返却は2週間以内に

目からピザ太郎

返却は2週間以内に

  彼女は3年生で、名前は三崎さんと言う。下の名前は知らない。なぜなら、三崎先輩の名前を知ることができたのは図書当番の名札を見たからで、名札には苗字しか書かれていないからだ。

 学年は冬服のリボンか、校章の色でわかるようになっていた。校章を着けることは強制ではないけれど、三崎先輩は欠かさず着けていて、几帳面な性格が見て取れた。

 高校3年生の女子としては低めの身長。肩上で切りそろえた黒髪を垂らしていつも本を読んでいて、そのせいで記憶に残る三崎先輩の面影は常に少し俯いていた。

初めて図書室を訪れたのは、1年生の夏休み、地面が焼ける音が聞こえてくるような、よく晴れた8月のある日のことだった。人気のない校舎は少し埃っぽく、暴力的な日差しが作る影のコントラストが独特の雰囲気を漂わせていた。非日常の肌触りに柄にもなく少し楽しくなったことを覚えている。

 図書室は冷房が効いていて、それは経費削減かそれとも老朽化のためか、あまり強くはなかったけれど、地獄のような外の気温に比べるととても心地よかった。窓の外からは、グラウンドの運動部の喧騒や上階の音楽室で練習する吹奏楽部の音色が、夏のざわめきに混じってかすかに聞こえていた。


「返却は2週間以内にお願いしますね」


 それが、三崎先輩と交わした初めての言葉、それから幾度となく繰り返され、そして彼女の口から直接聞くことができたほとんど唯一の言葉だった。

 控えめに微笑む小柄な三崎先輩は、あまり年上には見えなかった。貸出カードにサインをする先輩の文字はその小さな外見に反して、意外にも大きく読みやすいはっきりとした字だった。

 多くの3年生がそうであるように、三崎先輩も3月にこの学校を卒業した。進学先は知らない。知らないといえば、所属していた部活動も、クラスも、もちろん下の名前も知らないままだ。けれど、三崎先輩について知らないままになってしまったことよりも、あの言葉をもう永遠に聞くことはできないという事実が、ふわりとした痛みとなって胸に残った。

 あんなにも毎回言われていたことなのに、ある本の返却期限が過ぎていることに気付いたのは、春休みに入ってからだった。貸出日は三崎先輩がこの学校から、図書室から去る少し前、最後に三崎先輩に会い、最後のあの言葉を聞いた日だった。

 あの夏の日と同じように人気がなく、暑さの代わりにさわやかな春の風が流れ込む校舎を歩き、図書室に向かった。いつ来ても三崎先輩は変わらずそこにいて、もしかして授業中も、休みの日でも三崎先輩に会えるんじゃないか、そんな気さえしていた、図書室。

 三崎先輩はもういない。壁に掛けられていた図書当番の名札は取り外され、先輩がここにいた証はもはやどこにも存在しないかのように思われた。そう思うと、あの小さな、俯きがちな先輩ははじめから存在していなかったのではないか、そんな荒唐無稽な不安が水面に落としたインクのようにジワリと広がり、そして消えていった。

 わが校の図書室の貸出システムは、備え付けの棚から各自の貸出カードを取り出し、本のタイトル、貸出日あるいは返却日を記入してカウンターの図書委員に渡すというアナログな方式だった。返却期限から1週間も過ぎてしまった今日の日付を書き入れる為、カードを取り二つ折りになっているそれを開こうとしたとき、そこに白い紙片が挟まれていることに気付く。

 カードを開く。手帳の1ページを切り取ったらしき紙片を見る。そこには、何度となく耳にした言葉が、あの似合わない大きくてしっかりとした字で書かれていた。

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