果ての渚と有給休暇

「じゃあ、明日朝7時に、××駅ね」

 いつもみたいに突拍子な君の台詞で、僕らは唐突に学校をズル休みすることになった。

 突然思い立ったらしいそれを、直ぐさま実行に移せるのが君の凄いところで、そんな君に振り回されるのを僕は、結構楽しく思ったりもしている。

 東京を越え、通勤ラッシュの時間も越え、まばらになっていく車内。僕らの町からどんどん離れ、遥か遠くなっていく出発駅。

「遂には私たちふたりだけだよ」

 僕らだけになった車両で、君はわざと大声を上げて言う。そうして、けひひと笑う君に、つられて僕も、笑う。


「馬鹿みたいだよね、これだけ文明が発展しても、私たちはまだ、こんな鉄塊に移動を任せてる」

 電車の手摺を情感込めて掴む君は、冗談なのか本気なのか、そんな風に言ってみたりして。

 空は生憎の曇り模様。その灰色を淡々と突き進む僕たちはまるで――

「世界の果てに向かっているようだね」

 君が、窓の外を眺めながら、ぼやく。


 電車を降りて、コンビニも見つからないような知らない土地を、のんびりと歩いて、次第に晴れ間も見えてきて、そうしてついに、辿り着いた渚。


「世界の果てだ」と、君が言う。


 世界=僕らの世界

 僕らの世界=僕らが移動できる範囲

 僕らが移動できる範囲=さしあたり電車、バス、徒歩で行ける場所

 さしあたり電車、バス、徒歩で行ける場所=陸地

 陸地=海との境界

 すなわち、世界の果て=海との境界……証明完了?


 鮮血のように、真っ赤な真っ赤な夕暮れが、すべてを朱く、照らし尽くす。僕らの日々や、ちっぽけさや、どうしようもなさや、やましささえも。


「ねぇ……ちょっとだけ、ちょっとだけ、此処で待っててね」


 君はそう言って、僕の傍を後にする。それはいつものことで、ふらりと離れて、ふわりと寄って、優雅に気ままに慎ましやかに、君は世界を揺蕩うのだ。


「さ、帰ろっか」

 夕陽が間もなく沈む頃。君は気づけば、隣にいた。

 紅を望むその横顔、強く吹く風が舞い上げる黒い髪。

 ややあって、跳ねるように、こちらを向いた君は、宣言した。


「世界は終わりません! まだね」


 それはどこか、爽やかな。


     ◇


「この前さ、初めて有給取ったのよ」

「おー、そうか。というか意外だな、このご時世に有給取らないなんて」

「正確には、その、なんつうか、自分の意思で?」

 酒はもういいやと頼んだサイダーのグラスを置いたハセガワコウスケは、どこか意を決するように話を切り出した。

 そのサイダーを、まるで当然のように自然な所作で奪取したヒラオカマサユキは、言葉を探すコウスケを横目にグラスを呷る。

「……なんか全部、馬鹿らしくなってさ」

「や、そんな、俺みたいなことを……」

「いつもと同じように職場への満員電車に乗ってさ、会社の最寄りに着いた時にさ、降りなかったんだよ、俺」

 コウスケは手羽先をむしりながら、ぽつりぽつりと、述懐する。

「なんでだろう、何がきっかけだったかよく分かんねぇんだけど、そのまま、一気に空いた車内の端っこに座ってさ、そのままずーっと乗り続けて」

 横を通った店員に、マサユキは二杯目のサイダーを注文する。

「なんかぼんやり乗り換えながら、半島の岬の方に向かってひたすら揺られて」

 やがて届けられる炭酸。注ぎたての泡が、小さく弾ける。

「次第に寂れていく風景、ビルは気づけばなくなって、空はなんだか曇ってて、電線がずーっと流れてて。……有給なんて結果であって、実際は200%ズル休みなわけで。なんかやっちまったなーみたいな気持ちと、憑き物が落ちたような解放感と……」

 そうして顔を上げたコウスケが、思い返すようにぽつりと、漏らす。

「結構良かったんだよな、あの、なんていうか、あー、なんだろ。終わりに向かうよーな感じ、っての?」

「終 わ り」

 その言葉にマサユキは唖然とし、反復する三文字。

「お前……俺みたいになってきたな?」

「……え~、それはやだわ、キモいわ」

「だろ? 俺もそう思うよ。止めた方がいいよ、それ」

 うっせ、と、コウスケが笑う。

 二人の、丁度良い沈黙に、小さく鳴る鳥の軟骨。


「俺もよく夢を見てさ」

 マサユキが、何とはなしに、ぼやく。

「誰もいない校舎を、ひとり屋上に向かってひたすら歩いていくんだよ」

「あ、もういい。お前が言いたいことは大体分かったから」

 うっせー、と、今度はマサユキが、笑う。


「はぁ……」

 二人から同時に、溢れ出す溜め息と笑み。

んなぁ、俺たち」

 目を合わせた二人は、声を揃えて。

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