第3話 呪いの種
彼はどこにも行かなかった。
どこへも行けなかっただけなのかもしれない。
毎朝、家のドアを開けて店の準備をするときに彼を見る。
彼は、じっと軒下に立っていることが多かった。
客足が途絶えた隙に話しかけると、一言、二言言葉を返してまた軒下で何か考えているかのようにじっとしているのだった。
まるで、私のことを信用に足る人物かどうか決めかねているのではないか…なんてことも頭の中に浮かんでくる。
私は、植木鉢頭の彼の内心に踏み込んでしまったら、この
そんな関係が、季節を2つ跨ぐ程度の間続いていた。
もうすっかり冬景色になり、私の仕事も花屋よりも近所の洋服の手直しや、お得意先の行商人の馬の鞍の手入れなどが多くなってきた。
去年までは冬には店じまいをしていた花屋だけど、今年は植木鉢頭の彼に会いたくて、売る商品もろくにないのに店は開け続けていた。
季節を2つ跨ぐ間、私が何もわからなかったわけではない。
植木鉢頭の彼についてわかったことがひとつだけあった。
なんと、彼は他の人から見ると単なる古ぼけた植木鉢に見えるらしいのだ。
店で花を買う人が「あの植木鉢は、年季が入っていて素敵だね」といってくれるのがなんだか自分のことのようにうれしいくて、褒められるたびに彼にそれを伝えた。
彼は自分のことを「醜い」と言っていたけど、そんなことはないって伝えたかった。
それでも、彼は「花屋に来る人はそういうものが好きなのだな」なんてどこか他人事だ。
好きな人を喜ばせる手段がわからないことが、こんなに哀しいなんて知らなかった。
勇気を出してみよう。
少しでも、彼の抱えている絶望の色が薄れてほしい。
そう思った私は、ある月夜の晩、そっと植木鉢頭の彼を私の部屋に招きいれた。
義母の夕食の準備を早めに済ませ、店じまいをした。
いつもなら、彼が軒下にいることを確認して家の中に入るのだが、今日は違う。
彼の手を引いて共に家の中に入った。
いつも花屋として使っている広間を通り、台所の手前にある階段を上る。
初めて触れた植木鉢頭の彼の手は、頭の素焼きの植木鉢みたいに冷たかった。
ドキドキしすぎて、私の手が熱くなっているだけかもしれない。
顔から火が出そうなくらいの緊張を気取られないように、階段を上る。
そして、以前は使用人が使っていた空き部屋に彼と入った。
緊張をごまかすように、干草のベッドの上にシーツを敷く。
そして、ベッドの上に座って改めて、植木鉢頭の彼のことを見つめる。
月明かりに照らされる彼の姿は、とても神秘的で息を呑むほど綺麗だった。
つい彼に見とれていると、珍しく彼の方から口を開いた。
「私は…もう長い間呪われているんだ…」
そんな重々しい言葉から始まり、彼の口から語られたのは、私が子供のころ母や祖母から聞いた常若の国の御伽噺のようなお話。
自分はかつて王子だったこと、悪い魔女に恨まれ呪われてしまったこと、魔女は自害してしまい、気が付いた時には自分は人間の世界にいたこと…。
そして、魔女に言われた呪いを解く条件も私に教えてくれた。
それは、【植木鉢頭の彼を本当に愛してくれる人間の女性にしか、植木鉢に花を咲かせられないし、植木鉢に咲いた花を植木鉢頭の彼が本当に愛している人間に摘み取ってもらわなければいけない】というものだった。
今まで気の遠くなる年月を過ごしてきた植木鉢頭の彼は、その間、とてもたくさんの人に怯えられ、そして逃げ出されたということも話してくれた。
彼が人間の姿だったら涙の一つでも流していたのだろか。
それとも、眉間にしわを寄せ、顔をゆがめながら話してでもいたのだろうか。
植木鉢頭の彼は、ゆっくりと長い長い間心の中に留まっていたドロドロを吐き出すように声を絞り出していた。
頭が植木鉢の妖精と話しているのだから、彼の話が御伽噺みたいだなんて思ってしまうのも、今更な気はする。
でも、彼の話す悲しい御伽噺は、なんだか私が胸に抱えている「とにかく好きな人と長く一緒にいたい」という感情を、醜くて自分勝手なものだと言われている気がして、良心が痛んだ。
そして、私みたいな醜い心の女なんて彼は本当に愛してくれるわけがない…と気分が沈みそうになる。
私のこの思いなんて、ずっと拒絶をされ、故郷から追われた彼の苦しみと比べたらなんでもないことのはずなのに。
元王子様である彼には相応しい人がいる。
私は、王子様に相応しいお姫様と彼が出会うまでの間、彼の孤独を少しでも紛らわせる脇役だ。
だから、私が彼の頭に花を咲かれられるなんて思ってはいけない。
そう思って心を守る。
じゃないと、彼の呪いを解けない自分が許せなくて自分が壊れてしまいそうだった。
彼が話し終わるころには、もう空が白んでいた。
次の夜から、植木鉢頭の彼は夜、私の部屋で過ごすようになった。
昼間は空いた時間に彼の頭に花の種を植えてみる。
これは彼の希望でもあった。
「今までは花の種なんて植えようとも思わなかった。
でも、種がなければ咲くはずの花も咲かないかもしれない。
花屋の君に出会えたのは運が良かった。
よければ君が、私の頭に種だけでもまいてくれないか?」
少しだけ迷った私は、彼の想いがそれで軽くなるならと願いを聞き入れた。
ついさっき呪いを解きたいなんて思ってはいけないと決めたにもかかわらず、「もしかしたら、私の醜い感情でも彼の頭に花を咲かせられるかもしれない」と思ってしまった自分の意志の弱さに自嘲的になる。
なんど種を植えても、水をあげてみても花は芽を出すとつぼみをつけることなく枯れてしまう。
それが、少しずつ私の希望を砕いていった。
≪浅ましいお前の感情は、呪いを解く真実の愛などではない≫
見ず知らずの魔女にそう嗤われている気がしてくる。
でも、きっとそれは真実だ。
花が咲かないのが何よりの証拠。
まさか、お伽噺にありがちな結末みたく、キスさえすれば花が咲くなんてことだったら…と思ってみたけれど、それでも花が咲かなかったら「私の気持ちは愛でもなんでもない」ということが証明されてしまう気がして怖くて言い出せなかった。
「大切な商品を無駄にしてしまってすまない」
花が咲かずに枯れる度に植木鉢頭の彼は、私に謝ってくれる。
それが何よりも辛くて、植木鉢頭の彼が、彼のことを心から愛してくれる素敵な人と出会う日を願った。
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