第8話


 ウルキが連れてこられたのは、物静かな食堂だった。ウルキ達が止まる宿に比べれば、二回りは小さなものだったが、どの席も物腰が穏やかそうな客で埋まっていた。


「あーあ、空いてるとこなさそうだよ。どうするんの?」


「慌てんな。用があるのはこの奥だ。ちょっと待ってろ」


 ゾーンは一人でカウンター席まで進むと、マスターらしき白髪の男に話しかける。何を話しているのかはわからないが、二、三言会話したゾーンに手で呼ばれた。

 ウルキが小走りで近づくと、白髪の男が強面をゾーンに向ける。


「坊主から目を離すなよ。中で何が起こってもオレは一切関与しない」


「あぁ、わかってる。言ったろ? オレ達は旅人で明日にはこの町とおさらばだ。だから何を見ようと関係ないのさ」


「忠告はしたからな。せいぜい上手くやんな」


「どーも。ほら行くぞ」


 ゾーンに促されて、ウルキは店の厨房に足を踏み入れる。こんな所に何があるのだろうか。恐る恐る進んでいくと、厨房の片隅に一か所だけ不自然な穴が開いていた。床が開いて、そこから地下に続く階段が見える。


 慣れた様子で降りて行くゾーンの後をウルキは慌てて追いかける。階段を少し降りると下りて明かりと活気が届く。

 そこは上とは別世界だった。蠟燭に照らされた地下では賭けごとで盛り上がる男達や、酒を豪快に飲み干し、大声で笑う女達の姿があった。


「ゾーン、これって一体……」


「これがこの町の本当の姿なんだよ。オレ達が見せられていたのはお綺麗に整えた表の顔だってことだ。いつも笑顔でなんて生きられるわけがない」


「その通りだ」


 カウンター席で座る男が振り返る。その顔を見てウルキは驚いた。エナの父親がそこにいたのだ。


「ここはオレ達の唯一の居場所だ。抑圧され笑うことしか許されないオレ達の最後の砦」


「全部嘘ってこと? この国でなにがあったんだよ」


 男はコップの中身を飲みほすと話し始めた。


「三年前までこの国は隣国との間に戦が絶えなかった。市民は否応なく戦に駆り出され、民衆の心は離れた。そんな中、王が病に倒れ、王子が新しく王として立つことになる。新王は隣国との間に同盟関係を結ぶことで戦争を止めた。だがその頃には民衆の反感は最高潮に達していた。王族の私欲による争いに巻き込まれ、どれだけ無駄な血が流されたことか。それを思えば無理からぬことだろう。そこにきて新王は命じた。笑顔を絶やすことのない国であることを。血の涙を流すこの国の現状を隠すために、美しい国であることを科したんだ」


「だからこの国の人は皆笑顔だった? それがこの国の決まりだから?」


「そうだ。何があろうと笑うことしか許されない。それを破れば罪人として連行される。民衆はお互いがお互いを見張り合う。だからそれ以外が疎かになるんだ。この国の食べ物を食ったか? 食えたもんじゃなかっただろ。仕事に集中出来ない料理人が作ってるんだからな。これが理想郷と言われるこの国の実態だ」


 あまりにも大きい事実に頭が追い付かない。それでもウルキは必死に呑み込もうとしていた。頭の回転は悪くないはずなのに、想像が理解を上回り、処理が追いつかない感じだ。

 ウルキの様子を見て、ゾーンが肩を竦める。


「頭から湯気が出そうだな。つまり、この国はほとんどが嘘で出来てるってことだ。美しいのは外見ばかり、一皮むけば疑心暗鬼に陥った人間が現れる。いくら幸せを歌わせたところで鳥かごの中にいる事実は変わらない。愚か者は騙せても、鼻が利く奴は違和感に気付くだろうよ」


「オレは気付かなかった。違和感は覚えたけどそれだけだった。ゾーンはどうしてオレに真実を教えたの?」


「それが必要だと思ったからだ。嘘をつく奴は自分が嘘つきだとは言わない。それを知っておけば、お前は騙されないだろ?」


 団長を過保護だと貶したがゾーンもどうやらその部類のようだ。間抜けな弟分を心配してくれたのだろうが、事実は重いものだった。


「坊主達は明日にはこの国を出るんだろう? 間違っても残るなよ。ここにいる奴らは国の反逆者だ。オレ達は五日後に決起する。当たり前に許されるはずの感情を取り戻すために」


 男の目には暗い炎が宿っていた。その炎は燃え盛り、やがて国を戦場にするのだろうか。ウルキは堪らずに言う。


「オレはこの国の人間じゃないから、笑うことしか許されないってことが、どれだけ酷いことなのかわからない。おっさんをそこまで駆り立てる理由も知らない。だけどエナはどうなるの? あんたの帰りを待っているのに」


「エナも承知している。覚悟しているはずだ」


「それはあんたがエナに求めたからじゃないの? 決めたくない覚悟を、無理に決めさせたんじゃないの?」


「……そうかもしれん。だがな、この国はこのままでは駄目になる。エナの母親のためにも、どうしても革命は必要なことなんだ」


 覚悟を宿した目に射抜かれて、ウルキはそれ以上何も言えなくなった。

 唇を噛みしめてもどかしさに胸が詰まる。大人の勝手にいつも子供は振り回されるばかりだ。

 それがどれだけ辛いことかなんて知りもしないで、大人はいつだって好き勝手に決めていく。哀しみや後悔ばかりを押しつけて。


「エナを心配してくれたんだな。仲良くしてくれたて、ありがとな」

 

 この国を戦場をにしようとしている男の、ほんの少し優しくなった声には、父親らしい愛情が滲んでいた。

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