第4‐2話

「お待たせしました。クッキーはお好きですか?」


 エナがティーセットを手に戻ってきた。トレイをテーブルの上に置くと、ウルキの前に紅茶が紅茶とクッキーが置かれる。

 甘い匂いに誘われて、ウルキはクッキーに手を伸ばした。口に含むとバターとミルクの香りが鼻孔を満たしていく。


「すごくおいしい。エナが作ったの?」


「はい。昔お菓子屋さんをしていた祖母のレシピなんですよ。私にもこれだけは作れるようになっておきなさいって」


「そうなんだ。こんな美味しいものが、何時でも食べられるなんて羨ましいよ。音楽団は一所に留まることがないんだ。旅の途中の御飯と言えば、ほとんどが携帯食でさぁ、あんまり甘い物は食べられない」


「携帯食ってどんな味なんですか?」


「一言で言うと、不味い。とにかく不味いんだ。町によって味も多少変わるけど、どれも基本的には大豆と野菜と泥を混ぜて乾燥させた感じだよ。団長が言うには、栄養を重視してるから味が二の次になってるんだろうってさ。オレもその通りだと思う。前に大きな事件があって、それからオレ達も何とか食べられるように工夫してるんだ」


 以前、移動に三週間ほどかかった時には、次の町に着いた頃には全員の体重が二、三キロ落ちていたほどだ。それは携帯食の稀に見る辛さが原因だろう。

 前の街では料理にスパイシーな調味料を使うのが主流だったのだ。携帯食にはそれぞれの街の特色がよく出る。女性のカンナだけは落ちた体重を喜んでいたが、それがどれだけ食べれたものじゃなかったかを、わかってもらえるはずだ。


 ウルキがそう言って劇団の珍事件を語ると、エナは口元を押さえて笑う。えくぼの出来た頬がとても可愛い。ウルキは浮き立つ気持ちのまま誘いかける。


「今日から夕方は広場で演奏するんだ。小さな音楽団だけど、皆とても上手いから、エナにも聞きに来てほしいな」


「ウルキさんも何かするんですか?」


「オレはバイオリン弾きだから、曲を演奏する。お客さんの中でリクエストも受けたりするんだ。もしエナが来てくれたら、君のリクエストを真っ先に受けるよ。有名な曲ならオレでも弾けるから」


 胸を弾ませながらエナを誘うと、頬を赤くして彼女は頷いた。


「絶対に行きますね。ウルキさん達はどのくらい滞在するんですか?」


「五日だよ」


「五日ですか、短いですね」


「うん。でもさ、人生の中の五日だと思えば貴重じゃない? 一生の中で出会う人の数には限りがあるだろ? だから、オレはその分だけ出会った人との間に、楽しい思い出をたくさん残していきたいって思ってる。エナと会えたことも、オレにとっては大事な出会いだよ」


「素敵な考え方ですね」


「へへっ、ありがと」


 控えめに微笑むエナに、ウルキは照れくささを誤魔化すように頬を擦った。

 出会いがあれば別れがある。けれど思い出はずっと胸に残る。

 グラッツエ音楽団に入隊した当初、新しい友達が出来ても移動するたびに別れるので寂しくなることが多かった。

 気を落とすウルキに、ライジュンがかけてくれた言葉は今も深く根付いている。


「ウルキさんが羨ましいです。私は生まれ育ったこの国しかし知らないので。私もいつか、いろいろな国を旅してみたいなぁ」


「なんなら一緒に来る?」


「魅力的なお誘いですね」


 それが言葉遊びで、お互いに本気でないことはわかっていた。ウルキには親がいない。血の繋がりで言う家族もいない。けれど今は団員が家族であり、団長がウルキの父だった。音楽団が大事だから、エナを本気で誘うつもりはなかった。それは彼女を家族と引き離すことになるからだ。


「ウルキさんには、この国はどう見えますか?」


 エナの唐突な質問に、紅茶を飲んでいたウルキはティーカップをお皿に戻す。彼女の意図がわからない。言葉遊びの延長だろうか。


「私はこの国で生まれて、この国で育ちました。だからここの生活が当たり前で、客観的には考えられないんですよ。外から来たウルキさんなら、客観的に判断できますよね?」


「あぁ、そういうこと。そうだなぁ。さっきのは例外だとしても、どの人も笑顔で幸せそうに見えるよ」


「良い国だと?」


「重税に苦しんでもいないし、餓死しそうな人もいないよね。最低限の衣食住が保証されているのは、良い国だと思うよ」


「そうですか。そんな風に言ってもらえるなら、良かったです。この国を理想郷だと言う人も居ますが、私にはそれが正しいことかが判断つかなかったので」


 微笑むエナこそが、この国の幸せの象徴に見えた。まるで全てを許容するような雰囲気はこの国全体に広がる空気に似ていた。


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