第113話

  二

〈御舟〉の内部に足を踏み入れた時太郎は、その時ようやく本来の自分にかえった。

 目の前に奇妙な〈御舟〉の内部が広がって見えている。

 ぴかぴか、ちかちかと瞬く無数の灯火パイロット・ランプ。その間を無言で作業している検非違使たち。

「ここが〈御舟〉……? ここに時太郎のお母さんがいるの?」

 お花が呟いた。

「なにやら苦楽魔の、電磁誘導磁界素子パラメトロンの部屋を思い起こされるところで御座いますね」 と、翔一が感想を述べる。

「うん……」

 曖昧に時太郎は頷いた。ともかく、母親に会いにここまで辿り着いた。が、これからどう行動していいかが、さっぱり分からない。

「時太郎……あなたが時太郎なのですね」

 不意に女の声が聞こえ、時太郎は声の方向に向き直った。すると、そこに一人の女が立っていた。

 小柄で、内掛けをまとい、長い髪を背中に流している女官のような装束。卵形の顔に、大きな瞳が、じっと時太郎を見つめていた。

「母さん?」

 一歩、おずおずと時太郎は前に進み出る。

 女はゆっくりと首を縦にする。その目が微かに潤んでいるようだ。

わらわがお前の母、時子です。会いたかった……元気でいてくれたのですね」

 時太郎は黙ったまま、立ち尽くしている。今までの河童淵での暮らしが、どっと思い出されてきた。

 そうだ、おれは、母さんに尋ねたいことがあったんだ……。

「母さん、一つ聞いてもいいかい?」

「なんでしょう」

 時姫は母親としての優しいほほ笑みを浮かべている。

「おれの父さんは、三郎太かい?」

 時姫は「ほっ」と口を丸くする。

「当たり前です! なぜ、そのようなことを聞くのです?」

苦楽魔くらまで聞いたんだ。父さんは河童で、母さんは人間。種族の違う二人から、子供が生まれるはずがない、と。もしかして、源二という人の子供じゃないかと思って……」

 時姫は、にっこりとほほ笑んだ。

「そのようなつまらぬことで悩んでいたとは……。安心なさい。そなたは三郎太殿の息子です!」

「でも、父さんは……」

「いいえ!」

 きっぱりと時姫は首を振った。

「父親の三郎太殿は、なりは河童ですが、その実、人間なのです! そなたも〝聞こえ〟の力を使えば判るはず。妾は最初に出会ったときから三郎太殿の正体に気付いておりました。が、三郎太殿は何も仰ろうとせず、妾は黙っておりました。だから、そなたは立派な人間、信太一族の一人なのです!」

 総ての疑問が氷解する感覚に、時太郎は立ち尽くす。母親の言葉に一片の嘘もない!

 そうだ、おれは人間の時太郎なんだ!

 溢れる思いに、時太郎は時姫に、むしゃぶりついた。

「母さん!」

 が、時太郎は時姫の身体を突き抜けた。

 そこにいるのに、まるで空気を突き抜けたように手応えが無い。

「母さん?」

 時姫は哀しげな表情になり、視線を逸らす。

「妾は今、ここには居らぬのです。最上階の、操舵室にいて、立体映像ホログラフィーでそなたと会っているのです。そなたに触れたくとも、叶いませぬ。相済まぬことです……」

「そ、それじゃ、おれが母さんのところへ行くよ!」

 時太郎の言葉に、時姫は首を横にした。

「いいえ、そなたは、ここにまいってはいけませぬ! それどころか、すぐにこの〈御舟〉から出るのです!」

「なぜだ! 折角こうして会えたのに!」

 時太郎は絶叫した。

「そうだ、まったく判らねえな。感激の母と息子の対面ってのにな……」

 嘲笑うかのような声に、時太郎と時姫、それにお花と翔一は入口を振り返る。

 そこに一人の武士が立っていた。頬に目立つ傷跡がある。

 武士は、にやりと笑った。傷跡が生き物のように歪んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る