屋上とミサイル

「今朝もミサイル発射されたらしいよ」

「ん、そうなの?」

 君は振り向いて、なんでもないように返事をする。肩で切り揃えられた髪が風になびく。

「最近多いよなぁ」

 流れる黒髪に意識を奪われながら、他人事みたいに僕は呟く。

 ――だって、事実、他人事だ。ミサイルが僕らの頭上を通過しようが、上空で迎撃されようが、排他的経済水域内に落下しようが、目の前に降ってこなければ、目の前で爆発しなければ、結局関係のないことなんだ。だから僕たちは毎日、YouTubeの動画や、TwitterのRTや、期間限定マックシェイクの話で、どうしようもなく盛り上がる。何もない日々をやり過ごす。


 水平線は青く霞む。遠い街並み、ビルディングはミニチュアみたいに群れて建つ。

 昼下がりの屋上は、世界の緊張とはまるで無関係みたいに穏やかで。


「期末試験の勉強、進んでる?」

「ぜーんぜん」自信ありげに君は言って、僕は思わず呆れ笑い。

 でも、「まあ、そうだよね」実は僕だって、少しも進んじゃいない。

「ミサイル落ちてきたら、期末なくなるかな?」

「そりゃテストどころじゃないよ」

「うーん、でも世界が終わるよりは赤点の方がいっかぁ」

「世界の終わり」

 空を仰ぐ。夏の水色に、飛行機雲が線を引く。

〝世界の終わり〟なんて結局、空想の中の話でしかない。仮定、想定、設定。1999年にも2012年にも世界は終わらなかったし、世界大戦とか冷戦とか、そういう出来事も乗り越えてきたんだって、歴史の教科書は言う。


「実はね、〝彼ら〟が狙ってるのは、あたしなんだよ」

「……ふぅん」

 君はまたこの屋上で、いつもみたいに突拍子もない物語を描き出す。

「ほんとほんと。実は世界の脅威なの、あたし。世界を滅ぼさずにいてあげるから、代わりに普通の女子高生やらせて、って」

「世界の終わりと女子高生、釣り合ってないよ」

「釣り合ってるよ!」

 君がいつになく大声で反論するので、僕は驚いて、青い空から視線を下ろした。

 遠く街並みを背景に立つ制服姿の女子高生は、どこか楽しげに力説する。

「若く、美しく、瑞々しく、可能性に満ちた十代は、世界の命運よりも大切でしょ?」

 僕にはいまいちよく分からない。君の言葉は、いつだって――

「だってさ、フジョーリだと思わない?」

「不条理?」

「世界の命運を一個人が担えるわけないじゃん、フツーに考えて」

「いや……、そう、なの? よく分からないけど」

「世界は、そんな甘くないっての」

 世界は思ってる以上に複雑なんだよ、って、君は頬を膨らませる。とっても可愛いんだけど、結局何が言いたいのか、僕にはいまいち理解できなくて。

「……で、つまりは?」

「女子高生が世界で一番最強ってこと」


     ◇


「お前未だにあの子に焦がれてんの?」

「うーん、そうなんだよねぇ」

 ヒラオカマサユキの住むアパートのベランダから見える東京の街並みは、彼らが過ごした地元の風景とは大きく異なっていた。水平線は見えず、建物はあまりにも高く、緑は少ない。

 それでもこの場所において変わらないものは、相変わらず一本のサイダーを分け合う二人の関係性。


 6月24日。


「もう高校卒業してから二年だぞ」

 ハセガワコウスケは、サイダーのボトルキャップを閉めながら呆れたように言う。

「そうねぇ、十代も終わっちゃった」

「そもそもあの子がどこに進学したとか知ってんの?」

「知らん」

「ダメじゃねぇか」

「一説には海外にいるとか」

「どこ情報だよ」

 空が明るくなり始めた午前5時。ベランダの柵に身を預け、二人は気怠げに言葉を交わす。

「なんつーかさぁ、大学ってさあ、ラブコメ感ないよな」

「ラブコメ感?」

「いや、ほらさ、大学生ってさ、〝恋愛〟って感じするか?」

「お前が理系だからってのは関係なし?」

「おい……それは言うな。女はいるぞ、……一応」

 まだ涼しい早朝。マサユキはサイダーの栓を開ける。静けさの張り詰める住宅街に、小気味よい音が小さく響く。

「つまり俺が言いたいのはだな。打算っぽい恋愛はしたくねぇんだよ」

「……まあ、それは分かる」

「サークルだとか飲み会だとか合コンだとかにおいて、〝恋人を作ろうとする〟意志ありきで出会う相手ってのはさ、それはさ、恋愛なのだろうかって俺は思うわけ」

「お前らしいな」

「例えばだよ、教室の廊下ですれ違ってあっ可愛いだとか、隣の席で落とした消しゴム拾ってそこから話すようになるだとかみたいなさ、〝不特定多数の中から誰か良い人探そう〟ではなく、〝まさに唯一無二のあなたと付き合いたい〟という感情で女性と接したいわけ」

「まあ、そういうのができるのって大学以前の、ちゃんとクラス分けがあって毎日顔を合わせる環境がないと難しいかもな」

「そ――――――――――なんだよ! だから俺は! 俺は今でも! ……届かなかった憧憬のことを……」

「結局高校で彼女できなかったしな」

「言うな、言うんじゃない。俺はもうウンザリだ。自宅と研究室の往き来だけで終わる生活。かたやサークルやら飲み会やら合コンではしゃぐ男女共……〝その場のノリ〟だぁ⁉ 冗談も大概にしやがれ……」

「随分と溜まってるみたいだな」

「あの日夢見た色々は、結局、物語の中の話でしかないのだろうか」

「……さぁな」

 コウスケのスマートフォンが震動する。通知欄には某国がミサイルを発射したが海に落ちただなんてニュースサイトの速報。現実味のないその通知を、ルーティンとなったフリック動作で削除する。

「でもさあ」

 コウスケは視線を東京の街へ向ける。そうして、呟く。

「留年よりは、世界の終わりの方が幾分かマシだよな」

 マサユキがサイダーを呷る。二人の間の手摺りに置き戻して、一息。

「ちゃんと授業には出ろよ」

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