第114話
三
「ふうん、ここが〈御舟〉の中ってわけだ……」
頬傷の男は呟くと、じろりと辺りを見やって、ずかずかと内部へ踏み込んできた。帯に手をやり、反り返るような姿勢になる。
時姫を見つめ、目を細めた。
「信太従三位の娘、時子姫……。久しぶりだなあ!」
「
時姫が怒りの形相を顕わにして叫ぶ。男は首を振った。
「その名前は、昔のものだ。今は、木戸甚左衛門ということになっている」
時太郎は叫び返した。
「木戸甚左衛門? それじゃ、母さんを
甚左衛門は、きっと時太郎を睨んだ。
「どこで、その話を聞いた? ははあ、お前さんが時姫の息子、時太郎か。その二人は、お初にお目にかかるが」
時太郎が何も言わないので、甚左衛門は顎を撫で、考え込む素振りになる。
「大方、木本藤四郎の奴めが吹き込んだのに違いない。奴はこそこそ、おれのことを嗅ぎまわっていたようだからな。それで、どこかでお前さんに会ったのかもな」
時太郎の表情を読み、甚左衛門は
「どうやら図星のようだな」
時姫が口を開いた。
「甚助……いや、甚左衛門殿。いったい、そちは何用でまいったのじゃ?」
「さっきから話を聞いていると、あんたは、この〈御舟〉を掌握しているらしい。こいつで何かやらかすつもりらしいが、よせよせ! どうせ女のあんたにできることは、高がしれている。どうせなら、おれに任せるのが利口だぜ!」
「馬鹿なことを……そちゃ、この〈御舟〉のことを、何も知らぬと見える」
「そうだ、おれは何も知らない。が、これならどうだ?」
いきなり甚左衛門は刀を抜き、時太郎の首筋に当てた。
「これなら、話は別だな? さあ、おれに、この〈御舟〉を渡すんだ!」
その時、時太郎たち三人は、再び
お花がくるりと甚左衛門に顔を向け、口を開く。
「ぐわあーっ!」
甚左衛門が絶叫し、両耳に手を当て、悶えた。手からぽろりと刀を取り落とす。
お花の〈水話〉が甚左衛門の下意識を直撃したのだ。耳に聞こえない
甚左衛門の顔色は真っ青になり、両目の瞳孔がぽっかりと開かれている。いったい何をその目で見たのだろうか?
よろ、と立ち上がると、そのまま三人から逃げるように部屋の中央にある円形の台に駆け上がった。
「寄るな! お前たち……いったい、何だってんだ?」
脇差を抜き、及び腰になって振り回す。
その脇差の先が円形の台から突き出された。
びしっ!
刃の先端に青白い電光が発せられた。
「わっ!」と甚左衛門は脇差を取り落とす。痛みに顔を顰め、手首を押さえた。
「この甚左衛門はもう、その台から逃げられませぬ。妾がそこに
時姫の声に甚左衛門は奮い立った。
「なにいっ!」
一歩、前へ進み出る。
ばりばりばりっ、と甚左衛門の全身が閃光に包まれる。
どて、と甚左衛門は台の上に尻餅をついた。
その姿を見て、時姫は時太郎に向き直った。見る見る表情が曇る。
「時太郎……そちは三人で一つの意識を分け合う状態にあるのですね。でも、妾の言葉は聞こえていよう……。妾はこの世界を救うため、今より〈御舟〉で、ここより飛び立ちます。妾の命は、なくなるかもしれませぬ。じゃが、そなたを……いや、この世界総てを守るため、仕方がない仕儀なのです。それでは、さらばじゃ! お元気で暮らしてたもれ。そして三郎太殿によろしくお伝えくだされ……」
深々と一礼すると、時姫の姿は掻き消えた。
時太郎は「はっ」と自己を取り戻した。
「母さん!」
叫ぶ。
が、その瞳が虚ろになった。
ゆっくりと、時太郎の膝が落ちていく。
お花も、翔一も時太郎に倣うように膝を折り曲げていく。
三人は〈御舟〉の床に横たわった。円形の台の甚左衛門だけが、その場の光景を見つめていた。
「検非違使ども! その三人を〈御舟〉の外、安全な場所へ運ぶのじゃ! よいか、御所より外側へ運ぶのじゃぞ!」
時姫の声だけが内部に響いた。検非違使たちは命令の声に頷き、時太郎たち三人を抱えて出口へと向かう。
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