ぼくらの空、UFOの夏
蒼舵
6月24日
「なぁ、今日が何の日か知ってるか?」
「あ?」
ヒラオカマサユキはサイダーのボトルをぐびりと煽ってから、隣でシャツを煽っているハセガワコウスケにぽつり尋ねる。コウスケは座っているその場所から見える正午前の遠い街並みをぼんやり眺めていたが、ぬるりとマサユキの方へ顔を向けて、適当に答えた。
「えー、あー……トイレットペーパーの日?」
「なんだよそれ、誰がどうどんな理由で制定すんだよ」
「トイレットペーパー会社が……」
「ちげーよちげー。6月24日は、全世界的に、UFOの日」
マサユキはどこか自慢げに、青々とした空に向けて言った。
「は……? ふーん」
ぽかりと口を開けて返事を返すコウスケは、特別な感慨もなく猫背のまま街並みに視線を戻す。
「あちーな」
「そうだな」
「夏だな」
「夏だな」
もれなく全ての教室は授業中。互いに示し合わせるわけでもなく集った屋上で、退屈しのぎのやりとりはだらりと続く。これまでの日々で特別ドラマチックな何かがあったわけでもない彼らはそれでも、互いが互いを一番の友人だと、口にせずとも認め合う、そんな仲だった。
「とはいえ俺たちはさ、こんなところで受験から逃げてる暇じゃあないんじゃないかなぁ」
「そうは言っても、だ」
「……うん、まぁ、だからこそこんなところにたむろってるわけなんだが」
「もう三年生かぁ、早かったな」
「そうだな」
「俺らも知り合って二年が過ぎたワケだ」
「なんだよ、振り返り総集編とかやんなくていいよ気色わりぃ」
「なんでだよ言わせろよ、基本的にお前しか友達いねーんだよ。俺たちが出会ったのは入学初日、出席番号前後の……」
「やめろやめろ、ほんと、いいってば」
コウスケはマサユキのサイダーを奪い取って一口飲んでから、また何の意味もなく「あー」などと声を漏らす。マサユキはサイダーを奪い返してから一口呷り、
「進路は?」
「とりあえず国公立、言ってなかったっけ」
「文学部あたり?」
「そんなカンジ」
「――宇宙が夢なんだろ?」
「うむ」
「しかしまぁ、すげえよ。一年の時は前後の席でおんなじ問題解いてたのにさ」
「なに、あの頃から俺は変わっちゃいないよ」
「……そうっぽいな」
「ま、とはいえその夢も今日、叶うんだけどな」
「……は? 今日?」
マサユキはにわかに立ち上がり、注ぐ陽光を全身で浴びるように両手を広げ、高らかと声を上げる。
「キャトルミューチレイションされるんだよ、俺は、今日、このUFOの日に!」
「…………はっ」
マサユキを見上げるコウスケは、呆れたように目を逸らし鼻で笑う。
「おいおい、そう言って可能性を嘲笑するのは悪い癖だぞ。これまでの人生で、何かトラウマを抱えることになるような大きな事件でもあったのか?」
「何もねーよ。そのなんでもかんでもドラマチックにしようとする性格どうにかした方がいいぞ」
「何故だ!? ドラマを求めることこそ生きる意味だとは思わないのか!?」
「そうは言ってもな~、ここは現実だからさ」
「はい出た『現実は現実』論。クソクソ。はっ倒してやる」
マサユキはどかりと座り込んで、またしてもサイダーを呷ろうとしたが、もうほとんど残ってはいなく、ボトルを逆さにして最後の数滴を舌に落としてから、投げやりに脇に置いた。
「キャプテン・マンテル・ノーリターン」
「ヒラオカ・マサユキ・ノータリン」
「うるせーよ、全国模試一位だぞ俺は」
「物理だけな」
「それでも一位は一位なんだよ」
「……ま、事実お前には叶わねーよ、理系で学年一位とかさぁ」
「お前文系何位くらい?」
「一位」
「ほぉ」
「……世界史だけ」
「一位は一位だな」
七月手前の容赦ない陽射しに、しかし今さら授業中の校舎に戻ることもできない二人は、どうしようもなく脱力する。
「あー、宇宙人とか攻めてこねぇかな~」
「ありふれた台詞だな」
「なんだかんださ~、やっぱそういうの、期待しちゃうじゃん」
「まーな」
「或いは例えばそれこそさぁ、世界の命運を担う儚げな少女なんかが目の前に現れてさ~」
「お前ほんとそればっかりだな、この二年で二千回くらい聞かされたぞ」
「あーっ! クソ、なんか起きろぉ! なんか! 何でもいいから! 今日はUFOの日だぞ! 実は隠されていた世界の真実が俺たちだけに明かされて、そんで、黒づくめのメン・イン・ブラックたちが俺たちの元にやってきて――――」
マサユキの喚き声はしかし、屋上の扉が開く音に中断される。
「……?」
二人は顔を見合わせ、その扉から現れる姿を確認しようと目を凝らす。
「センコーか?」
「センコーって言葉今時使うかよ」
「…………おお?」
扉が静かに閉じられる。しかして現れたのは、予想していた人物とは違っていた。小さな歩幅で、ゆっくりと屋上の縁に歩みを進めるそのどことなく優雅な姿に、二人は文字通り、釘付けになる。
「女だ」
「女生徒」
「JK」
「女子高校生」
現れたのは、制服姿の女子生徒だった。肩より少し長い、歩みに合わせふわりと揺れるその黒髪が、女っ気のない二人の網膜に鮮明に焼きつく。
「……どういうことだ」
「なるほどなァ、珍しい客もいるもんだねぇ」
しばらく声も発しなかった二人だったが、ややあってどちらからともなく、目線は彼女を捉えたまま、呟くように言葉が交わされる。
「宇宙人だ! 宇宙人が俺を迎えに来たんだ!」
興奮したように、マサユキは声量を一段階上げる。届いたのか届いていないのか、はたまた気づいてすらいないのか、少女は二人の方を見ることもなく、屋上の縁から広がる風景を見つめている。
「馬鹿言え、イリヤだよ、イリヤ」
コウスケはその言葉に、冷静に返答する。
「イリヤぁ?」
眉をひそめ、抑揚をつけマサユキが返す。
「おんなじ学年の女子じゃねーか、そんなことも知らんのか」
「知らねぇ見たことねぇどーせ文系だろ?」
「うん」
「理系にあんな可愛い子いねーから」
「……いたってお近づきになんかなれやしねーよ」
「なんだなんだ、こんな時間に屋上だなんて、もしかして『アルミホイルで包まれた心臓は六角電波の影響を受けない』とか言ってくれちゃったりするのか?」
「電波チャンかよ」
「可能性は大アリだ。授業抜け出してこんなとこ来るだなんて、電波ガールに違いねぇよ」
「それを言うなら俺らは……しかしまぁ、よく受験生が三人も屋上にサボりに来てるもんだな」
「あの子何組?」
「えっとー、確か1組」
「そりゃ見ねぇわけだ」
「1と8じゃ次元の隔たりがあるもんな」
「文系と理系の時点で日本とブラジルくらいある」
「……ま、でも事実あいつは、みんなから不思議ちゃん扱いされてるよ」
「え、マジ? マジなの?」
「おう、マジマジ。クラスメイトと全然会話とかしないらしいし、たまに喋ってもワケ分かんねぇ難しいこと呟かれるからってさ」
「ワァ~……最高じゃん」
「……まぁ、見た目はいいし、勉強もできるからこう……一目置かれてるって感じだよな、実際は」
「遠目でも美人って分かるもんな」
「そうそう、だからお近づきになろうとするやつもいるんだけど――ほら、カズヒロとか、関わった全員もれなく、宇宙人と喋ってるみたいでムリって言って自ら諦めていく」
「ほほぉ~! やっぱり宇宙人じゃないか!」
「何言ってんだよ……。――ま、うん、でも、端から見ても雰囲気違うもんな。深窓の令嬢……っての? この表現も今時使わねーか」
「なるほどなるほど。そしてそんな彼女とひょんなことから出逢った俺たちはこうお願いされるわけだな、『ここで出逢ったのも何かの縁。お願い、私とこの世界を、どうか救って』ってさ!」
「……あー」
「あーってなんだよあーって」
「ボーイ・ミーツ・ガールからの非日常するには、ちっとばかし時期が遅すぎたな」
「おーいおいおい、やめてくれよそういうのは」
「『や、ごめん、俺受験勉強あるから』とか言って、彼女の頼み断るんだぜ、結局さ。結局そうなるんだよ。俺たちはボーイミーツガれない。それが現実っすわ」
「いーや、俺は断らないね。見とけ、間もなくその守るべき愛しい街並みを儚げに眺め終えた彼女がゆっくりとこちらへ振り返り、消え入りそうなか細い声で俺たちに声をかけるはずだ!」
そしてマサユキとコウスケ、しばし黙り込んでイリヤの背中を見つめる。しかし、
「…………」
「…………」
「ダメじゃねぇか」
「何故だ……」
「あれ完全独りの世界入ってるぞ」
くそぉ~、と呟いたマサユキはややあって意を決したように大声で、
「イリヤさーん!」
「ッ!? おいバカっ、お前何やって……」
張り上げたマサユキの声に、イリヤはその端整な横顔だけをわずかに、二人に向けた。
「今日って何の日か知ってますかー!?」
マサユキは尋ねる。しかしその言葉に返事はなく、どこか達観しているかのような目線だけが、二人に返事を返した。
「何やっちゃってくれてんだよお前!」
囁き声でコウスケが咎める。しかしマサユキは満足そうに、
「これでファーストコンタクト、第三種接近遭遇は完了だ。伏線は張れた。こういうのはもうこっちから先張りしとくんだよ」
「ワケ分かんねーっつーの。声かけたせいで居心地悪くなっちまったじゃねーか」
「別にそんなことないけど? 呼ぶ? 彼女、ここに」
「呼ばねーよ」
その時、四限の授業終わりを告げるチャイムが、遠く流れた。
「あ、四限終わった」
「おうおう俺は腹が減ったぞ」
「……だな」
「イリヤちゃんも誘う? 飯」
「馬鹿言え、……ほら、行こうぜ」
「ああ」
立ち上がった二人は、自分の住む街並みを眺めて、その風景の何気なさに、変わらなさに、どこか愛しい気持ちを抱く。
「絵になるな」
「え?」
「カノジョ」
「……ああ、確かにな」
「屋上+制服姿の美少女、スバラシイね」
しみじみするマサユキを横目に、コウスケは屋上をぐるっと見回して、少しだけ気取って言う。
「しかしまあ――、この場所は案外、俺たちだけのものでもねーんだな」
「ぼくらの空」
「あ?」
呟かれた文脈無視の一言に、コウスケは隣のマサユキを見る。マサユキは顎を上げ、青天井を見つめていた。コウスケもなんとなく同じように、青い空へ顔を上げる。
「この青空はきっと、悩める少年少女たちすべてのものなのさ」
さぁっ、と、涼やかな風が二人の頬をひと撫でする。少しの心地よい静寂、やがて我に返ったようにコウスケは、
「なんか綺麗にまとめようとしてるけど、よく分かんねーから、それ」
「さ、飯飯」
ぱっと表情を切り替えて、屋上入り口の扉へ向かうマサユキ。やれやれと続くコウスケ。
「今日のセットランチなんだろうな」
「照り焼きチキン」
「あー、最高」
屋上の鉄扉は静かに軋んで、ごぉん、と余韻は空に響く。
「6月24日は、全世界的に、UFOの日」
ひとりきりの屋上で、街並みに向けてイリヤは小さく呟く。
飛行機雲が、彼女の頭上をどこまでも伸びていく。
艶やかな黒髪が、正午の爽やかな風に柔らかくなびいた。
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