、ウルキは棒立ちになった。


「誰が亡くなったの?」


「母です。私には本当は五歳年上の兄がいました。けれど三年前の郁さで戦に駆り出されて、そのまま帰って来なかったんです。嘆き悲しむ私達に国はなんて言ったと思います? 【笑顔でいなさい】それだけです。嘆くことを禁止して、笑うことを強要したんですよ」


 まるで今までの鬱屈を吐き出すように彼女は喋り続けた。


「この国では泣くことも許されないんです。それが原因で母は心を病んでしまいました。その上、病んだ母を国は拘束したんです。入院と言う言葉で隔離して、何人もの人をないものとして扱いました。おかしいですよね? 理想郷と呼ばれる国なのに、住民を選ぶだなんて」


 微笑み続けるエナの顔に、涙を零す彼女の幻影が見える。ウルキは初めてエナの笑顔が良く出来た仮面であったことに気付いた。

 笑顔という仮面をかぶって、彼女はずっと感情を殺してきたのだ。この国がそうすることを義務としたがために。


「キミはずっと泣いていたんだね」


「……母が亡くなり、父を留めていた枷も失いました。決起は今日です。これから起こる戦争は、もう防ぐことは出来ません。父は兄と母を死なせたこの国に、必ず大きな代償を支払わせることでしょう。ウルキさん、巻き込まれる前に音楽団の皆さんと一刻も早くこの国を出てください」


「わかった。すぐにでも戻って知らせるよ。でも、キミはどうするの?」


「私は全てを見届けます。ウルキさん、貴方とお友達になれて良かったです。この牢獄のような国では味わえない、心満たされる日々でした。いつか、この国が本当の姿を取り戻したらもう一度来て下さい。貴方がもう一度来てくれたなら、今度こそ本当の笑顔でウルキさんをお迎えしますから」


「それなら、さよならじゃないよね」


「えぇ。必ず、またお会いましょう、ウルキさん」


 ウルキはエナと硬い握手を交わすと、身を翻して走り出した。彼女の頬を流れた涙と、自分の頬を濡らす涙に気付かない振りをして。

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