第4話 最期の告白
私と彼は、それから何度もなんども花を植え、何度も何度も枯らすことを繰り返していた。
もう何回花を枯らしたかわからないくらいの時が過ぎ、その間に「いつか出会う本当に愛してくれる人のために種を植えているだけ。彼は私のことを愛しているからここにいるわけではない」と何度も自分に言い聞かせた。
妖精は長生きだから私の人生くらいきっと短いものだろう…短い間の我侭くらい神様もお許しになってくれるだろう…と自分の心の痛みを紛らわす。
私は、最初に彼と過ごした夜の次の日から様々な話をした。
今日の天気のこと、街に来た劇団の演目、仕事中にあったおもしろいこと、小さな頃から妖精が見えていたこと。
「あのね、私の名前と同じ花が遠い南の国にあるらしいの。
とても綺麗な花らしくてね。昔義理のお父様が教えてくれたのだけど…」
私が、昔夫のお父様から聞いた話をなんとなしにした日のことだった。
彼に名前を呼んで欲しかった。
でも、何年も一緒にいるのに、彼が私の名前を知らないかもしれないと確かめるのが怖かった。
「アンという名前の花があるのか?」
思いがけない彼の言葉に私は泣きそうなくらい嬉しくなったことを昨日のことのように思い出す。
大切な大切な思い出。
愛する人に呼ばれる名前は、なんだか特別な響きを持つ気がして何度も何度も彼の声で呼ばれる自分の名を頭の中で繰り返した。
植木鉢頭の彼の表情はわかりにくいけど、それ以降彼の声が楽しげな響きを持つことが多くなった気がする。
彼も長い年月の間に少しずついろいろな事を話してくれるようになった。
初めに事情を話したときは少し嘘をついていたこと、自分が呪われてしまったのは、人の気持ちを弄んだ自分に責任があること、何度か人間の女の人を脅して花を咲かせようとしたこと、自分のことを呪った魔女への懺悔。
最初は、呪いの話や魔女への呪詛、自分を避けた人間への怒りや不満といった心の中の毒を吐き出すように話していた彼がとにかく愛おしかった。
傷だらけでボロボロで今にも壊れてしまいそうな彼が、愛しすぎてつい抱きしめてしまう日もあった。
その度に、愛する人が傷ついている姿を愛でてしまうなんて自分はなんて浅ましいのだろうと自責をして浮き足立った恋心を必死で口に出さないように押し込める。
「愛してる」
この一言が言えたなら、なんて幸せだろう。
でも、それはできなかった。
花が咲かないことが、私の愛は偽物であるということの証明なのだ。
それなのに、愛を伝えたりしても植木鉢頭の彼は戸惑うだろう。
ボロボロの彼は彼で、とても美しく見えたし、愛しく思えていた。
でも、共に日々をすごしていくうちに彼は少しずつだけど笑うことが増えていった。
彼は頭が植木鉢で表情がわかりにくいけど、笑うとからっぽの植木鉢にたんぽぽでも咲いたかのように温かい感じがする。
傷ついてボロボロで壊れそうな彼も好きだったけど、私は、ふとしたときに温かく笑う彼のこともどんどん好きになっているのだった。
夫の母が天寿を全うしてからは、植木鉢頭の彼は、更に私の生活にかかわることが増えた。
彼は私のために料理を覚え、仕事が終わると夕暮れに共に食事を取る。
それまでは、水だけを飲んでいれば平気だった彼が私に合わせて、私と同じものを食べていると考えると心が躍った。
こんな日々がずっと続いてくれればいいのに。
呪いのことを忘れて、彼と二人で同じものを食べて同じ時間をすごして笑いながら暮らせたらいいのに。
そんなことを毎日考える。
けれど、日々自由に動かなくなっていく自分の身体が、私は植木鉢頭の彼と同じ時間では生きられないということを思い知らせて来る。
私は、彼の呪いを解けるほど本当に彼を愛せていないけれど、そして彼もきっとわたしのことを嫌いではないとしても、自分の不幸を察せもしない愚鈍で物知らずな人間なんて本当に愛してくれていないだろうけれど…。
それでも、孤独で絶望の気配に支配された彼を、一時的にとはいえ開放できたのなら「本当の愛」ではないとしても彼の力になれているし、私の彼を自分の元へ縛り付けるような愚策も悪いことばかりではないではないか。
そんな風に、年齢を重ねた分、自分への言い訳もうまくなってしまった。
そして、いつの間にか私は自分の身体すら満足に動かせないほどに老いていた。
いつから店を開いていないのかすら思い出せない。
子供もいない、知り合いももうほとんどがこの世にいない私の最期はこんなものだろうと、いつの間にか荒れ果てた部屋と汚れた寝具を見て思った。
「やけに頭だけが冴えているのは、神様が最期に彼との時間を許してくれたからかしら」なんて若かった頃のようなことを思う。
もうしばらく彼とまともに話していない気がする。
植木鉢頭の彼は、用済みの人間に見切りをつけて、もう愛する人を探すための旅に出てしまったのかもしれないなんて思いながら、重い頭を持ち上げてあたりを見回す。
すると、すぐ隣に植木鉢に目のように空いた穴から大粒の雫をぽろぽろと零す彼がいた。
どうやら最期を彼に看取ってもらえるらしい。
彼は、私との別れを惜しんで涙を流してくれているようだ。
恋をした人に看取られるなんてなんて素敵なんだろう。
「こんなおばあちゃんになるまで付き合わせてしまってごめんね」
彼は私が声を出したことで目の前の老人が起きたことに気がつくと、何かを話そうとしているのか、声を詰まらせた。
彼の新しい旅立ちの宣言を聞いてから長い眠りに就くのも悪くないわねと他人事のように考える。
でも、彼の口から出たのは予想外の言葉だった。
「アン…本当にすまない…君の人生を無駄にしてしまった…
私がいなければ君は再婚をして一人ぼっちで最期を迎えることもなかったのに…
気がついていたけど…君と離れたくなくて…
人の子の寿命は短いと知っていたのに…愛する人の幸福を己のエゴで食い潰してしまうなんて…」
気のせいか幻聴だろうか、それとも死んでしまった後の神様からのご褒美だろうか。
「愛する人」と彼が言ったのは私のことなんだろうか。
夢でもいい。
彼が、自分のせいで私が孤独に死んでいくことに胸を痛めているんだとしたら、そうではないということを最期のお迎えの前に彼に伝えなきゃ。
言葉を続ける彼の声が遠くなり、目の前の景色も急速に光を失い始める。
手を握っているはずの彼の感触もどんどん感じられなくなってくる。
「私も、あなたを愛しているわ植木鉢頭さん」
もうほとんど目の前は見えなくなっていた。
けれど、なんとなく彼が驚いた顔をしたように思えた。
私は、懸命に言葉を続ける。
「本当は、どうすればあなたの頭に花が咲くかわかってたの。
でも怖くて試せなかった。ごめんなさい。」
最後の力を振り絞って彼を抱き寄せる。
そして、ひんやりと冷たい素焼きの植木鉢に口付けをした。
「こんなおばあちゃんのキスでごめんね」
目の前から完全に光が失われるまでの一瞬の間、彼の植木鉢が淡い緑のかわいらしい花ででいっぱいになるのが見えた気がした。
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